第8話 呪いの家(観光地)
「トラちゃん……なにこれ……? ナニ……?」
「ナニとはなんじゃ! 妾こそファールスの地を統べる支配者にして、女王! トライアドのジュエリア──グリシャルディであるぞ! 解ったら、さっさと頭を垂れて平伏せよ! ていうか、せんかっ!」
意気揚々と自身を勝手に語り、グリシャルディはラーザニルを指差した。珍獣を見る目を向けられているにも関わらず、その高慢っぷりはボロ箱に閉じ込められていた後でも健在だった。
過去の支配者──という事にして──それが現在の支配者と向き合っている事実は、特異にして壮大な光景──である気がする。
「ハーハッハッハッ! 終わった! 全て終わった! ハーハッハッハッハッ!!」
絶望の高笑いを上げた後、トラバルトは『グウゥ……!』と心の臓を鷲掴みにされた様な悲痛の声を溢して、四つん這いに顔を伏せた。実際に左胸を押さえている所から、相当な負担を受けているらしい。
「しっかりしなさい、トラバルト! ウチは今、逆ハー……人夫が足りてないから再就職先にしてあげるわ! 主人となる私に感謝しなさいよ!」
「……フザケルナ……馬鹿ヤロウ……」
心配を装ったアイーシャの嬉しそうな耳打ちに、トラバルトの精神はますます追い詰められていった。
再就職先どころの騒ぎじゃない。魔者をラビリンスの外に引っ張り出したとなれば、処刑──よくて爵位の剥奪は免れないだろう。
トラバルトの理性の糸は散々に擦られ、今にも千切れそうだったが、彼の周りに居る畜生共は気にも留めない。呪いという最大限の不条理をかましてきたアホは、特に。
「なに泥棒かまそうとしておるのじゃ、キサマ! そこな筋肉馬鹿の主は妾じゃぞ! 副業は許さんからなっ!」
「本業にした覚えはない……!」
「え……? ……本業? この期に及んで、まだ貴族のつもり……? 暫定、無職……よね?」
「貴様ぁ……! 誰が無職だッ……!」
「ちょっと待つのじゃ! お主から爵位まで取り上げたら、筋肉以外に何も残らぬのではないか? そうなると、金貨になった時、価値が下がって取り分が減ってしまうのではないか!? そんなの許さぬぞ!」
「その時は貴様も道連れにしてやるよォオオオッ!」
言いたい放題の畜生共に挟まれ、発狂気味に気力を取り戻したものの、トラバルトの運命はほとんど決定している。それを確実なものとして印を押すのは、バカ騒ぎを後方で眺めている若き王だ。
ラーザニルの視線は、箱入りの珍獣に釘付けとなっている。自称ではあるが、ジュエリアを名乗る魔者など、放ってはおけない。この地を統べる王として──。
「……トラちゃん……」
「ハイィッ!」
唐突な呼び掛けに、トラバルトは上擦った声を上げた。自分の命が風前の灯とあれば、そうもなるだろう。彼が重ねに重ねた保身は、空気の読めないチンチクリンによって引き剥がされ、全て白日の下に曝されてしまった。
処刑──あるいは爵位の剥奪か。トラバルトの運命は、二つに一つしかない。……限りなく処刑よりであるが。
……せめて、爵位を持たせたまま死なせてはくれないだろうか……そんな淡い期待を持って、トラバルトは石の様な固唾を飲みこんだ──。
「──メッチャ面白いじゃん! マジなの、トラちゃん!? 魔者と繋がってるって! アハハッ! アーハッハッハッ!!」
「……ハィイッ!?」
涙を溢しながら爆笑するラーザニルに、より上擦った声を放って仰天した。あろうことか若き王の瞳は、夜空の星々に劣らぬ好奇に輝き、心底楽しそうだった。
「正気ですか、王……!? こんなのを認めるというのですか……!?」
「誰に向かって『こんなの』と抜かしておるんじゃ、キサマァー!」
指差されたグリシャルディが身を乗り出して唸ってくるも、そんな鬱陶しさは気にもならない。王の悪癖と言うべき好奇心に、トラバルトは経験からして愕然とした。
王が口にした『面白い』の意味……それはきっと、箱に入った珍獣そのものを指しているのだろう。
確かに、箱に収まったスゲェ馬鹿みたいな姿は見世物として面白い。決して、ジュエリアを名乗る魔者に向けた好奇心ではない──筈だ。
「ジュエリアって言ってたよ、この子ぉー! アーハッハッハッハァー!」
「クソッタレぇええ! やっぱりか、ラーザニルゥウウ!!」
トラバルトは貴族にあるまじき悪態と、王への無礼を口走って床を叩いた。名を叫んだ通り、今や二人の意識は軍学校時代に培った悪友のものとなっている。
そして、そんな関係から、ラーザニルの
間違いない──ラーザニルは、グリシャルディが持つ洗脳の魔力云々に関わらず、あきらかに珍獣の出現を楽しんでいる!
