第3話 この宝箱は呪われているので離れません。
残骸の山を蹴散らす衝撃に、トラバルトの意識は奪われた。よって、中空に放った宝箱は受け止められる事なく地面に落ち、『ぎゃん!』っと鳴く中身が吐き出された。
❮ブモォオオオ! 貴様ら! 俺様の寝床で何をしている!!❯
ミノタウロス──牛頭の巨人が出現。ラビリンスを探索する生け贄に振るう両刃斧を手に、魔物は憤り叫んでいる。
「寝床……牛の……やはり此処は家畜小屋か!?」
「なにぃ!? 家畜小屋じゃと!? 女王である妾が眠っていたラビリンスのフロアが家畜小屋な訳──家畜小屋じゃー! 此処ー!!」
這いつくばりながら辺りを見回したグリシャルディは、今更ながら自分が数百年に渡って眠っていた場所を知った。どの様な経緯があって置かれたのかは知る由もないが、当事者である彼女は酷く落ち込み、そのまま突っ伏した。
❮ブモッホッホッ! 此処がラビリンスだと!? 確かに此処はラビリンスの一部ではある! だが、末端も末端であり、【黄金宮】には掠りもせん! 言うなれば場末のゴミ溜めよ!❯
「ば、場末のゴミ溜め……場末のゴミ溜めぇー!」
❮ブモーホッホッホッ!❯
高笑いするミノタウロスの言葉に、グリシャルディは殊更に落ち込んで、顔を伏せながら足をバタつかせた。トラバルトは良い気味だと腹の内でほくそ笑みながら、明確に敵意がある魔物に向き直り、腰の剣へ手を掛ける──。
「……自分で言ってて悲しくならんのか……?」
❮悲しい! 自分で言っておきながら心苦しくなってしまった! 故に貴様らから金を剥ぎ、寝床の具合を良くするとしよう!❯
雄叫びと共に、両刃斧が振り上げられる。トラバルトもそれに応じて剣を引き抜いた。
強烈な金属音と火花が散る。両刃斧と剣の衝突。傍目からしても、金属の厚みの違いから、どちらが競り負けるかは明白だろう。だが──。
❮ブモォッ!?❯
ミノタウロスの両刃斧が弾かれた。明らかに金属の強度において負けるであろう衝突に、トラバルトの剣が打ち勝ったのだ。
体幹を崩し、たたらを踏むミノタウロス。しかし、トラバルトは追撃しない。いや、追撃が出来ないのだ。金貨を消費して剣に施していた願いという魔法が消えてしまっては。
「……金貨五枚程度では、防げても叩き割れんか。ケチるのではなかったな……」
そう言って、腰に提げている革の筒袋から金貨を十枚抜き取った。今度はより強固に、両刃斧ですら砕く願いを施すために。
全ての金貨には、対価として釣り合うだけの量さえあれば所有者のどんな願いをも叶えるという魔法が仕込まれている。
これは、ジュエリア達の支配以前よりも前から続く〝対価の絶対法〟であり、金貨の消費によって力を発現する手段は常識だった。
つまり、トラバルトは金貨二枚を用いて剣に強固な力を願い、その分だけの対価を得ていたのだ。
斯くして金貨は対価に応え、ミノタウロスの巨体から放たれる一撃すら耐え得る力をトラバルトの剣に与えた。だが、願いは一度成就すれば消え去るものだ。トラバルトの剣には再びミノタウロスの一撃を防ぐ力は無く、もう一度金貨を用いて願わなくてはならなかった。
そう──トラバルトは打ち合いに耐え得るだけの力を与えよと願っただけなのだ。ミノタウロスの膂力に打ち勝つだけの力など願っていない。
❮モォオ! なんという馬鹿力だ! 俺様に力で打ち勝つなど──え、怖っ! 貴様、本当に人間か!?❯
「なんという力馬鹿じゃ! とんでもない脳筋じゃ!」
ミノタウロスとグリシャルディが唸る。色んな意味で唸る。ただの人間が腕力で魔物に敵う筈もないのだから当然だ。はっきり言って異常である。
トラバルトの腕力は金貨による一時的な願いではなく、彼自身が渇望し叶えた力だった。決して積み重ねた金貨では得られない恒久的な願いを、彼は自力で獲得していたのだ。やはり、はっきり言って異常である。
