三者三様異世界行脚 #3

 鵺火総十郎はゆるやかに目を細め、この美しい森林散策を愉しんでいた。

 今のところ人に会う気配はない。が、まあ、なんとかなるであろう、と気にも留めていなかった。

 それよりも今はこの太古の神秘が息づく巨大な森のフィヰルドワアクにいそしむほうが先決である。

 涼やかな風を肌で感じ、蒼と翠の色彩を目で楽しみ、柔らかい苔と硬い樹皮を踏む感触を足で味わい、かすかな土と草の馥郁たる香りで肺を満たす。

 遥かな梢のはざまに聞こえる、小さく高い鳴き声は、はたしてどのような生き物が発したのであろうか。


「麗しい、世界である。」


 翠蓋を透かして差し込んでくる朧な光が、優しく森の底を照らしていた。

 これまで旅してきた異世界も、それぞれ趣の異なる美をもって総十郎の胸に迫ってきたものだが、この世界は実に“静”の風情がある。産業革命によって、生活圏があわただしく多彩な光に満ちるようになった大和民族が忘れがちな、侘びの美意識が自然の中に体現されていた。

 この深い深い森の底に横たわり、そして徐々に徐々に森に消化されてゆくさまを思い浮かべる。

 それはどれほど甘美な死に方であることだろう。

 どこか濃厚な気配に満ちた風が吹き抜け、光の粒子が流れてゆく。

 学術的な好奇心に駆られる。

 その気になれば、その優美な指先でつまんで捕えることもできるであろうが――もしあれが生物で、しかも軽く触れただけで崩れてしまうような儚い存在だとしたら。そう思うとやはり、まずはこの世界の住民に出会って情報を仕入れたいところだ。

 苔むした巨樹の根に点在する、結晶質の花のようなものに顔を近づける。

 柘榴の美しい果肉のごとき、その半透明な花冠は、中央部に複雑な構造を秘めていることが見て取れた。花のような鉱物ではなく、鉱物のようななんらかの生物であるようだ。


 ――ああ。


 いったいどのような進化が、これほどの美を生むのだろう。選択淘汰の結果だと言うのなら、この世界の意志そのものが美を求めているとでもいうのだろうか。もしもこの世界に、創造神格がいるのであれば、それはどれほど畏敬の念を抱かせる存在なのか。


 ……この点、神州大和の八百万の神々は、親しみやすいのはいいのだが気が付くと友達感覚で接してしまうのでいかんなぁと思う。


 ふと、ぶるりと総十郎は身を震わせる。


「ふむ、涼風は良いが、やゝ涼やかすぎるか。」


 苦笑しながら、制服の内ポケットに手をやり、霊符を取り出す。

 手首を利かせて打ち振るうと、たちまち札は制式マントとなって広がった。

 不動明王の加護が宿る、身代わり札である。本来は術者自身に化けて身代わりとなるのだが、総十郎はその呪力を逆用し、物品を札に化けさせて携帯しているのだ。着替えも何着かばっちり持ってきているので、しばらくは困るまい。この使い方には不動明王氏もやや呆れていたが、便利なものはしょうがない。

 マントを肩に羽織り、総十郎は意気揚々と歩みを再開した。


 ●


 足音が、聞こえた。

 しかも大きい。小鳥の群れが怯えたように飛び立ってゆく。

 フィン・インペトゥスは眼を見開いた。幼い顔が、柳眉を引き締め、戦士のそれとなる。

 軽く地面から振動を感じるほどの足音だ。明らかにカイン人ではない。というかこれほど大きな音を立てられる大型動物などすでに生き残ってはいないはず。


「総員、〈哲学者の卵〉に戻るであります」


 すぐに戦術妖精たちは従った。

 特に危機感を覚えたわけではないが、この場所に関して情報が少なすぎる。臨戦態勢は整えておくべきだろう。

 大樹という障害物に囲まれたこの環境であれば、斬伐霊光ロギゾマイは十全に機能する。戦術妖精たちを戦闘に参加させる必要はない。

 ともかく何がいるのか、そして何が起こっているのか確かめる必要がある。

 フィンはぐっと体をたわめると、異相圧縮された筋肉を瞬発させて垂直に跳躍。

 大樹の一番下の枝に着地する。そこからさらに枝から枝へと跳躍。届かない時は斬伐霊光ロギゾマイを伸ばしてロープ代わりに使った。

 立体戦闘の訓練は、アルコロジー内部での防衛戦を想定して十全に積んでいる。高速かつ隠密的にフィンは音の源へと移動していった。


 ――これまで、危険を感じるようなことは何一つ起こらなかった。


 情景は美しく、神秘的で、本当に久しぶりにフィンは子供らしい好奇心に従って行動することができた。

 きっとあの足音の主も、のんびりと苔などを食む、温和な生物なのではないだろうか。


「きっとそうであります。近づいても怒らないかな?」


 いくつかの梢を抜け、フィンはついに、音の発生源を目の当たりにした。

 瞬間、フィンは凍りついた。

 そこに繰り広げられた光景は、少年の楽観的な想像を踏みにじるものだった。

 そしてある意味において、少年が非常に見慣れた光景であった。

 追う者と、追われる者がいる。

 圧倒的に力を持つ者が、武器を振りかざし、無力な者を追いかけている。

 その差は徐々に縮まってゆく。追いついたとき、何が起こるかなど、フィンは散々見慣れて思い知らされてきた。

 追う者は、明らかにセツ人ではない。かといってカイン人でもない。

 ひとつの頭を持ち、その下に一対の手を備え、一対の脚で大地を踏みしめている点では変わらない。

 だが明らかに体つきが違う。

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