第2話 呪いを解いて欲しけりゃ、金払え。

 ……誰も来ないだと……どうなっている。


 渓谷に発見されたラビリンスへの入口前で、トラバルトが唸った。諸侯と供にラビリンスを攻略する時刻はとっくに過ぎている。


 まさか……されたというのか? この私が……!? そう想うとトラバルトの唸りは増々と強まった。


 諸侯の中でも財力は決して優れてはいない。だからこそ、忠臣たれと務めてきた自負がトラバルトにはある。それをよもや妬み、この様な所業に至るとは、全く度しがたい。


 よかろう。貴族シャリフの在り方とは持たぬ者のために施す事だ。卑しくも、その枠の中に在りながら、高貴な精神に欠ける同胞達に代わって務めを果たしてやる。


 その施しが、比類無き傑物であるという証明になるだろう──トラバルトは、そう意気込んでラビリンスへと踏み込んでいった。


 ラビリンス……旧時代の文明に栄えた【黄金宮】の残骸。あらゆる大陸を支配し、〖ジュエリア〗と称された宝石の女王達の居城。


 それは、幾ら掘ろうと底が見えない黄金の深淵だ。名残からかつての栄華を馳せるに、亡び去るなど女王達は想いもしなかっただろう。


 の要である黄金を貢がせ続けるという支配。


 その暴挙によって、どれ程の財が築かれたのかは、広大なラビリンスの全貌が物語る。攻略など、それこそ諸侯が一丸とならねば不可能な──。


 いや、待て。トラバルトは地下深く続いていくの洞窟を降りながら想った。


 ……浅い。浅くねぇか、此処……。これまでの経験に無い衝撃に、トラバルトの無愛想な顔がいっそうに眉根を寄せた。本来ならば眼前に、果てしなく続くラビリンスの全貌があった筈だ。


 ところが降りた其処は、狭苦しいフロアだった。地下水の侵食によって道を塞がれたにせよ、元々が狭すぎる。これでは深淵どころか……浅瀬だ。それも子供が足着く位の。


 こんなところを攻略せよと、王は諸侯に呼び掛けたのか? 確かにラビリンスでは何があるか判らない。黄金から生まれた魔物と対峙する可能性は十分にある。だが、流石にこれで呼び掛けたのは大袈裟ではないだろうか。


「……! そうか……」


 トラバルトは納得した。自分を除いた諸侯は知っていたのだ。大勢で押し掛けるような場所ではないと。ならば、アルザエフ伯に押し付けてしまえと。


 そして恐らく、王もまたラビリンスの規模を知っていて敢えて命じたのだ。諸侯の忠義を量り、真に大規模な攻略を始めた際には一丸となれるのか試すために──。


 トラバルトは諸侯への憤りを感じずにはいられなかった。なんという背信だろうか。過剰とはいえ、王の命は命である。規模を知っていようと、万全の態勢で臨むべきだという王の御心に諸侯は叛いたのだ。


 トラバルトは貴族達にがっかりしながらも、同時に自分が唯一無二の忠臣であると鼻息を荒げた。王に仕えるに値するのは自分の他にはいない。その誇らしさで、今にも笑い声を上げてしまいそうだった。


「フフフ……。ハハハッ! ハーハッハッハッ!!」


 いや、やっぱり笑った。トラバルトは盛大に笑った。それも三段階に。額に手を当てながら反りかえるのも、しっかりと忘れていない。


「間抜けどもめ! 王が信ずるに値するのはこのトラバルト・シェバー・アルザエフの他にはいない! 宝を持って献上するのは私だけだ!」


 貴族とは思えない下賎な面持ちと笑い声を上げながら、トラバルトは辺りの残骸を意気揚々と漁り始めた。ラビリンスは居城であった名残から、大抵転がっているのは調度品ばかりだ。


 スキ──クワ──水桶──。……家畜小屋か此処は? トラバルトは自分が居る場所をラビリンスかどうか訝しみ始めたが、とうとうフロアの片隅に宝箱がぞんざいに置かれているのを見つけた。


 それはボロボロの木箱と何ら変わりなかった。鉄枠は歪み、背面の蝶番も外れて頼りなくぶら下がっている──だが、宝箱である事には違いない。


 大した物は入っていないだろうが、それでもラビリンスから出土した物ならば価値は十分と見て良いだろう。トラバルトは喉を鳴らしながら手を掛けた。


 彼の目の前には早くも、王の御前で雄壮に仕える自分の姿が映っていた。なんという厳かな一時だろうか。王からの賞賛を賜り、黙して栄光を噛み締める喜び──おめでとう、私。そして、ようこそ我が忠義を証す宝よ──。