「フン……多くの金貨を使い潰しながら、ラビリンスを攻略する貴族共と一緒にするな……。まったく……自らを鍛え上げれば、金貨の消費は自ずと抑えられるというのに……私の他に誰も気付かんとは嘆かわしい限りだ……!」
トラバルトは周囲の無理解を大袈裟に憂いて首を振るった。それは却って、自らの境地を自慢げに語っているも同然である。結局のところ、ただの筋肉馬鹿でしかないのだが。
❮モォオ……! なんというバカだ……! 自分がブッ飛んでいるだけなのに、他者を見下ろして愉悦に浸っている……!❯
「何やら格好つけておるが、とどのつまりは信じられん程の筋肉バカという事じゃろ! 誰も彼もがお主のような肉達磨になったら、地平線が筋肉で埋め尽くされてしまうわ!」
「ハハハッ! 消費した金貨程度には、貴様らの価値を期待してやる……!」
ドン引きして後ずさる魔物と魔者である二者に向かって、トラバルトは真顔で笑い掛けた。屈強な肉体の素晴らしさを理解しない愚か者共め。
トラバルトは寧ろ、こいつらは幸運なのだと思うことにした。筋肉の偉大さを理解するには、やはり身をもって知る他ないだろう──そう、むさ苦しい力を願い、手の内にあった金貨を消費した。
トラバルトの妄執が輝きとなって剣に宿る。自らの腕力も重ねれば、金貨の力はより長く持つだろう。
両刃斧を叩き割れる程の剣撃ならば、強靭な魔物の身体にも容易に通じる筈だ。そして──屈服させた牛の魔物に筋肉の素晴らしさを説くのだ。
なんせミノタウロスは……とても良い身体つきをしている……。恐らく……いいや、必ず、真理への理解は早い事だろう……。
❮……モッ!? なにやら貴様から言い知れぬ寒気を感じるぞ! 金貨の力を得たとはいえ、大した重圧だ! ──よかろう! 敬意を表して俺様もそれに応えてやる!❯
トラバルトが放つ力の出所を誤解しながら、ミノタウロスは両刃斧を片手に持ち──もう片手を腰布の中に突っ込んだ。
側面ではない。真正面である。
「ぬわあぁっ!? バッチぃい! 人前で何をしておるのじゃ、この牛面の変態は!」
❮バ、バッチくなどないわ! 三日前に洗っている! というか──さっきから喚いている貴様は、俺様が此処を寝床に決めた時には捨て置かれていた宝箱の中身ではないのか!? ゆうに半世紀は放られていた奴に言われたくないわっ!❯
「なぁあ!? こ、この妾が! この宝石の女王たる妾が獣臭いお主よりも汚いというのか!?」
❮モホッ!? ブモーホッホッホッ! 貴様が彼のジュエリアだと!? あまりの小汚なさに、触れるのも躊躇っていた箱の中身が!? これは傑作だ! 家畜小屋と罵った俺様の寝床に捨て置かれていたバッチぃ居候風情がほざきよるわ! モーホッホッホッ!!❯
「うっがぁああ! 斬れっ! トラバルト! この牛面を斬れぇっ! 宝石の女王であるグリシャルディが命じる!!」
「喧しいぞ、貴様らっ!!」
攻撃の機を、すっかり見失ったトラバルトが両者に怒鳴る。というより、股間の辺りに手を突っ込んで挑発的に笑うミノタウロスが奇妙でならなかった。……嫌な予感が過る。
まさか──二刀流──。
❮馬鹿め! 我が斧の二振りでも予想したか! これを見るが良い!❯
図星をつかれたトラバルトが一瞬たじろいたが、ミノタウロスがむんずと掌一杯に取り出した物を見て、毛が先立つ思いをした。真面目な話である。
──金貨だ。溢れんばかりの金貨が、ミノタウロスの掌一杯に乗っている。トラバルトが消費した金貨など比較にならない量の金貨が、ミノタウロスの手にあった。
❮これで俺様は、斧と自らの肉体を強化する! 貴様の剣など微塵も通らんぞ!❯
言う必要も無い事を口にして猛るミノタウロスに、トラバルトは鼻で笑いながら革筒を逆さに返した。大量の金貨を前にして闘うのであれば、当然それに釣り合うだけの消費をしなければならない。
そう、いくら自身の筋肉を自慢に思っていようと、金貨を消費し合う闘いに、出し惜しみする場など無いのだ──。
「ふっ……やはり──空だ……」
──出し惜しむどころではなかった。
