第4話 呪いの沙汰も金次第。

 ──その日はトラバルトにとって最良の日であった。


『おめでとう、トラバルト。強く気高い、一人前の男と成ったお前を、父は誇りに思うぞ』


『おめでとう、トラバルト。健やかに育った貴方と、この日を迎えられて母は嬉しく思います』


 十も半ばの歳、成人として認められたトラバルトは勇んだ気持ちで鼻息を溢した。彼の足下に置かれた宝箱には、一人の男と成った証として贈り物が詰め込まれている。


『さぁ、宝箱を開けなさい。妻と共に選んだ、お前への贈り物だ』


『きっと、大人に成った貴方に相応しい物よ』


 両親に促され、トラバルトは感激の思いで宝箱に手を掛けた。父と母からの贈られた物ならば何であろうと拒みはしない。これが両親から与えられる最後の贈り物となれば、尚更だ。


 大人に成るという誇りと、尽くす側になるという実感。そして、僅かな寂しさを噛み締めながら、少年であるトラバルトは宝箱を開けた。それを手に、自分は貴族としての務めに励むのだと心に決めて──。


「ほう! そなたが妾の従僕となる者か!」


 ……はっ?


 トラバルトは湧いて出た言葉をどうにか留め、硬直した。その目は忙しなく瞬き、宝箱に入っている珍妙な存在に釘付けとなっている。


 箱入りの幼女。何の捻りもなく、言葉通りに幼女が箱詰めになっていた。鬱陶しいくらい伸びた金髪と同じくらい、鬱陶しい笑みを浮かべて。


 世の中の全てをなめり腐り、何でも自分の思うがままといった調子の小生意気な顔立ちに、トラバルトは呆然と向き合った。対して、むっくりと立ち上がった箱入りの幼女は、値踏みする面持ちでニヤつきながら、トラバルトを眺めている。


「ほ~、ふむふむ。青臭さの抜けぬ若造じゃが、女王に仕える責務を早々に知れるのは良いことじゃ! よし、過分な名誉を許そうではないか! ぬははははっ!」


 これは──何かの冗談なのだろうか。成人の祝いとしてムカつく態度をした幼女を送るなど、両親は正気なのだろうか。……ていうか、人身売買じゃねぇのか、これ……。


 あっ、実は妹が出来てました的な……? 成人のめでたい祝いに重ねて、息子を驚かせちゃおう的な……?


 ……はーん。なるほど、それは結構、結構……。


 ──んな訳あるか! そもそも全然似てねーし! 誰なんだよコイツは!


 トラバルトはあまりにも突然な出来事に、混乱しかけていた。頭の中の言葉を一つも口にしなかっただけ、大人に成ったと言えるだろう。


「これ! なにを呆けておる! 早く妾に傅き、忠誠を誓わぬか! お主は既に妾の忠臣として結ばれた身なのじゃぞ! まったく、敬意がないのー、敬意が!」


 目を回す暇もない。腰に手を当てて、ふんぞり反っているチンチクリンをどうしたものか。トラバルトは救いを求める思いで、眉根を下げながら両親へ顔を上げる。


『まぁ、そういう訳だ! 息災にやってくれ、トラバルト! いや~、ようやく肩の荷が降りたな、母さん!』


『うふふ! そうねぇ! 子供が一人前になって、やぁっっっと親の責務から解放されたわ! これからは心行くまで遊び倒しましょうね、ア・ナ・タ! ウフフ!』


 顎が落ちた。開いた口が塞がらない。両親は混乱極まっている息子を余所に、いそいそと旅支度を引っ張り出している──準備してやがったぞ、コイツら!


「ちょっ!? 父上!? 母上!?」


 縋り付く悲壮の声を上げて、立ち去ろうとする両親を止める。二人は面倒くさそうに顔を見合わせて、渋々と振り返った。


『チッ……何すか? アルザエフさん……』


 成人した息子に、すっかり家長の座を譲る気満々の父親が、鬱陶しげにトラバルトを見て言い捨てた。コイツ……他人事だとばかりに息子を名字で呼びやがった……。つーか、お前もアルザエフさんだろうが!