 ──鼻ちょうちん。汚ならしい笑みを浮かべるトラバルトの前に、それが膨らんでいた。一瞬、自分が何を目にしているのか解らなかった。


 箱の中に幼女が入っている。涎を垂らしたアホ面で、鼻ちょうちんを膨らませながら。


 トラバルトはそっと箱を閉じた。私は今、何を見た? ラビリンスの残滓である魔の気にやられ、ありえないものを見たのではないか。


 ふふっ、馬鹿な。トラバルトは自嘲しながら首を振って笑う。ラビリンスの魔力に当てられたとして、箱詰めの幼女を見るなど馬鹿馬鹿しい。きっとあれだ。丸めて敷き詰められていた織物が、暗闇の中で人形に見えたのだろう。トラバルトは再び、笑顔で箱を開く。


「んぁ!? おっ!? おおっ!! お主──!!」


 パチン! と鼻ちょうちんが小気味よく割れたのと同時に、勢いよく箱を閉じた。馬鹿な。こんな事がある筈無い。ラビリンスの奥で──言うほど奥でもないが──そんな所に箱詰めになった幼女がいる筈無い。


 何らかの罠、それも強烈な幻覚であると考えるべきだろう。人語を話すのならば催眠も兼ねている筈だ。迂闊にも、鍵すら掛けられていなかった事を警戒すべきだったのだ。


 ──瞬間、箱が勢いよく開いて、トラバルトが仰け反った。


「我が名はグリシャル──むぐわっ!」


 反射的に、開いた箱の上に立った幼女の頭を掴んで押し戻す。蓋をして、困惑の吐息を長々と溢しながら、幻覚ではないと箱の中身と対峙する覚悟をした。


 魔者──人の姿形をした金貨の化身。魔物ならば微塵の容赦もなく叩き斬って媒介である金貨に変えてやれるが、魔者となればそうもいかない。


 人形。それも幼女の姿という攻撃の意思を削ぐ、最悪の形。出会したからといってすぐに斬れるものではない。果たしてどうするべきか。


 ……取り敢えず、開かないように押さえておくとしよう……。トラバルトはそう決めた。


〈何をするか不敬者っ! 我が名はグリシャルディ! トライアドのジュエリアにして南西大陸の支配者──って、コラ! なにを押さえておるのだ! 早く開けぬか、馬鹿者!〉


 喋りだした。聞いてもない身の上をペラペラと語るところから、攻撃の意思は無いのだろう。だが、相手は魔者だ。油断はならない。それも、【黄金宮】の支配者であった嘗ての女王の名を騙るミミックが相手では。


〈開ーけーぬーかぁ~! 解かれた封印を閉じて知らん顔など、お主はできぬのだぞ! ならば、妾に丁重に仕えぬか! つ~か~え~ぬ~かー!〉


 なに……? 呪われた身だと? トラバルトは何気なく、自身の様子を見た。


 ──金色の鎖が箱から伸びて、全身に絡み付いている。重みも、感触もまるで無い。だが、確かに目に見えて宝箱から伸びる鎖と身体が連なっていた。


「──!! なんだこれは!?」


 押さえ付けていた箱を放り投げ、自分の両手から足先まで見渡す。残骸の山に突っ込まれたグリシャルディが『ぎゃんっ!』と悲鳴を上げたが、気にも留まらない。自分の身体にいったい何が起きているのか。


 そして、呪いの効力をトラバルトは実感した。ぶん投げた宝箱に向かって、身体が引っ張られ、グリシャルディと同じく残骸に頭から突っ込んだのだ。繋がった金色の鎖で引き寄せられたように。


「フッハッハッハッ! この愚か者め! 妾をぞんざいに扱った罰じゃ! ま、そう驚く事はない。宝箱に呪いはつきものであろう? 錠代わりの防犯手段を始めとして、このように手癖の悪い者と結び付くのも容易なのじゃ。……これで、妾とお主は呪いによって結び付いていると解ったな!? 妾の願いを叶えぬ限り、そなたに自由は──」


 宝箱から勢いよく飛び出たグリシャルディが、不遜な態度で語る。その最中、トラバルトが再び頭を鷲掴みに押し込んだ。


 グリシャルディが外に出ているから発現しているのかはともかく、どうにかしてコイツをもう一度封印しなければならない。自分のために。


「いったぁ! 指っ! 指を挟んでおるっ!」


「貴様をもう一度封じれば、この呪いとやらは解けるのか!? 解けるのだろう!?」


「無理じゃ! 無理無理! そなたにかけた呪いは、妾とこのである宝箱に結び付いておる! どれだけ離れようと効力を解く事はできん! 妾とお主は決して離れぬ呪いによって結ばれてアニバーサリーおるのだ!」