トラバルトは哀愁たっぷりにそう呟いて悄気る。革筒は金貨の小気味良い音を立てる事なく、咳き込む様に埃を散らした。
ミノタウロスがその様を大声で爆笑し、グリシャルディは唖然と口を開ける。開いた口が塞がらないといった感じに。
「お主、くそ貧乏ではないか! ラビリンスを攻略するのに金貨を十枚ちょっとしか持って来れなかったのか!?」
「……金貨などに私は頼らない……鍛え上げたこの肉体がだな──」
「それはもう良いわ、戯け! というか頼ろうとしたではないか! 牛面の変態と闘うのに、おもいっきり金貨に頼ろうとしたではないか! どうするのじゃ、あの金貨の量!」
「フン……。小賢しくも我が家の貯蓄と同量に見える。……貴族の私と比肩する財力を持つとは……侮れんな……」
「な──なぁにぃ!? お、お主貴族なのか!? 金貨十枚とちょっぴりしか持ってないのに、貴族だと言いよるのか!?」
「そうだ! 私はトラバルト・シェバー・アルザエフ辺境伯! ……家畜小屋に住まう魔者風情が、こうして話せるのを光栄に想うんだな……!」
「うるさいわ! この貧乏伯が! 人の事を散々騙りだと抜かしておきながら、お主の方がよっぽど騙りっぽいではないか!」
「なんだと、貴様!! この私を騙りだと言うのか!? おのれっ! 私にもっと金貨があればそんな減らず口──!」
「それ妾が言ってたやつー! お主、まるっきり同じこと抜かしておるぞー! パクリじゃー! パクリなのじゃー!」
❮モォーホッホッホッ! つまりは似た者同士の愚か者と言うわけだな!❯
「「黙れっ! 牛面の変態がっ!!」」
❮モォッ!?❯
ぎゃあぎゃあと喚き合って、収拾がつかなくなりつつある状況に、ミノタウロスがついに憤った。寝床で散々に騒がれたあげく、変態呼ばわりされればそうもなるだろう。
❮モォオオオ! 言うに事欠いて、人を変態呼ばわりとは随分な面の皮をしているな!? 剥ぎ取ってやる! 貴様らから何もかも剥ぎ取ってくれるわぁああ!❯
ミノタウロスの掌が眩く輝いた。金貨に願って力を得たのだ。少なくとも、目の前にいる小うるさい二人を叩きのめせる程度には力は寄越せと。
──それと同時にミノタウロスの腰本も光輝いた。どうやら掴み損ねがあったらしい。
「ヌワァアアォオオオ!!」
グリシャルディが絹を裂いた悲鳴を上げながら、光輝く局部へ水桶を投げつけた。直撃をくらったミノタウロスが、内股のくの字になって呻く。トラバルトもその衝撃を目の当たりにし、連れて内股気味になった。
❮いったぁああ!? やめろ! そういう事は! 心の臓が縮むだろうが!❯
「縮め! 縮んでしまえ! 粗末なナニを猛らせるな馬鹿者! 女王たる妾を前に、なんという下賎な真似をするのじゃ! この変態! ド変態!!」
グリシャルディが喚き散らしながら、手当たり次第に色んな物を投げつける。怒りと恥辱に薄褐色の肌を染め上げながら、ひたすらに局部へ物を投げる。投げ続ける。ハチャメチャにぶつけまくる。
❮や、やめろ! モォ……やめ! や……やめろ、貴様ぁああ!!❯
ミノタウロスが仰け反りながら叫ぶ。その意思と願いに呼応して、掴み損ねて眠っていた金貨がいっそうに輝いた。光の柱がフロアの天井を破らんとばかりに聳え立つ──。
「ギャアアアアッ!! 斬れっ! トラバルト! あの痴れ者を早く斬れぇええ!!」
絶叫するグリシャルディの前で、内股気味になっているトラバルトが冷や汗をかいていた。金貨の山を見せつけられた時よりも、遥かに具合の悪い顔色をしている。
「……勝てん……あんなモノを見せられては……とても……」
──トラバルトの後頭部に木の板がぶつけられた。『何をする貴様っ!』とトラバルトが怒鳴ったが、涙目で赤面になっているグリシャルディの気迫に圧され、言葉を詰まらせる。
「戯けぇ! お主はナニと闘っておるのじゃ!? ナニをナニしてナニする闘いではないじゃろうがぁ!!」
「……む! 確かに……その通りだな……!」