「説明をして下さい! 何なんですか、この妙チクリンなガキンチョは!」


「み、妙チクリンじゃとぉ!? この妾の何処をどう見て、そんな戯れ言をほざくのじゃ!? 言ってみよ!」


「全部だよ! 妙じゃねぇ所がねぇんだよ! なんで箱に入ってんだよ! 出ろよ、そこ!」


「はぁ~!? ただの箱ではないが!? ジュエリアである妾を留める神聖な領地なんじゃが!? ふん……まぁ若い身空ゆえの浅学では見解もままならぬか……良し! 頭を垂れて平伏せよ! ならば許す!」


「うるせぇ馬鹿!」


「!? ヴァッ!?」


『──じゃあ、そういう事なんで……頑張ってくれよ、トラバルト! 父さんはたまに観光地から応援してるからな!』


『そうよ! 母さんも時々、貴方を思い出す努力はするから頑張ってね!』


「だから待てや! 応援してくれって言ってんじゃねぇんだよ! 説明しろって言ってんだよ! どういう訳なんだよ、これは!」


 トラバルトは大人に成りきれていなかった。留めていた言葉を、上下の関係もなしにぶち撒ける。それでも、掴み掛からないだけ大人に成ってはいるだろう。たぶん、おそらく。


「ば、馬鹿じゃとぉお!? 妾に向かって、何という口を利くのじゃこの戯け! お主の方が馬鹿じゃ! バーカバーカ!」


「お前は出てけよ! さっきから何なんだよ!」


「ほぅ、よくぞ訊いた! では、蟻の巣穴よりも小さな耳穴を傾けて拝聴するが良い! 我が名はグリシャ──」


『もう、良いっしょ。行こ、行こ、ほら』


『もう良いわよね。さぁ、行きましょ、行きましょ』


「ちょっ、ちょっと待って下さい! 待って! ──待てや、コラー!」


「妾の話を聴かんか、貴様ー!」


 両親の足を掴むトラバルトの足に、グリシャナントカが掴み掛かった。奇妙なムカデみたいに連結した全員が、それぞれ勝手な主張を喚き始める。トラバルトの大人に成ったという尊厳は既に粉々に砕け散っていた。


『『離してくれますー!? もう親としての責任は果たしたんで、自由にさせてくれますー!?』』


「一字一句間違えずにハモるんじゃねぇよ、この無責任共! 絶対に離さねぇからな、チクショウ!」


「離すも離さないもなく、お主は妾と既に繋がっておるわ! 案ずるでない!」


「お前とじゃねぇよ! ──なに? 何だって?」


 チンチクリンの不穏な発言に、トラバルトはうつ伏せの姿勢で振り返った。


 ──身体に金色の鎖が絡まっている。それは、喧しいチンチクリンが収まっている箱から伸びて、トラバルトを逃がさないとばかりに縛りつけていた。


「!? なんじゃあこりゃあ!?」


「なんじゃとはなんじゃ! 妾と従僕の契りを結ぶ神聖な呪いじゃぞ! 有り難く賜らんか!」


「呪いを神聖とは言わねぇよ! 何してくれてんだよ、離せ!」


「離せと言って、離せるものではないわ! これが妾を解き放ったお主の運命じゃ! 妾を共にするという光栄に咽び泣かんか!」


 ──運命だと? トラバルトは、さぁっと血の気が引いて、青ざめるのを実感した。


 それじゃあ、なにか。自分が今後、何処に行こうとコイツがくっついて来るって事か? 路上に吐き捨てたマスティハガムみたいに……。


『トラバルト! マスティハみたいにしがみつくのを止めなさい!』


『道端で踏んでしまった時と同じくらい不快よ、トラバルト!』


 息子の思考を読み取るどころか、お前はそれだと言い返してくる両親に、叫び声を上げた。怒りのあまりにそれは言葉となっていない。


「ぷー! マスティハじゃとさ! みっともないのー! ぬはは!」


 それじゃあ俺の足に引っ付いてるお前は何なんだよ! トラバルトは自分の足に引っ付いているマスティハにも絶叫を上げたが、それは当然として聞き取れるものではなかった。


 全員が相手を吐き捨てたガムだと罵り合う醜態極まる惨状だったが、ついに両親は鬱陶しい息子の手を振り払った。『やれやれ、やっと取れたか』と言わんばかりの顔は、まさしくマスティハを引き剥がした時のそれと同じだった。


『あぁ、そうだ、トラバルト。家の金なんだけど……ちょっと借りていくぞ。折角、労働から解放されたのに路銀に困っては本末転倒だからな』


 ……は?