「なんだと……。では……ずっと私の後ろに貴様がついて回るという事か……?」


「おっ、飲み込みが早いではないか。宝石の女王である妾を供にする光栄……ふっふ~ん! ありがたく賜るが良い!」


 トラバルトは暫し呆然と、ひょっこり出てきたグリシャルディのご満悦な顔を見ていたが──ふいに我に返って再び箱を閉じ始めた。


「いたい! いたい! だから指っ! 指を挟んでおる!」


「なにが光栄だ! 貴様がこの地から離れるがための呪いに、名誉などあるか!」


「な、なんじゃとぉ! この不敬者がぁ! 寛容な妾が、を教えてやろうと考えたが、もう知らぬ! も~う知らぬっ!」


 喚くグリシャルディの言葉に驚き、トラバルトは手を離した。呪いの解だと? このふざけた呪いを解く方法を、こいつは知っているというのか──つまりは条件付きで。


「言え……! 呪いを解く方法は何だ!? 今すぐにでもそれを試してやる!」


 トラバルトは宝箱ごとグリシャルディを持ち上げて揺すった。振り落とされまいと、グリシャルディも『ぬわぁあー! やめんかぁー!』と声を振動させて訴えながら、宝箱にしがみつく。


「はぁはぁ……どうだ? 言え! 言わなければ今度は蓋を閉じて振り回してやるぞ!」


 下ろした宝箱の中で、グリシャルディが目を回している。体力に自信のあるトラバルトが呼吸を荒くするだけあって、強烈な振動だっただろう。


「こ、この……ば、馬鹿力め……うぇっぷ……よ、よかろう……の、呪いを解く方法は──」


「方法は!?」


「……お主が地に頭を擦り付けて『愚民が不敬を働きました、グリシャルディ様。どうか寛大な御心でお許し下さい』──と、みっともなく泣きながら言うことじゃなぁ……」


 箱が閉じられた。閉じる瞬間に『待っ──!』と言っていたがもう遅い。トラバルトは鍛え上げた肉体を存分に動員させて、全力で宝箱を振り回した。あまりの早さに、所々で残像が置き去りになっている。


「ぜー! ぜー! どうだ!? 言う気になったか!? 言わなければ中空で回転の捻りも加えてやるぞ!」


 開けた宝箱の中でグリシャルディが、痙攣しながら青ざめて、脂汗を浮かばせている。偉そうなヘッドチェーンもずれて、伸び放題の髪も乱れに乱れていた。


「こ、この……筋肉達磨めが……バ、バターになるかと思ったぞ……お、おぇぇ~ぷ!」


 数百年もの間、眠りについていたのだから出る物などない。それでもグリシャルディは沸き上がってくるものに嘔吐いて、げっそりと項垂れた。


「よぉ~し、吐け……全て吐き出せ……貴様が隠し秘めている事全てを……」


 魔者相手とはいえ、幼女の姿をした存在に吐けと熱心なトラバルトは、傍目からして危ない。比喩的な意味合いではないが、腰に提げた革袋の水を飲ませてやりながら背中を擦ってやる。重ねて言うが比喩的なアレではない。


「ぶはっ……こ、この呪いを解くには……妾に金貨を貢ぎ、かつての【黄金宮】を復活させる事じゃ……その他の手は無い……うぇえぷ……」


【黄金宮】の復活だと? 金貨を貢げば良いとだけ口にすれば良かったものを、ポロリと言い溢したのをトラバルトは聞き逃さなかった。グリシャルディも、それにハッと気付いたのだろうか、下手くそな口笛を吹きながら知らんぷりを決め込もうとしていた。