肩を震わせたグリシャルディの必死な叫びに、トラバルトは我に返って構えた。背後でグリシャルディが『この馬鹿者がー!』と喚き散らしている。男の自尊心を馬鹿扱いとは……まったく呆れたモノだ。
❮モホホッ! 俺様の黄金の輝きに恐れ戦いた貴様が勝てると思うなよ!❯
「ふん……既に一度敗れたと感じた身だ……二度は負けん……!」
「だーかーらー! 妾の前で下衆な話はやめんか!」
宝箱の縁をばんばんと叩き、女王の御前だと不敬を訴える。尤も、トラバルトもミノタウロスも、そんな話は全く信じていないのだから聞く耳などない。
二者は同時に踏み込みながら、自身の得物を振り下ろす。真面目な話である。金貨の力が付与された剣と斧がちゃんと衝突した。
真っ向から打ち合えば、トラバルトの剣は確実に砕けるだろう。だからこそ──トラバルトは両刃斧を打ち落とし、金貨による力をぶつけ合うのを上手く避けたのだった。
❮ブモッ!?❯
地面にめり込んだ両刃斧を引き抜こうと、ミノタウロスが鼻息を荒げる。その隙に距離を詰めたトラバルトが、渾身の力を剣に込めて叫ぶ。
「……金貨となって四散しろ! 牛面っ……!」
ラビリンスの魔物は、金貨が秘める魔力を媒介にして出現する。打ち倒せば当然、そこに残るのは大量の金貨だ。
つまり、トラバルトの台詞には『我が家の貯金になぁれ』という含みもある。ミノタウロス程の魔物から生じる金貨の量となれば垂涎ものだろう。
トラバルトは早くも口の端を涎でみっともなく濡らしながら一閃を放ち──剣を折った。
やはり。というより当然として、強化されたミノタウロスの身体に、剣が耐えきれなかった。如何に能力を筋肉に振り分けようと、越えられない壁は確実に……というより絶対に在る。
「──お主……年甲斐もなく『決まった!』とか思ったじゃろ? ……そこな魔物が馬鹿正直に自身を強化すると言っておったのにも関わらずっ!」
❮……モォ……なんでイケると思ったんだろうな、コイツ……。つい言っちゃった俺様も相当にアレだが……それ以上にコイツは……何だか結構アレな感じだな……!❯
グリシャルディが、憐れみの眼差しを向けながら言った。ミノタウロスも同様の視線をトラバルトに向けながら追い討ちを掛ける。波打った髪に隠れてはいるが、トラバルトの頬は恥辱にハッキリと赤みがかっていた。
「……ふっ。私も……まだまだ未熟な様だな……」
「……どの部分でじゃ?」
❮頭だな!❯
自らの力量を潔く恥じるばかりだと誤魔化すトラバルトに、意見を合わせた暴言と両刃斧の腹が叩き込まれた。
柄で直撃を防いだものの、勢いに負けたトラバルトの身体は残骸の山へと吹っ飛ぶ。それに引き寄せられて、グリシャルディも突っ込んでいった。
「ぬわぁっ!」
「ぐふっ!」
ゴミ山の中で二人は衝突して目を回す。盛大に散らばったクズを頭から被り、揃って見るも無惨な有り様となった。
❮モッホホホッ! 馬鹿者同士、似合いだぞ! それにどうやら貴様らは呪いで繋がっているようだな! どちらを仕留めようと、俺様は纏めて金貨を手に出来るという訳だ!❯
「……なんだと?」
ミノタウロスの言葉に、トラバルトが怪訝な顔をグリシャルディに向けた。
魔物を除き、ラビリンスで倒れた生物は命の代替として、所有物全てを金貨に換えられて放り捨てられる。命や魂といった不定形な信用価値は、ラビリンスという公的な場に於いて換金に適さないからだ。
つまり、本来ならばラビリンスで倒れようと、頭の天辺から爪先までの所有物を金貨に換えられて剥ぎ取られるだけで済む筈なのだ。……グリシャルディという傍迷惑な呪いさえなければ──。
「……ちょっと待て……お前が倒された場合、私は魔物と同じ扱いとなる訳か……?」
「……ま、まぁそうじゃな。呪いで繋がっているという事は、等価値として結ばれているという意味でもあるからのう……プ、プヒュ~♪」
「……金貨を媒介にする魔物と同じく、呪われた人間という存在は、金貨となっても復活するのか……?」
「え? 普通に死ぬが? 当たり前じゃろ──はぅあっ!!」
