第5話 呪い呪われ、振り、振られ。

「……金置いてけ……クソが……!」


「治療して強盗されるんじゃ、今度から放って置くわね」


 枕に顔を埋めた状態から、トラバルトは飛び起きた。聞き覚えのある呆れた口調は、同僚である騎士マムルークのものだ。


「……路傍のゴミクズみたいになってたアナタを見つけた時、本当に驚いたわ……。ねぇ、辺境伯って辺境に転がってる貴族の事じゃないのよ?」


 幼馴染みである女騎士〖アイーシャ・ワリ・アルハン〗は、切り揃えた長い黒髪を手持ち無沙汰に弄びつつ、深いアイシャドウに包まれた眼差しを蔑みに細めて言った。


 その昏く青い眼差しは、トラバルトが脳ミソまで筋肉ではないかという疑いに確信の色を持っている。仲間内でもトラバルトの印象は『優れた技量を馬鹿力で振り回すバカ』と評判であった。


「……アイーシャ……お前、此処で何をしている……?」


「それ、私のセリフなんだけど? アナタこそ何処で何してたのかしら……?」


 アイーシャの呆れた物言いに、トラバルトは憐れみの念を懐かずにはいられなかった。何処で何をしていただと? よくもそんな口を利けたものだ。私が独りで貴族の面目を保っていたというのに……。


「何を惚けた事を……私は貴族の責務を放っぽり出したお前達に代わってラビリンスの攻略を──」


 そこまで言って、トラバルトの口が止まった。自分しかいなかった筈のラビリンス周辺で、同僚に拾われるのはおかしい。転がっていたというセリフから、間違いなくアイーシャはラビリンスの近くに居たのだ。


 そこでようやく、見慣れた意匠をした天幕テントの下、毛布を掛けられている自分に違和感を覚えた。目覚めてから間もないとはいえ、トラバルトの頭は実に呑気な造りをしている。


 此処は──軍隊の野営地だ。それも自分が合流する筈だった部隊の。


 トラバルトは自分だけがラビリンスに赴いていた訳ではなかったのだと気付いた。貴族達はちゃんと来ていたのだ。ラビリンス攻略のために──。


「……お前達──随分と遅れて来たものだな……!」


「違うわよ、馬鹿! アナタが来なかったのよ!」


「……なんだと……?」


 これはまた可笑しな事を言うものだ。トラバルトは同僚の誤魔化しを鼻で笑って嘆いた。ラビリンスの攻略に遅れただけでなく、自分が来なかったとまで言い訳するとは。アイーシャは見た目の化粧以上に、面の皮が厚いらしい。


「はぁ……言うに事欠いて私が来なかったなど……私はしっかりとラビリンスに入ったぞ? まぁ、攻略する程の規模でもない家畜小屋だったがな……」


「……地図」


「……なに?」


「……地図を出しなさいよ」


 アイーシャの細めた視線に促されるまま、トラバルトは『やれやれ』と傍らに置かれた上着から地図を取り出す。それには集合地点と目標であるラビリンスが、トラバルト自身の手記によって書き綴られている。


「……これで満足か? まったく……自らの過ちを認めんがために、私の粗を探そうなど……」


「……逆さま」


「なに……?」


「アナタ……地図を逆さまに読んで印付けてたのよ……」


 …………。


 ……………………。


 …………………………………………。


「……ふっ、馬鹿な──」


「バカなのよ、アナタ! 本っ当に! バカなのよッ!!」


 簡易なベッドで寝ているトラバルトの腹に、小気味良い音を立てて地図が二枚叩き付けられる。勿論、それぞれアイーシャとトラバルト個人の物だ。


 いやいや、流石にそれはない。有り得んだろ。そう腹の中で疑いながらも、トラバルトは二枚を見比べる。地図の向きをきっちりと合わせ、言い訳がましい同僚に自分の間違いは無いと証明してやらなければ──。


 あ、逆さまだわコレ。


 …………。


 ……………………。


 ……………………………………マジか。


「マジよ! このバカッ! 前線の最戦力だった貴方が居なかったせいで、士気はガタ落ちよ! ほとんどの貴族は金貨を出すだけで、戦いたがらないって知ってるでしょ!? 道を開く役割の力馬鹿が居なかったせいで、攻略は失敗よ!」