『ほらぁ、働かざる者なんとやらと言うし、貴方も大人になったんだからお金を稼ぐ苦労をしなくちゃね』


 ……は??


『そうだね、母さん! 親として息子に出来る事はもう少ないからね!』


『寂しいけれど……これが親として、最後に貴方にしてあげられる事なのよ!』


「ハァアアァァアアア!?」


 倒れ込んだまま叫ぶトラバルトを見下ろす形で、両親はパンパンに張り詰めた革袋を我が子の様に愛でて頬擦りしている。間違いなく、あの中にはトラバルトが引き継ぐ全財産が入っている──ちょっとじゃねぇじゃねぇか!


「ふざけんなよ、コラァ!! どうやってこれから家の維持すんだよ!?」


「そうじゃそうじゃ! 意地汚い真似しよって! 妾に少し置いていかんか!」


「お前は関係ねぇだろ!!」


『……トラバルトよ……』


 怒り狂う息子の訴えに正気を取り戻したのか、地の底まで落ちた父の威厳が吹き返す。突き飛ばされた上、飛び蹴りまで食らわされた親子の距離がほんの僅かに縮まった。


『……金貸し足長おじさんって知ってる?』


「バカ野郎っ!!」


『借りた後の事は、借りた後に考えれば良いのですよ、トラバルト』


「後を考えるだけの暇を寄越せよ! 今困ってんだよ、こっちは!!」


「はぁ~。お主、余裕の無い男だのう。懐が狭ければ金の入る余地もあるまい?」


『『う~ん、わっかるぅ~!』』


「お前らがっ! 俺のっ! 余裕をっ! 狭めてんだよッッッ!!」


 床をダンダンと節操もなく叩いた訴えも、両親クズと足に引っ付いたマスティハには通用しない。ぶつける怒りをヘラヘラと躱す相手には、自分の地位を上げて寄せ付けない他ないのだ。


「ちくしょう! 見てろよ! 絶対に金持ちになって、お前らを見返してやるからな!」


 未だ少年で通じる歳に、トラバルトは薄暗い情念を燃やした。将来の夢やマンカラボードゲームに熱を上げる同世代とは違う方向に、その若い熱量は傾いていく。


『……我が息子よ。その時は──』


 威厳たっぷりに父が姿勢を正す。もう息子として尊敬する想いは微塵も無くなっていたが、家長として培ってきた振る舞いが僅かな期待をさせる──いや、もしかしたらもしかするかもしれない。


『『お金貸してね!!』』


「クソがッ! とっとと出てけよ! チクショウッ!」

 

 もしかしなかった想いに、トラバルトは突っ伏して叫んだ。両親のイチャつく笑い声を耳にしながら、トラバルトは背中の重みにうんざりと気落ちしてしまった。


「まぁまぁ、そうしょげるでない。お主には新たな人生が開かれたのだぞ? 胸を張って励むが良い……この、ジュエリアであるグリシャルディに仕える事をな! ヌワーハッハッハ!」


 いつの間にか背に股がって、高笑いをしているアホに、トラバルトは何かを言い返す気力も無くなっていた。彼に残ったのは素寒貧の家と、クソ生意気な頭のおかしい幼女だけだ。


 調子に乗ったグリシャルディに頭をペチペチと叩かれながら、トラバルトは思う──。


 ──莫大な金さえあれば、目の前の苦悩など掻き消えるのだと。


 そんでもって──人の上でいい気になっている、ムカつくコイツは本当に誰なんだと──。

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