「!! 名前で呼んでくれるなんて久しぶりだね、トラちゃん! 嬉しいなぁ! 昔に戻ったみたいだよぉ!」
「感慨に耽っている場合か! そもそも私を呪った張本人である魔者だぞ、コイツは! おまけに自分をジュエリアだとほざく、パァだ!」
「!? パァ!? パァじゃとぉおお!? 女王たる妾に向かって、何という口の利き方をしよるんじゃ、この戯けがッ! お主なんかパァどころか
「プーになった原因はパァのせいだろうがぁああ!!」
「ヌッガァアアッ! またしてもパァなどと言いよってぇええええ!!」
「アハハハハッ! アーハッハッハッ!! ゲッホ、ゲホッ! オエッ! ……アハハハハッ!!」
「……なにこれ……なんなの……?」
頬をつねり合う
誰も彼もが少なからず、ちょっとオカシイという世界の縮図。そこに、まともな意見を放てる貴重な常人というものは存在しない──。
「あー、笑った笑った。じゃあさ、トラちゃん。今回の件は色々不問にしてあげるから──一緒に遊ぼっか!」
笑顔と共に、信じられないぐらい寛容な判決を下したラーザニルに、グリシャルディとアイーシャが間の抜けた声を上げた。『なんだこいつ、スゲー解る奴じゃん』といった具合で。
しかし──もっとも喜ぶべきであるトラバルトだけが、何故か神妙な顔付きとなって姿勢を正した。そして、この上なくハッキリとした口調で、心からの望みを告げるのだった。
「死刑を望みます、我が王」
「「なんで」」「じゃ!?」「よ!?」
唐突に死刑を求刑し始めたトラバルトに、グリシャルディとアイーシャが声を重ねて掴みかかった。散々、生き恥を晒して喚いたくせに、許された途端に潔い……この期に及んで、貴族の名誉が云々ほざくつもりでいるのか。
「いや、ダメだよ。僕が遊ぼうって決めたんだから」
「……いや……その……都合が……悪い……」
「アハハ! 君の都合なんかじゃ、どうにもならないよ!」
傍目には優美であるラーザニルの笑顔が、その実、煮出し過ぎた珈琲よりもドス黒い事をトラバルトはよく知っていた。
絨毯にめり込まんばかりに平伏したトラバルトの浅黒い肌は、うっすらと青みがかってすらいる。肩の震えなど、産まれたての子羊にすら鼻で笑われるだろう。
ラーザニルが口にした『遊ぼっか』という言葉──その真意を知っているトラバルトは、遠征失敗の言い訳をしている時よりも、遥かに腹底が冷える恐怖を感じていた。
「一緒に川を下って滝から落ちた事、覚えてる? トラちゃん、滝壺にハマって溺れかけてたよねー。いやー、遊んだなぁー」
「……あれは、お前がフザけて飛び込んだから行かざるを得なかった……」
「治安の悪い地区で、オラついた人達に囲まれた時の事は? トラちゃんってば、その地区の人全員、血眼になって張り倒しちゃうんだから凄いよねー。いやー、あれも遊んだなぁー」
「……お前が酔っ払って『僕は王族だぞー』などと吹聴したからな……」
「いっぱい遊んでくれたよねー。また、一緒に遊べるなんて──僕、凄く嬉しいよ!」