 分かり易く顔に出ていたのか、或いは女の勘で心でも読まれたのか。散々な言葉の応酬で怯んだトラバルトの足は、遠慮なくアイーシャに叩かれた。さして痛くもないが、衝撃的な事実を前にしたせいで、やたらと芯まで響く。


 トラバルトと貴族達は、渓谷の山を挟んで向かい合わせになっていたのだ。『なんで来ねーんだよ!』と互いに文句を口走りながら……。


 とんでもない間抜けである。が、しかし、トラバルトも不幸と言えば不幸である。


 瞼が裂けて血の涙が流れるほど大目に見れば、グリシャルディが捨て置かれていた家畜小屋──もといラビリンスの一端さえ無ければ、集合地点を誤ったとすぐに気付けた筈なのだ……多分。


 王の意思は、端から大規模攻略にあったのだ。小規模のラビリンスを攻略し、結束を促す計らいなのだろうという都合の良い解釈は、トラバルトにとって都合の良い妄想でしかなかった。


 ──『間抜けどもめ! 王が信ずるに値するのはこのトラバルト・シェバー・アルザエフの他にはいない! 宝を持って献上するのは私だけだ!』


 王が信じるに値する忠義は、果たして誰が持っているのか。この事態以前のトラバルトならば、もしかしたかもしれない。


 だが、その信頼も今や下から数えた方が早いだろう。恐らくは王が愛玩する気まぐれな猫と同じか、それ以下だ。ただし、人間の気まぐれな行動は滅茶苦茶ムカつくので、順位は近くない。


 トラバルトが今回の遠征で得たのは、比較対象が飼い猫ペットになるという栄誉と、鬱陶しい高笑いをする箱詰めの幼女だけだ──。


「オオオアァアアアーーー!!」


 絶叫しながら毛布を頭まで被ったトラバルトに、アイーシャが白い目を向ける。それは、荒れ地に転がっていたトラバルトをゴミだと思って見ていた時と同じものだった。アイーシャにとって、トラバルトは既にゴミである。


「はぁ……王に何て申し開きするのか、考えておくことね。明日の正午には来るって話だから……」


「なにぃ!? 王がこんな粗末で辺鄙な所に来られるのか!?」


「粗末で辺鄙な所で悪かったわね! 人ん家の軍需品に助けられた奴がよく言うわ!」


 アイーシャの呟きに、毛布から飛び出たトラバルトの顔色は悪い。今のトラバルトが王の御前で出来るのは屁理屈を捏ねる事だけである。申し開きのしようもある筈がない。


 なんて事だ! こうしてはいられん! トラバルトはベッドから飛び降りて、擦りきれた自分の上着を掴んだ。


「ちょっと!? 何処に行くつもりよ!」


「今からラビリンスを攻略しに往く!! それで私の失態は帳消しだ!!」


「はぁ!? なにムチャ言ってるのよ! 無理に決まってるでしょ!? 元【黄金宮】が迷宮なの知ってるわよね!?」


「どうにでもなる! それに、このチンチクリンが支配していたと嘯くラビリンスなど、たかが知れて──」


 待て。そういえば、先から妙に静かだぞ……。トラバルトは足を止めて、自分の回りに目を向けた。


 〝この〟チンチクリンがいない……。自分のそばから、忽然と箱入りの幼女が消えている。呪いから唐突に解放されたのかという期待の想いよりも、遥かに勝る不安感に困惑した。


 ……〝あの〟チンチクリンは何処に行った?


「ああ……あの娘なら、寝ながら唸っている貴方を爆笑しながら御飯食べて、『どれ、妾の配下となる軍を視察してやろう!』とか言って出てったわよ……」


 何処に行きやがった、あのチンチクリン!


 覚醒して間もないトラバルトは、混ざりあった感情に再び気絶しそうだった。たまたま見つけただけで呪われ、休む間もなくグリシャルディに振り回されている──思い出したくもない過去の夢にまで出てきやがって!