「それを先に言え貴様ぁああああ!!」
「ぬぁああああ!! ぬぅわぁあああ!!」
宝箱ごと激しく揺すぶられ、グリシャルディが悲鳴を上げた。それ以上にトラバルトの内心は叫んでいる。
魔物は金貨に換わろうが、いずれはラビリンスで復活する。願いを叶えて消費された金貨は、ラビリンスに還元されるように創られているからだ。
多くの願いによって、多くの金貨が消費される循環。そうしてラビリンスの財宝は肥え、それを求める者の前に、等しい強さを持って魔物が立ち塞がる。あらゆる存在に等しい価値を与える、前時代からの法として。
だが、底無き欲望の根源とも言える人の魂だけは、金貨の価値と結び付けられなかった。存在すると信じているだけの概念に、価値を決定付ける信頼的根拠が何処にも無かったからだ。
しかし、呪いによって結び付き、等価値だと法を書き換えられたのならば、トラバルトという人間の価値はグリシャルディという魔者によって決定付けられている。
つまり──グリシャルディがラビリンスで金貨となれば、トラバルトもそれだけの金貨に換えられてしまうのだ。
それを今さら知った。となればトラバルトが血相を変えるのも無理はない。グリシャルディを守らなければ、自分が死ぬのだから──。
ていうか、なんでそんな重大な事を言わねーんだよ、コイツは!
怒りと焦燥に混乱しつつあるトラバルトは、グリシャルディを激しく揺すり続ける。『あばばばば』と呻き、白目を向きながら泡を吹こうが気にも留めない。守らなければいけない存在を、自らの手で倒してしまいそうな勢いである。
❮モッハッハッハッ! 覚悟は決まったか、間抜け共! さぁ、どっちを仕留めてやろうか!? 俺様を変態呼ばわりして、紳士たる分身を痛め付けてくれたボロ箱の馬鹿ガキか! それとも筋肉に冒された脳みそで剣を振り回すアホの貴族か! 貴様らがどちらかを選んでも良いのだぞ! モーハッハッハッ!❯
高笑いしながらミノタウロスが迫る。渾身の一撃をトラバルトは食らわせていたが、それでも全身をうっすら覆う金貨の力は引き剥がせていない。局部の光の柱も元気よく健在だ。
トラバルトは舌打ちし、グリシャルディをゴミ山に埋めるように脇へ放った。自分一人なら何とか出来るかもしれないが、足手まといの魔者がいては手段が限られてくる。
どうにかしてコイツを守らなければ──。
❮モッハッハッハッ! 無駄な足掻きを! そいつを避けたところで貴様に手立てはあるまい! 全く、情けのない貴族だ! 見当違いなラビリンスに潜り、〝ミミック〟なんぞに呪われるとはな!❯
ミノタウロスの御機嫌な高笑いは止まらない。死の間際だが、トラバルトはそれでもガラクタの山の中に何かないかと後ろ手に探り続ける。
今や光の柱は、トラバルトの眼前に迫っていた。やはり……こんなモノを相手にしては勝てないのも無理は──。
「誰がミミックじゃと?」
ゴミ山の中から、すっくと立ち上がったグリシャルディが呟いた。何やら先までと様子が違う。ミミックという蔑称に、グリシャルディは過敏な反応を示している様だった。
❮ん~? この場に箱詰めになっている間抜けが他にいるのか~? モッハッハッハッ! 貴様だ貴様! ボロ箱が似合いの薄汚い娘である貴様の他にミミックはおるまい!❯
すっかり勝利者の立場となって酔っているミノタウロスには、ざわついた空気が感じ取れないらしい。肩を震わせながら静かに笑っているグリシャルディに、トラバルトは目を瞬かせた。
「くっくっくっ……そうか、そうか……。このトライアドのジュエリアである妾を、あんな下賎で矮小で凡愚な痴れ者の俗物と同列に呼ぶか……くっふっふっ……そうかそうか……」
ミミックへの只ならぬ怨嗟をグリシャルディは抱いている。箱に住まうものとして何らかの確執があるのか、あるいは自身を女王と騙るうえで、ミミックと並べられているのが気に入らないのか。
ともかく──グリシャルディはキレていた。ミノタウロスもようやく、事態の変化に気付き、歩みを止めている。