「──お前の遊ぶって言葉には、俺で遊ぶって意味が含まれてんだよッ!!」
床を殴り付けての慟哭。ラーザニルの遊びによって受けた心労は、これらすら些細な一部に過ぎない。
それをこれから、もっと増やそうというのだ。グリシャルディという新しい
ラーザニルの性質の悪さは、自分をダシにして他人を巻き込むところにある。その傍迷惑な行動原理は、全て『面白そうだから』という一点に限っていた。
トラバルトの心に刻まれた
「ぬははーっ! 確かにこやつで遊ぶのは面白いかもしれんなー!」
「黙ってろ、アホ!」
ラーザニルの新しい玩具が、トラバルトを嘲笑って貶す。同じ棚に陳列された同類であるという点に、まったく自覚が無い。
コイツ……繋がっているという事は、巻き込まれるという意味であるのを忘れていないか……? ラーザニルが棚を揺すれば仲良く落ちるんだぞ……? 地獄の底まで……。
「酷いなぁ、トラちゃん! 僕は遊びたいだけだよ! それがたまたま、君を振り回しちゃうだけなんだって!」
「よくも言えたもんだな、お前……!」
「まぁまぁ、昔の事は置いておいてさ。取り敢えず……トラちゃんを呪ったその子から、お話しでも聴こうかなー?」
「!!? やめ──!!」
「うむうむ、良かろう! ではしかと拝聴するが良い! これこれこうで、かくかくしかじかでのー!」
「へー! 【黄金宮】の復活ねー! それで金貨を稼ぐのに、トラちゃんの力が必要なんだー! へー! へぇー!」
「う゛お゛お゛お゛お゛お゛っ!!」
四つん這いになって絶叫するトラバルトの傍らで、意気揚々と語るグリシャルディに、ラーザニルは瞳を輝かせた。その光が善からぬ興味の色を湛えたものだというのは、トラバルトだけが知っている。
「グリシャルディ! もう何も喋るなッ!」
「こやつは全っ然、信じておらぬがのー! 物の価値をそのまま金貨に変えられる力など、ジュエリアの他に持つ筈がなかろう! これがその証明じゃ! しかと見るが良いぞ、人の王よ! ほれー!」
「わー、スゴい! 人様の持ち物を勝手に金貨に変えちゃってるよ、この子! しかも、当然のように自分の箱に仕舞いこんでるしー!」
「お゛お゛お゛ぁ゛ぁ゛ッ! お前ッ! ホンットにッ! 止めろッ!!」
調度品に手当たり次第触れては、金貨に換えていくグリシャルディを取っ捕まえて、息を荒げる。コイツが調子に乗れば乗るほど、ラーザニルの調子も比例していくのは間違いなかった。
そしてそれは、予想もしていなかった言葉でもって的中する。ラーザニルの悪癖といえる享楽的な思考は、まさに王族の狂気であると引いてしまう程に──。
「この子、もしかしたら本当にジュエリアかもしれないね! 丁度良いや! そうなら二人にラビリンスの観光地化計画を任せちゃおっかな! いやー、攻略当初の目的が、こんな形で進むとは思わなかったよー!」
──は……?
ラーザニルが一人喜んでいる中で、他の全員が間の抜けた顔となった。
なに……? ラビリンスの……観光地化──?