「……まぁ良い。【黄金宮】などという戯れ言に付き合う気はない。どうせ、ジュエリアと名乗るのも騙りだろう……」


「ぶ、無礼じゃ! この妾を騙りだと申すか! おのれぇー! 金貨さえ! 金貨さえあれば、お主などぉー!」


 自棄酒を呷るように、グリシャルディは革袋の水をガブ飲みし始める。何だかやけに板についた飲みっぷりだが、数百年の鬱憤はそれだけ深いのだろう。


 そして、はたと気付く。【黄金宮】の復活に執心せず、付き纏われる事にも無頓着だとどうなるのかと──。


「……ちょっと待て。金貨を貢げと貴様は言うが、貢がなかった場合、呪いの効力はどうなる?」


 トラバルトの問い掛けに、グリシャルディは水を詰まらせた。咳き込んだ後、おずおずとした様子で、気まずそうに言い淀む。


「あー……いやー……それはじゃな……んー……なんと言うかのぅ……フ……プヒュ~♪」


 下手くそな口笛を吹いて誤魔化そうとするグリシャルディに、眉根を寄せたトラバルトの目力が迫る。


 無言の圧に、『おっ……おおぅ……』と押されながらグリシャルディは他所へ視線を泳がせた。言えば身の危険だが、言わなくても身の危険だろう。


「──し、仕方ないのう! では、しかと拝聴するが良い! 一度しか言わぬ故、心して聴くのだぞ!」


 グリシャルディは渋々、小さな唇をすぼめた。トラバルトは小声で誤魔化すつもりなのだろうと察して、耳を傾ける。『言ったではないか!』と喚かせないためだ。


 二人の間では、既に奇妙な信頼関係が築かれている。呪いによって結ばれ、離れられなくなった身。ならば、互いを思いやって距離を近づけていく事こそ理想だろう。


 突然の事で色々あったが、秘密を打ち明け、誠実に向き合っていくのも悪くないのではないか──。


「──『教えてください』と言って、妾に傅かんか、この戯け者ー」


 トラバルトが真顔になる。グリシャルディが瞬時に宝箱に隠れる。トラバルトの浅黒い巨体が熱を発して盛り上がり、音を立てて宝箱を掴んだ──戦闘開始。


「──くっ……くくっ! ははははっ!」


 しかし──宝箱を掴んだまま、トラバルトは突然として笑い出した。あまりの事に、グリシャルディも何事かと宝箱の隙間から目を丸くして窺っている。


「ふはははっ! はーはっはっはっ!!」


 トラバルトは宝箱から手を離し、代わりに額を覆って高らかに笑い続けた。ふざけたやりとりが面白くて仕方ないといった風に。


 グリシャルディもそんな姿に連れて、宝箱から姿を表し、ゆっくりと笑い始めた。


「ぬはは……!」


「はーはっはっ!」


「ヌフッ! ヌハハハハッ!」


「ハーッハッハッ! ハーッハッハッハッ!」


「ヌハハハッ! ヌワーハッハッハッ! ──はおっ!!」


 グリシャルディは、いきなり頭を鷲掴みにされて驚愕の悲鳴を上げた。獲物を捕らえた鷲の鉤爪さながらに、トラバルトの指がギリギリと頭皮に食い込んでいる。


 トラバルトは呆れ返って笑ったのではなかった。精神的な負荷に耐えかねた脳が、焼ききれまいと『とりあえず笑う信号』を発しただけである。選択という余地もなく、トラバルトは冷静になって──再び〝キレ〟た。


「中空での捻りを加える!」


「わぁあああー! 待て! 言う! 言うから待てぇ! さっきまでのアレに捻りまで加えられては、分離してしまうぞぉー!」


「構わん! 貴様を分離させた後で、呪いの対処方法は考えさせて貰う!」


「死んでしまう! 死んでしまうのだぞぉー!」


「ああ! 貴様にはバターになって死んで貰う!!」


「違う違う! 呪いの話じゃ! 金貨を妾に献上しなければ、お主は呪いによって〝命を金貨に換えられる〟のじゃあー!」


 トラバルトの動きが止まる。持ち上げられた宝箱にしがみついて、息を荒げるグリシャルディは、涙目でバターになる恐怖に耐えていた。


 ──『呪いについて白状したのだから、これ以上は何もせんよな?』とでも言いたげな視線がトラバルトへ向けられている。


「つまり……?」


 命を金に換えるという不明瞭な言葉。トラバルトは器用に宝箱を回転させ、グリシャルディと向き合う。そうして、眼を見開きながら、予想している答えをグリシャルディの口から出るのを待った。


「え? 死ぬという事じゃが? 当たり前じゃろー」


『馬鹿じゃのー』とばかりに、グリシャルディが眉根を下げて嘆息する。その鼻息が、呆然とするトラバルトの顔に触れた。


 やはり──そうなのか──。


「フハハッ!」


「ヌハハッ!」


「フハーハッハッハッ!」


「ヌワーハッハッハッ!」


「バターになれ、貴様ぁぁあああ!!」


「ぬわぁああ!! ぬぅうわぁあああ!!」


 中空高く放り投げられてグリシャルディが叫ぶ。内側から宝箱の蓋を全力で閉じ、きりもみ回転から振り落とされまいと必死になっていた。トラバルトもグリシャルディを分離させてやろうと、必死である。


 だからこそ、二人は気付きもしなかった。狭いラビリンスの天井から、巨大な影が一つ降りてきたのを──。

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