❮モッ……なんか、すま──❯
「ヌッガァアアアア!! 許さんっっっ!! ぜぇッッたいに許さァァアアンッッッ!! 伯爵!! お主の剣を寄越せぇぇええ!!」
「あっ、はい……!」
怒りにはち切れた勢いに圧され、トラバルトは折れた剣を献上した。柄しか残っていないそれを手に、グリシャルディは何をしようというのか。
まさか──振り回しながら突っ込む気じゃないだろうな……。トラバルトが冷や冷やとそう思った瞬間──折れた剣がグリシャルディの手の内で輝き、三枚の金貨に換わった。
驚いた事に、グリシャルディは剣を換金したのだ。ラビリンスが攻略に敗れた者の所有物を、金貨に換えるのと同じ様に──。
唖然とするミノタウロスとトラバルトを他所に、『やっす!』とグリシャルディが唸る。折れたせいで半値以下になったのだとトラバルトは訴えたかったが、そんな間もなく三枚の金貨は消費され、グリシャルディの手に尋常でない黄金の光が宿った。
❮モォ!? ま、待て! なんだその魔力の輝きは!? 金貨三枚の対価ではないぞ!❯
「やかましい! 妾にとってはこれが、金貨三枚の対価じゃ! よぉおく拝んでおくが良い! 目覚めの時、ジュエリアである妾に、二度と戯言を吐けぬようになぁああああ!!」
光に溢れる手を掲げた後、一息に弓の構えをとる。引き伸ばされた魔力の光が、金色の矢となってミノタウロスを狙い定めた。
❮待て待て待て! モォーちょっと話し合おう! そうだ、金貨! 金貨が欲しいのだろう!? 消費していない金貨が未だある筈だ!❯
両刃斧を手放して慌てるミノタウロスに、グリシャルディは微笑んだ。捧げられた金貨の量によってはミミック呼ばわりした不敬を赦してやらんでもないといった感じで。
「ほほぅ……! それは何処にあるのじゃ? 妾を充分に満足させられるのならば、今回の事は不問にしてやろう……!」
グリシャルディの寛容な脅迫に、一縷の望みを得たミノタウロスは笑顔で──すっかり萎え気味になった光の内に、手を突っ込み──叫んだ。
❮ほら、あったぁ!!❯
「要らんわ痴れ者がぁああああああ!!!」
❮モォオオオ!! やっぱりダメかぁああああ!!❯
放たれた金色の矢が、ミノタウロスの逞しい胸を突き抜ける。その瞬間、ミノタウロスは光輝き、大量の金貨となって散らばった。ミノタウロスという脅威に比例する相当な量の金貨である。
「わーはっはっはっ! スッキリしたぞ! やはり不敬な輩を罰するのは、女王の務めじゃのう!」
ボロ箱の上で腰に手を当て、機嫌良くグリシャルディが踊る。その足下でトラバルトは何が起こったのかと目を丸くしていた。
金貨の消費によって得られるのは、あくまでも願いによる想像の範囲までである。グリシャルディが放った力は、到底願って得られるものではない。それこそ、〝魔法〟という命や魂といった概念に位置する超常のものだった。
【黄金宮】を築き上げ、大陸を支配していた宝石の女王でもなければ不可能な力──まさか本当に、ボロ箱に入っていた幼女はジュエリアなのか──。
「ほれほれほれぇ! どうじゃどうじゃ! 見たであろう、妾の力を! たった金貨三枚じゃぞ! それでミノタウロスという難敵を打ち倒すのだから、やはり妾はスゴいのう! いや、スゴ過ぎるのう! ぬはーはっはっは! 今後はしかと敬意を持って接するのじゃぞ伯爵! であれば、ジュエリアにして偉大なる支配者である妾ことグリシャルディは、十分な見返りを与えてやるぞ! なんせお主は、復活した妾に仕える従僕第一号なのじゃからなぁー! ぬはは! ぬわーはっはっはっ!!」
──いや、違うな。だとしても認めん。絶対に認めん。こんな調子こきの小生意気な幼女が、大陸を支配していた女王である筈がない。というか滅ぶ以前に建国自体ができるのか? こんな奴に……。