「え……? 妾の家、観光地にされるの?」
「うん! え? 駄目かなぁ? 勿論、復興の援助はさせて貰うけど!」
…………。
……………………。
………………………………。
たっぷりと長い沈黙を挟んだ後──グリシャルディが素頓狂な叫び声を上げた。
「当ったり前じゃろうがぁああ! なに勝手抜かしとるんじゃ、キサマァアアッ!」
箱から身をまろび出し、絨毯の上にひっくり返りながら、かつて支配者だったらしい女王は異義を唱えた。
というか喚いた。みっともない姿で。よくもそんな有り様で、威厳がどうとか抜かせたもんだと感心してしまう。
「フハハハハッ! お前の家、観光地になるのか!? フハハハハッ! ハァーハハハハッ!」
「笑い事かぁああ! キサマぁああー!」
年甲斐もなくトラバルトが爆笑するのを、グリシャルディが憤った。他人事なら、どんな災難でも笑い事にできるのが、クズの才覚である。ムカつく相手ならば感慨も一入といった馬鹿笑いぶりで、存分に指差して貶める。
再建した自宅に他人が勝手に出入りし、物見遊山にされるなど、古今東西聞いたことがない。それはどうやら魔者の世界でも同様らしく、グリシャルディの目に余るほどの発狂っぷりが裏付けとなっていた。
きっと、ミノタウロスみたいな粗雑な魔物でも嫌がるだろう。……家畜小屋を見物したがる者がいるかはさておいて──【黄金宮】は伝説の魔宮から、御家族が楽しめる
「白紙じゃ、白紙ぃ! そんな計画ッ! 人様の家を観光地にするなど、常識ないのか貴様っ!」
「魔者に常識問われてもなー。そもそもグリ様の存在が不測だった訳だし……こっちの事情も考えてくれないかなー?」
「くれんわ、この大戯けがぁああッ!!」
グリ様などという舐めりくさった敬称を気にも留めず、両手を床にベチベチと叩き付けて怒り散らすグリシャルディだったが、ラーザニルはそんな様を『うんうん』と頷いて微笑むだけだった。
まぁ、最も力ある現行の王が、出土品みたいなポッと出の女王に妥協する筈もない。今さら過去の権力者が出てきたところで、どんな発言力が現代にあるというのか。
ラーザニルにグリシャルディの文句など、まったく通用しない。聞き分けの悪い子供を適当に言いくるめられる大人ぐらい、力の差がある。
「まぁまぁ、とにかく聞いてよ、グリ様。この計画を利用すればさ、【黄金宮】の復活が早まると思わない? 僕らの目的は、意外にも一致してるんじゃないかなー?」
「……ヌッ……! 確かに言われてみれば……そうだのう!」
いや、お前騙されてるよ。
口車に乗せられ、早くも意思が傾き始めたグリシャルディを哀れみながら、トラバルトは事の成り行きに沈黙した。【黄金宮】が復活し、この鬱陶しい呪いが解かれるのならば、過程など知った事ではない。
「よーく考えてみて。金貨の出所ってさ、【黄金宮】だったラビリンスな訳だよね? そこが観光地になれば、興味を持った多くの人が金貨を使いに来るし、何よりも金貨の回収が楽になるよね?」
「ほう……? ほほぉう……! ふむふむ!」
「つまり、グリ様は宮殿である住まいを、ちょっとだけ下々に見せるだけで、莫大な金貨が得られちゃうって話だよ! 王族ですら難しい、不労所得を叶えられるなんて……いやー、羨ましいなぁ!」
「ヌハッ……! ヌハハッ……! ヌハハハハッ! そうじゃのう、そうじゃのう! よくよく考えてみれば、妾がめっちゃ得するだけではないか! ヌハーハッハッハッ!! なんじゃ、お主良い奴じゃのう! 平伏せんかった事は、多めに見てやろうではないかー! ナーハッハッハー!」
いや、お前騙されてるよ。
観光地なんかになれば当然、兵がうろつく訳で、纏まった金貨なんかすぐ回収されるに決まっている。
それに、『なんか今月の稼ぎ悪くねー?』と疑問に思ったところで、『マンネリ化してる』だの『新しい見物が必要』だの、適当なあれこれを要求され、金貨を使わされる羽目になるのがオチだ。