「趣味にとやかく言う気はないけど……変わった子が好みなのね、貴方……〝変態〟伯」


 焦燥と混乱の勢いのまま、飛び出そうとしていたトラバルトの足が止まった。ゆっくりと振り返って向き合ったアイーシャの視線は蔑みから侮蔑の色に強化されている。


 なに……? 何て言った……? 今……随分な聞き間違いがあったようだが……。


「変態伯」


「なんだその呼び名は!?」


 トラバルトは、はっきりと聞こえた侮辱に顔を歪ませた。訳のわからん誤解が気絶していた間に広がっている。その出所は何処に有るのか。


 ──ヌハハッ! ヌワーハッハッハ!


 トラバルトの脳裏に、思い当たる節である笑い声が響いた。ボロ箱の上でふんぞり返る喧しい幼女の姿が──。


 アイツか!? アイツだな!? アイツだろうな! 裏取りも必要ない確信を胸に、トラバルトは急いで天幕から出た。あの馬鹿を一刻も早く見つけなければ──。


「──そして、妾がミノタウロスを打ち倒し、あの下僕を救ったという訳じゃ! まったく、妾がいなければあの男はどうなっていたのやら。……だというのにじゃ! 敬意も信奉の念も持たぬのは愚かだと思わぬか!? 思うであろう!? ……あ、コレ! そこの! 面倒くさそうに他所を向くでない! 妾の話を有りがたく聴かんか!」


 ──いた。目の前にいた。すっかり身綺麗になったチンチクリンが目の前でふんぞり返っている。


 しかし、探す手間が省けたという喜びよりも、厳めしい兵士達が講釈を垂れるグリシャルディを前に、三角座りして並んでいるという異様な光景にトラバルトの身体は硬直した。屍肉を食らう鳥よりも喧しく、ギャアギャアと喚いたグリシャルディに無理矢理付き合わされているのだろうと、疲労しきった顔色から窺える。


「ん……? おぉ! ようやく目覚めたか、我が従僕! やれやれ、主人である妾よりも長く寝ている様では困るぞ! ……ふぅーむ、良し! それでは此処で、主従の関係を明確なものとしようではないか! 跪け!」


 鼻息も荒く、腰に手を当てて偉そうに反り返ったグリシャルディに、トラバルトは無言で歩み寄ってその頭を掴んだ。


「ぬぅおおぉーっ! もう少し寝ていても良いぞぉおおー! 許してやるぅううー!」


 ギリギリと走る鈍い痛みに、グリシャルディは腕を掴み返しながら喚いたが、暗い活力に満ちたトラバルトの眼は閉じそうにない。おかげさまで、たっぷりと怒りに満ちた心地の良い目覚めだった。


「……何をしているんだ貴様……」


 少しばかり気の晴れたトラバルトが、手を離して訊く。こめかみ辺りを擦って恨めしそうな視線を向けているグリシャルディは、問い掛けに呆れながらも再びふんぞり返って言った。


「訊くまでも無かろう、愚か者め! いずれ妾の配下となる兵士共に、仕えるべき姿勢を教え込んでおるのじゃ!」


「……何をしているんだ貴様……」


 意味を変えた数秒前のセリフを再び口にしながら、顔をヒクつかせる。どうやら自分が女王であるという〝設定〟はお気に入りらしく、そうである事を微塵も疑っていない。


「お主もほれ、早く妾の前に座らぬか! 女王の有りがたい言葉を感涙に咽びながら拝聴するのじゃぞ! ヌハッハッハッ!」


 ……空っぽの頭を揺すり続ければ設定を忘れるだろうか? 薄暗い考えを閃いたトラバルトの手が、機嫌良く講釈の続きを始めようと前を向いたグリシャルディの頭へ、ゆっくりと伸びていく……。


『良い御身分だな! 変態伯!』


 三角座りしている兵の誰かが言った。その言葉にトラバルトの手がピタリと止まり、機械的に首がぐるりと兵士達に向いた。誰かの一言は呼び水となって、トラバルトへの不平不満が一斉に噴き出す。


『ラビリンスの攻略すっぽかして、奴隷商から幼女なんて買ってんじゃねぇーよ! クズ!』


『幼女を女王扱いで箱詰めにするなんて発想、流石は貴族様ですなぁ!』


『お前みたいに倫理も筋肉も異常な奴がいるから、人身売買が無くなんねーんだよ!』


『貧乏伯とか言われてる割に、欲望には節制しないんですねぇ!』


『変態伯! 変態伯!』


 言いたい放題の兵士や貴族の末子に、トラバルトの冷静さは吹っ飛んだ。すっかり〝戦利品〟扱いであるグリシャルディの頭を鷲掴みにしながら、込み上げてくるものを包み隠さずぶちまける。