「……ぷ、ぷふーっ! 思えばお主は、金貨三枚で救われた命じゃのう! 価値を量れぬ命という概念を持ちながら……き、金貨三枚とは……んふっ! や、安っ……やっすいのぅ、お主の命は! ぬはははははっ! ぬはーはっはっは!」
涙目になるほど大爆笑するグリシャルディに、トラバルトが笑い返す。確かに命を救われたのだ。それは事実として揺るぎなく、認めなければならないだろう。……金貨三枚分の折れた剣すら無かった場合、お前はどうするつもりだったんだよ、バカ野郎──という言葉は飲み込んでおくとして。
「あぁ……そうだな、私は金貨三枚で貴様に救われた……。せめてその見返りに、ミノタウロスの金貨は全て献上しよう……」
「おぉっ! ようやく妾との立場を理解したか! うむうむっ! 重畳であるぞ伯爵! まぁ、脳筋なだけあって、少ーしばかり物分かりが悪かったようじゃが、寛大な妾は大目に見てやるぞ! ぬははははっ!」
「……ああ、本当にすまなかったと思っている。……だからせめて、一枚として余すことなく金貨を恩人であるお前に捧げたい──ミノタウロスの腰元に仕舞われていた金貨も含めてなぁ!!」
突然、トラバルトが金貨の山へと走り出した。その様子を何事かと、グリシャルディはきょとんとした顔で見て──すぐに青ざめた。
「まっ──」
金貨の山を越えたトラバルトに引き寄せられ、グリシャルディが金貨の山へと突っ込んだ。ミノタウロスの何処に隠されていたか判らない金貨が混じる山へと──。
「ぶぇえええ!! 口にぃ! 口に入ったぁあああああ!! ぶぇええええ!!」
涙目の半狂乱に陥ったグリシャルディが、薄桃色の舌を突き出しながら叫ぶ。口に入ったそれがミノタウロスの局部で温もっていた物かどうかは判らないが、判らない以上、金貨の山という垂涎の対象が全てそうであると考えるのが当然である。ワイン樽に汚水が混じれば、即ちそれは全て汚水なのだから。
「遠慮するな! いいや、しないでくれ! 金貨三枚で救われた命には荷が重い財宝だ! この全てを、女王である貴様に捧げる! ほら、宝箱にも入れてやろう!」
トラバルトの大きな両手で掬い上げられた大量の金貨が、グリシャルディの宝箱に注ぎ込まれていく。ミノタウロスのナニにナニしていた金貨が混じっていなければ、グリシャルディはさぞ高慢な高笑いを響かせていただろうが、混じってしまっている以上、善意を皮にした完全な嫌がらせに悲鳴を上げるしかなかった。
「んぎゃああああ!! やめろぉおお!! やめんかぁああ!! 妾の領土に入れるなぁあぁあ!! 此処は神聖な寝床でもあるのじゃぞぉおお!! 入れるでないっっ!! 入れるなぁあああぁあああ!!」
触りたくはないが、掻き出すには触るしかない。グリシャルディは悲鳴を上げながら、必死に欲しがっていた金貨を放り出す。
面白い事に領土というだけあって血相を変えているし、何より都合の良い事に、入れた金貨は宝箱にどんどんと飲み込まれていく。
宝箱もラビリンスの魔者であるグリシャルディの一部という事なのだろう。となれば、今のグリシャルディはミノタウロスまみれになって浸かっているも同然だった。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!! ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!!!」
すっかり金貨の山を飲み干した宝箱の中で、グリシャルディは四つん這いになって叫んだ。小さな身体の何処にそんな汚ならしい発声機能があるのか。
ともかくトラバルトは小馬鹿にされた分は報いたと、すっきりした良い気分になって煌びやかな額の汗を拭った。
「……金に貴賤は無いぞ。有り難く取っておくんだな……フフッ……!」
「だからと言って汚れた金は嫌じゃー! 妾は楽に清らかな金が欲しいのじゃーっ!」
グリシャルディが宝箱の中で突っ伏しながら喚き、『牛くさッ!』と反射的に顔を仰け反らせる一方で、心なしかボロ箱の方は少しばかり輝いて見えた。