もし、グリシャルディが本当にジュエリアだったとしても、金貨という力の集中は、ラーザニルによって儘ならなくなるだろう。
果たしてグリシャルディがそこまで頭を回せるか。変なところで冴えるオツムだけは持っているのだから、一抹の不安を覚えずにいられない。悟られれば、トラバルトにとっても都合の良い、ラーザニルの提案は破綻してしまう──。
「なんか夢いっぱいで、胸いっぱいじゃあ……!」
「そだねー!」
安心した。アホだった。頭は回転するどころか、機能停止している。夢想を描くあまりに、グリシャルディの貝殻みたいに輝く節穴の眼は、現実を捉えていない。
……ちょっと待て……計画は二人に任せると言っていたか……? ポンコツの女王は確定として……まさか、もう一人は──。
「……そうか。……色々と苦労するだろうが、コレの面倒は任せたぞ……アイーシャ……」
「は!? 私じゃないわよ! アナタに決まってるでしょ、このバカ!」
「……なん……だと……?」
「何でそんな意外そうな顔できるのよ!? アナタの他にいないでしょ!? ていうか、よく候補から自分を外せたわね!」
ラーザニルの遊びが現実的になってきた。トラバルトは悪友へ『マジ?』と言わんばかりの視線を投げ掛けると、『うん、マジだよ』と意を込めた微笑みを返されてしまった。
「──殺せッ!! 俺を殺してくれ、ラーザニルッ!!」
「ダメー! だぁんめぇー! アハハハーッ!!」
「うぉおおおお!! ウォオァアアア!!」
頭を抱えて揉んどり打つトラバルトを、アイーシャがゴミの様に見下ろす。気の毒というよりも、トラバルトの気が毒されていくのが、傍目にも解る有り様だった。
「ふー、やれやれ。折角、希望が見えたというのに喚いてばかりで仕方ないのう……。良いか、アルザエフ伯よ。目先の不安に足を捕らわれていては、望みへの歩みも儘ならぬのだぞ……?」
「お前という目先の不安に、俺は囚われてんだよッ!」
「ハァアアー!? 不安ではないがー!? 超絶頼もしいんじゃがー!? 『今後とも宜しくお願いします』と、お主は頭を下げるべきじゃろうがぁ!?」
「今後と言える以前があったか、足りない頭捻って言ってみろよォオ!!」
「ヌッガアアア! こんの三流貴族の無礼者ガァアアア!!」
再び頬をつねり合い始めたゴミ共に、アイーシャは冷めきった眼差しを向けて嘆息した。まるで自分だけがまともな風をしているが──この場に居る者が無事でいられる筈もない。
「じゃあ、よろしくね、三人共! さー、忙しくなるぞぉー!」
「はっ!? えっ!? 王!?」
ラーザニルに向けたアイーシャの顔は、暴政の所業だとばかりに引きつっていた。『面白そうだから』と、悉く地獄へ突き落とされてはたまったものではないだろう。
「いやいやいや! 私はこのポンコツ達とは何も関係ありませんから! 寧ろ、巻き込まれた被害者ですから!」
「巻き込まれたって自覚があるなら、不都合は無いね! 一番事情に通じているのは君だし、後援として資金力も充分だし──ね!」
『ね! じゃねぇよ!』と言いたげに、アイーシャはどうにか誤魔化しの笑顔を浮かべたが、顔は引きつったままほとんど変わらなかった。錆び付いた鉄扉のように重い首を動かした先で、トラバルトとグリシャルディが眉を下げて俯いている──。
「「不安」」「だ……」「じゃ……」
「顔に鏡を叩き付けるわよ!?」
問題児達に危ぶまれたのを、憤ってみせたところで通じはしない。悲惨な事に、誰もが『まともな自分が、どうにかしなくちゃいけないなぁ』と本気で思っている。
「大丈夫、大丈夫! ラビリンスでの闘いは、トラちゃんが全部何とかしてくれるから! なんせ彼は──この国で一番強い戦士だからね!」