「ハァアアア!? 私がッ!?」


「ぬおっ!?」


「コイツをッ!?」


「ぬあっ!?」


「買っただとぉおおお!?」


「ぬぁあああッ!! うぬぁあああッ!!」


 一言ずつ区切る度に、頭を左右前後に動かされたグリシャルディが叫ぶ。最後には、頭をガクガクと揺すられたせいで絶叫に震動も加わっていた。


 トラバルトはアイーシャの吐き捨てた言葉に現実感を持った。気を失っている間にとんでもない誤解が広まっている。誰だ! そんなデタラメ流した奴は──。


「……プー、プヒュー……♪」


 コイツかぁああ!! やっぱりじゃねぇかぁああ! 乱れた髪の向こうでも、グリシャルディが唇をとんがらせて知らん顔しているのが解った。トラバルトは憤怒の形相を浮かべながら、どうやって誤解を解くべきか力業の他に能の無い脳ミソで考える──。


『女王気質の幼女に支配されたいとか、ずいぶん高尚な趣味してんな、お前!』


『宝石の女王って設定だから箱詰めなんですかー!? 幼女を宝石扱いとは流石、貴族様の発想ですねぇー!』


『幼女がほざく戯言に、俺達を巻き込むんじゃねーよ! 独りでやれ! 独りで!』


『変態伯! 変態伯!』


 グリシャルディの頭の上に手を置いたまま、トラバルトはピクリとも動かない。それが反って不気味なのだが、グリシャルディに伺う余地は無かった。なにせ、トラバルトの武骨な掌は、すっぽりグリシャルディの頭を覆ってどす黒い熱量を放っているのだから。


「……グリシャルディ……」


「……な、なんじゃ?」


「……私の顔を見る勇気があるか……?」


「……か、顔を見るには、お主の手が邪魔じゃのう……し、しかし! 今は妾の神聖な頭に手を乗せる事を許してやるっ!」


 止めどなく脂汗を流したまま、グリシャルディはどうにか高慢な口調を保った。女王の矜持そのものを保てているかは判らないが。


 悪化し続ける状況に、トラバルトの何かが早々にキレたのか、彼はグリシャルディが入っているボロ箱を高々と持ち上げて叫ぶ。哀れにもそれは、自らの罪が潔白であると訴える咎人のものと同じだった。


「いいか! よく聴けよ、貴様ら! コイツは私が買った訳ではない! コイツはラビリンスの片隅に捨て置かれていた魔者──」


「待たんか、アホ!!」


「ぐぉ!?」


 持ち上げていたグリシャルディの後頭部が、頭突きとなってトラバルトの顔面に直撃した。中身が軽かろうと、勢い任せの不意打ちは屈強な大男であるトラバルトを後ろ向きに倒れ込ませるには充分だった。


 痛烈な一撃に、青筋を走らせながら涙目で顔を抑えるトラバルトに、グリシャルディがしゃがみこんで耳打する。喧しさは据え置きに、声だけ小さいという芸当がまた鬱陶しい。


「こぉの馬鹿者……! 兵士達の前で、妾がラビリンスから赴いた者だとバレたら事じゃろうが……! 最悪、討伐の対象となるやもしれぬのだぞ……!」


 人を呪って勝手に出てきたのはコイツなのだが、それはそれとして今後の身振りというものを、グリシャルディは小賢しくも考えていた。空っぽの頭だが、どうやら自らの転機のためなら中身が都合良く詰まるらしい。


「……だからと言って、奴隷商から買ったは無ぇだろ……! 私の立場というものを考えろ……!」


 トラバルトは滅茶苦茶な言い分を抜かした、全ての原因に言い返す。一応は爵位を持った貴族なのだから、職務の最中──ましてや白昼堂々と奴隷を買ったなどと思われていては立場が危うい。何を考えてグリシャルディは奴隷として買われたなどと吹聴したのか──。