宝箱自体は主人の意思に反して、金貨を得られた事に満足しているのかもしれない。金は金だという至極明快な現実を、グリシャルディの片割れは受け入れている。
「ふん……! 表に出たら好きなだけ洗わせてやる……! 貴様の呪いについてあれこれ考えるのは、その後だ! くそ……他の貴族でもよいものを、どうして私が……」
眉根を下げたトラバルトが小さく文句を口にする。貴族共にラビリンスの攻略を擦られ、宝石の女王を騙るポンコツに呪われれば悪態の一つや二つは出るだろう。……まったく、今日は酷い一日だ……あれこれ考えるべきなのだろうが、今は早く帰って休みたい……。
「ん……? 他の貴族じゃと? では、お主──他の連中に攻略をブッチされたのか!?」
宝箱の中で悄気ていたグリシャルディが、トラバルトの呟きを聴くと、爛漫の笑顔を見せて──噴き出した。
「……ぬ、ぬはははは! お主、他の連中に嫌われておるのか!? 通りでラビリンスに単身挑むなど、可笑しな真似をしておる訳じゃ! ヌハハハッ! 情けないのぅ! なっさけないのぅ! ぬははははっ!」
狭い宝箱の中で〝へそ天〟しながら、グリシャルディが笑い転げる。暫くして満足すると、今度はひーひー笑い泣きしながら、哀れみ蔑んだ眼差しでトラバルトの尻辺りをポンポンと叩き始めた。まるで、強がっていじける相手を慰めるかの様に。
「まぁまぁ……そう嘆く事はないぞ伯爵。この慈愛に満ちた妾が、可哀想な従僕に寄り添ってやろうではないか。呪いによってこうして繋がったのも何かの縁……【黄金宮】の再興が成るまでは、お主が貢ぐ金貨次第で〝お友達〟にでもなってやろう……。感涙に咽び喜ぶのじゃぞ──ボッチ爵! ヌワーハッハッハッ──ぬがっ!」
「数百年ボッチだった奴が私にそう抜かすのか!? 経年で劣化した錠前と同じく、閉じられん口をしているのか!? ならば縫い合わせてやるぞ、貴様ぁあああ!」
トラバルトはグリシャルディの小さな口にぶっとい指を突っ込んで、左右に頬を引っ張った。自分が言うならともかく、他人に言われると腹が立つのが図星である。ましてや、自らを女王だと思っているヤバめな幼女に言われれば尚更だった。
「いひゃい! いひゃい! ひゃめんか、ひゃわへものー!」
「私はもう、疲れたと言っただろう!? 早く帰って休ませろ! 解ったか!? 解ったかと訊いているッッッ!!」
「ひぃてない! ひーてなひぞ! いひゅひっひゃかひっへひろぉー!」
「……む! …………。………………。……いつなど関係あるかァアァアア!!」
「はんへーはるふぁー! はんへーはるひひひゃっへるひゃほー! んふぁあああ! ひゃめんはあぁあああ!」
頬を引っ張られていたグリシャルディが光輝くと、トラバルトは声もなく吹っ飛ばされ、ラビリンスの入り口を魚の如く跳ね回りながら外へと飛び出していった。
「ぬはーはっはっはっ! ざまーみろ! 良かったのう、伯爵! 早く帰って休みたいという願いを叶えてや──」
ほんのり赤くなった頬を擦りながらグリシャルディは高笑いしたが、足元の違和感に言葉を失った。
宝箱が──今まさに駆け出さんとする猛牛の如く震えているのだ。その戦慄きは、先まで争っていたミノタウロスの部分的な荒ぶりに勝っている。グリシャルディは一周回った諦めの境地で静かに目を閉じ、乾いた声で笑った。
「ぬははっ……なにやら既視感──」
覚えのない覚えを口にしたグリシャルディの姿が瞬間的に消え去った。そして、激しい衝突音と間延びした悲鳴を響かせた後、ラビリンスの外で『ぐふぁ!』『ぬぐぉ!』と間抜けな声が重なった。
『ふ、ふふっ……の、呪いの力……想い知ったであろ……ぬ……?』
『き、貴様……このバカや……む……?』
『…………』
『…………』
『『………………なんかスゴい覚えがある、これ──』』
二人は身に覚えのない覚えを口にしながら、仲良く白目を向いて気絶した。
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