ラーザニルのお墨付きに、分厚い胸板を反らして鼻息を溢すトラバルトは、傲岸不遜も良いところだった。事実としてそうであったとしても、態度と人格が信頼を寄せるに難を生んでいる。
「「不安」」「だわ……」「じゃ……」
「顔に鏡を叩き付けられたいか!?」
唸る声も虚しく、袖にされた実力は行き場を喪った。証明するにはラビリンスへ赴く他ないだろう。多くの問題も丸ごと引き連れて……。
「全く……不甲斐ない輩ばかりで困るのう……仕方ない! 妾が世話を焼いてやるとするか!」
引き連れていかざるを得ない一番の問題児が、何をどう思ったのか先導するつもりでいる。トラバルトとアイーシャはお互いを見て頷くと、実に息の合った動きで姿見を運んできた。
「「……これが鏡というもの」」「だ……」「よ……」
「……知っとるが? 知っとるがッ!!?」
こんな時に限って熟年の疎通を働かせる二人に、グリシャルディが半ギレの声を上げる。小馬鹿にされるのが当然となりつつある空気感に、ジュエリアの面目は形もない。
「ところでさ、グリ様が【黄金宮】を復活させる意図を訊いても良いかな?」
馬鹿げた雰囲気に関せずといった
「は? 再びこの地を妾のものとして、贅沢三昧するためじゃが? それ以外に理由などなかろう? なくない?」
「たっはー! そっかー、叶うと良いねー!」
本意はともかく、そんな気遣いは無用だと誰もが思い知った。グリシャルディを野放しにしておくと、ロクな事にならない──。
「……あぁ……そうか……そのための鎖でもあるのか……」
呪いの不条理に、一つ合点がいってトラバルトはごちた。身動きが取れない状況を打破する他に、やりたい放題かますのを制限させるためでもあるのだ、と。
呪われた我が身が保護者──あるいは躾のなっていない
犬か何かかよ……コイツ……いや、さっきまで猫っぽかったような……。
「……なんじゃ急に……呪いについて一人で納得しよって……怖っ……」
「………………動物風情が喋るんじゃない……」
「!? 何をどう理解して、妾を獣扱いしよるんじゃ貴様ッ!?」
噛み付いてくる珍獣をシカトし、魔者である以上に不可解な生態に頭痛がした。コイツが魔物を生み出す金貨の支配者だとして、コイツはいったい何から生じたのだろうか。
砂漠の砂でもあるまい。こんな厄介なものが自然発生するとは思えず──されてはたまったものではないが──余計な事をしでかしてくれた創造主を、トラバルトは考えずにいられなかった。
もし存在するとして、呪いをこうまで組み込んだのであれば、コイツを創造した人物は、よっぽど自分の被造物に信頼を持っていないらしい。
それは──金貨という概念そのものに対する疑念の現れなのだろうか。人の社会に根付いた貨幣という価値を、
「……お前……何だか可哀想だな……変過ぎて……」
「なんじゃ貴様!? 唐突に哀れみながら貶してきよって! どういう感情じゃ、それ!?」
「ほら、トラちゃんは躁鬱なところあるし。きっと、今はそういう波なんだよ!」
「……それ、国政に携わらせて大丈夫な人物なんですか……」
「……ククッ……誰のせいでこうなったんだかな……」
「確かに、お主って、ちょっと壊れかけとるよなー。人間の大人ってやつは、時に修復できんくなるから難儀じゃのー。ヌハハ!」
「修復できん決定打が私にそう抜かすのか!? ん!? その誰かだという自覚は無いのか、貴様ぁああ!」
「ヌァアアア! ヴヌァアアアア!!」
「おー、波が来てる! 来てるねぇ! 凄いや、トラちゃん! アハハッ!」
「……フッ……フフッ……私はこれに乗せられる訳ね……フフッ……ウフフッ……!」
躁鬱の貴族に振り回され、涙目になっている幼女の魔者を眺めながら、人格破綻者である王が楽しげに手を打つ。その傍らには、壊れかけ予備軍である女騎士が暗い笑みを浮かべていた。
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