「は? 妾はそんなこと一言も言っておらんが? あやつ等が勝手に解釈して盛り上がっておるだけなんじゃが? 不満ではあるが、まぁ誤解させておいた方が何かと都合が良いからのう……。お主が仲間内で変態扱いされるだけで、あれこれ嘘を重ねる必要も無くなったのじゃから感謝するのじゃぞ! ぬははっ! ウケるのう! しかし……この女王たる妾を奴隷などと思い込むとは──まったく、失礼な奴等じゃ!」


『そう思うじゃろ!?』と、立場を危うくさせた相手に、グリシャルディは嘆息の鼻息を吹き掛けながら同意を求める。トラバルトは、自身の体が石となり、割れる思いをしていた。


 ──それじゃあなにか、コイツは自分から嘘を吐いて回ったのではなく、他人の誤解に便乗して魔者である身バレを防いだのか──。


 私を変態扱いさせて、利用する事で──。


「ふざけるなよ、貴様ァアアア!! 誤解に便乗して、なに気分よく演説してやがるんだァアアア!!」


 膝立ちの向かい合わせになりながら、グリシャルディを揺する。激しく揺する。金色の残像が生じ、首の角度が危うくなろうと激しく揺する。トラバルトの怒りは頂点に隣接していた。


「あばばばばぁ!! だだだ、だっててて、すうひゃひゃひゃ! 数百ねねねね、年ぶぶぶぶりの、め、めざ、目覚めめめ、なん、なん、じゃぞぉおぅおぅおぅ!? わ、わら、妾に、じょじょじょ、女おぅ王おぅおぅ! ららららしいふるっ! 振るまままま舞いぅをぅをぅ! ささささせ! させぬぬぬかかかかかかぁあああいったあぁあああ!! ししし、舌! したたたかかかかか噛んだぁああああ!」


 声を震動させながら、自分の願望を正当化する畜生に、トラバルトは加減という情けを欠落させていた。コイツはもうバターにする! バターにしなければならない!


「夢にまで出てきやがって! それとも私はずっと夢を見ているのか!? これは夢か!? 夢なんだろ!? これを夢にしろ貴様ぁああああ!!」


 理不尽な欲求を口走りながら、グリシャルディを揺する手はまったく止まらない。現実とは思えない悪夢に混乱し、力尽くで終わらせるという妄執にトラバルトは囚われていた。


『夢に!? 夢にまで!?』


 兵士達の誰かが言った。その発言は天啓さながらに伝播し、一斉に顔を不審なものに変える。まさしくそれはというやつであった。


『『『変態伯! 変態伯! トラバルト・シェバー・アルザエフ変態伯!』』』


 トラバルトの新たな叙勲を皆が叫んだ。蔑みの称賛は地響きさながらに力強く、何事かと天幕から顔を出したアイーシャの眉間を更に険しいものとした。


 兵士達の呼び掛けに俯くトラバルトの屈強な身体は、熱を放って震えている。無論、それは怒りだ──全員、ぶっ飛ばすぞ。


 そんな短絡的な解決法を思い付くも、それは衝動的に掘った墓穴をより深くさせるだけだと頭を回せる余裕はあった。未だ彼は、後天的に培った冷静さを欠かずにどうにか留まっている。


「……ままま、まったく! こ、この妾を夢に出すなど、ぶ、無礼じゃのう! これではへ、変態呼ばわりも無理がないではないか! ぬ、ぬはっ! ぬはははっ!」


 全ての元凶が声高に笑う。言葉を詰まらせたのは、トラバルトの突然な歪んだロマンスに照れたものなのだろうか。現状に顔を上げる気力すら湧かないトラバルトは、周囲の罵倒と囃し立てる口笛に黙して甘んじるしかなかった。


 しかし──腸が煮えくり返るその中で、トラバルトは確かに聞き逃さなかった。


 耳障りな音色を放つ、一際ヘタクソな口笛を──。


「……おい」


「!? ななな、なんじゃい! この変態めが! く、口を噤んで黙っておらぬか! おるのじゃぞ! ……おれよ!」


 顔を上げないトラバルトの目の前にあるのは、落ち着きなくモジモジと足踏みするグリシャルディの不審な挙動だった。設定上の口調も何やら怪しくなっている。


 見ずとも、グリシャルディが焦りの顔をしているのがトラバルトにはよく判った。これも、呪いによって生まれた一種の縁なのだろうか。ただし、その金色の鎖は何時になれば断ち切れるか解ったものではない。


 その日まで、トラバルトは振り回されるのだろう。ひたすら厄介で面倒くさく、喧しい幼女に──。


「……呪いによるものなんだな? あの悪夢は……」


「な!? ななな、なんの夢だかなど、わ、妾が知る筈もなかろう!?」


「……グリシャルディ……」


 宝箱の縁をトラバルトが掴む。どす黒い熱量を放って隆起した筋肉は、無尽蔵な体力を想像させる凄まじさに満ちていた。間近でそれを目にしているグリシャルディは、小声で『ヒョエッ』と情けない声を漏らす。


「──それが貴様の最後の言葉で良いんだなァアアアア!!??」


 顔を上げないままトラバルトが叫ぶと、宝箱の縁が不穏な軋み音を立てて割れた。木製らしいとはいえ、金貨を飲み込むという尋常ではない存在を、トラバルトは素手で解体してしまいそうであった。


「ヌワァアアアア!! 待てぇええ! 待つのじゃああああ! そぉう! そうじゃあああ! お主が見た夢は、妾の呪いじゃあああああ!!」


 恐怖のあまりに白状したグリシャルディは、衣服の裾を掴んで震え上がっている。そして、落ち着きなく波立たせた口は、すらすらとトラバルトが求めている呪いの中身を喋った。下僕扱いで嗤っている存在の心情を汲むなど、流石は女王といった処だろう。


「わ、妾と繋がれた存在は記憶に影響を与えられ、さも昔から繋がりがある存在じゃとのじゃ! 【黄金宮】を蘇らせる手段として、強制的な洗脳をお主にしているのじゃあああ!!」


 ──洗脳。……洗脳だと!? コイツは私の未来に絡み付いてくるだけでなく、過去にまで影響するというのか!? トラバルトは自分が見た過去の夢に、グリシャルディが居たという意味を理解した。


 グリシャルディは、トラバルトの記憶にまで入り込んでいる──。それは、関係が長引く程に酷くなっていくだろう。恐らく、グリシャルディを本当に女王ジュエリアだと思い込むまで──。


「クックックッ……そうか……貴様は……私の記憶にまで……」


 宝箱の縁を掴んだまま、トラバルトは酷く落ち込んだ。記憶の干渉に衝撃を受けたのではなく、家の金を持っていった両親クソという存在をグリシャルディに知られたのが苦々しくて堪らなかった。あの日以来、トラバルトは自身の苦痛を心の内に留め、耐える術を学んでいたというのに……。


「……トラバルトよ。妾ならばの苦しみを分かち合える。記憶の干渉と言われれば、不安にもなろう……。しかし……繋がれた者として、そなたの苦しみは妾のものでもある。悪夢として思い返す程の過去ならば──このトライアドのジュエリアである妾が塗り替えてやろうではないか!」


 グリシャルディの小さな手が頬に触れ、トラバルトは顔を上げた。そこにあるグリシャルディの微笑みは、幼くも威厳と慈愛に満ちた美しい輝きを放っている──まるで、本当に女王であるという素質を発揮しながら。


「……グリシャルディ……」


「ふふっ……なんじゃ? 女王である妾に何でも申して──」


「──悪夢を見たのは貴様のせいだろうがぁああああ!!」


「ヌワァアアアア! ダメかぁああああ! ヌワァアアアアンッッッ!!」


 ダメであった。調子の良い事を言って、呪いの件を誤魔化すのは無理であった。波打った黒髪に隠れていようが、トラバルトの顔は尋常の有り様ではないだろうと端にも理解できる。


 グリシャルディは恐怖に見開いた目から、滝のごとく涙を流して〝ギャン泣き〟半ばに絶叫した。絶望への諦めから半分笑った顔をしているのが、トラバルトの凄まじい形相をより恐ろしく際立てている。


『幼女を泣かしてんじゃねぇよ! この変態!』


 声を上げて兵士達が一斉に立ち上がる。夢を介したトラバルトへの洗脳と同じく、グリシャルディの演説を長々と聴かされた兵士達にも呪いの影響は生じていた。


『そんなんじゃ、変態の風上にも置けませんよ! 変態伯!』


『イカれているとはいえ、幼女は幼女だ! 皆、変態から幼女を守るぞ!』


『おい、変態しかいねーぞ! 大丈夫か!?』


 彼等は無意識にグリシャルディを守ろうと、呪われたトラバルトよりかは浅く、呪われた状態となって襲い掛かってきた。何故、自分はこんな行動をしているのか、兵士達の中で理解している者はいないだろう。


「ぬはっ! ぬははっ! 良いぞ、お主ら! さぁ、妾をビックリさせたこの不届き者をこらしめ──」


 思いがけず一転攻勢となり、トラバルトを上機嫌に指差したグリシャルディだったが、言い終える間もなくトラバルトによって蓋を閉じられた。


 そして──閉じられたグリシャルディという箱は──群がってきた兵士達の顔へと、ぶん投げられた。


『ギャアスッ!』


『ヌオォッ!?』


 兵士の悲鳴に重なって、いきなりの扱いにグリシャルディが困惑の声を上げた。箱に守られ、痛くも痒くも無かっただろうが、これからの扱いを察するに恐怖せずにはいられないだろう。


「──誰が変態だ、貴様らァアアア!! 全員、ぶっ飛ばしてやるッッッ! 覚悟しろ、オラァアアアア!!」


 トラバルトは兵士達の中心に躍り出て、ボロ箱──もといグリシャルディを掴んで振り回す。幼女を入れた箱という凶器に、屈強な兵士達が次々と悲鳴を上げながら、ぶっ飛ばされていく。墓穴も掘り続ければ、いずれは新天地に繋がるものだ──。


『ギャアアアア!! や、止め! ウッギャアアアッ!!』


 グリシャルディが箱の中で悲鳴を上げるも、トラバルトは振り回すのを止めない。海を越えた先の狂戦士さながらの、雄叫びウォークライを上げた孤軍奮闘の戦いっぷりである。それが意味するのは、溜まりに溜まった鬱憤を晴らす魂の叫びだった。


『変態が幼女を武器にしているぞ! 取り上げろ!』


『幼女を武器にするなんて、とんでもない変態野郎だ! クソッ、意味が解らない!』


『幼女が入った箱ってスゲェ強いんだな……』


『何でこんな事になってんだ!? 俺達は何をしているんだ!?』


「ちょ、ちょっと!? なんで、こっちに来るのよ! 来ないで!」


 悲鳴じみた訴えも虚しく、乱闘する一行は、雪崩れ込む形でアイーシャの天幕に突撃した。広い間取りとはいえ、閉鎖的な空間にゴツい男達が狭々と詰まっては長く持たないだろう。揉み合う誰かの手が無関係な誰かを殴り付けるという、収拾のつかない事態に陥ろうとしていた。


「バカじゃないの、アンタ達!? バッカじゃないの!?」


 天幕の隅へと追いやられたアイーシャが、手当たり次第に備品を投げつける。その一つはトラバルトの頭に命中し、彼に浅い呻きを上げさせるも、戦闘意欲を煽る羽目になってしまった。


「貴様か!? 貴様か、この野郎ッ!!」


 トラバルトの後方に迫っていた無関係の兵士が、気の毒にもグリシャルディで殴り倒される。最早、グリシャルディは呻き声一つ溢さない。恐らくはバターになってしまったのだろう。


 そうして倒れた誰かが、誰かを倒し、誰かが誰かに殴られた。乱闘騒ぎにトラバルトを止めるという目的は次第に薄れていき、『関係ねぇ、殴りてぇ』という空気だけが広がっていく。


「テントが崩れる! テントが崩れるって言ってるのよ、止めなさいッ!」


 天幕の支柱にしがみつきながら、アイーシャが喚くも、誰一人として聴く者はいなかった。彼等としても、遠征の失敗という鬱憤を晴らす何かを求めていたのだろう。何処となく、誰しもが爽やかな面持ちをしている──ような気がする。特にトラバルトなんかは著しい。


 そして、アイーシャの天幕は盛大な粉塵を上げて崩れ落ちた。彼等に伸し掛かった天幕は、事態に呆れて投げつけられるハンカチーフと同じくバカ騒ぎの終結には程度の良いものだった。



 

 

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