第6話

 恐る恐る階段を登り部屋に入ると、恐らく事務所なのだろう。大きい机が一つと、レシピや資料が雑多に詰め込まれた本棚が置かれていた。壁際の古いスピーカーから、ゆったりとした音楽が流れている。少し薄暗いが、静かで暖かく、なかなか居心地が良さそうな部屋だった。

(さっきの人はどこに行ったのかしら――)

 どこにも姿が見えないので、待っていれば良いのか部屋の中をキョロキョロとしていると、壁際に大きく掛けられたコルクボードが目に入った。

(何かしら?)

 近づいてよく見ると、たくさんの記事や写真が貼られている。

――料理だ。それも和食を始め、パスタやビーフシチュー、パエリアなど様々だ。

「……美味しそう」

「でしょ?」

「キャ!」

 いきなり後ろから声を掛けられ、思わず私は尻餅をついてしまった。

「ごめん、ごめん。そんなに驚くとは」

 部屋の奥に、細く開いていた扉から、先ほどの男性がいたずらっぽい笑顔を覗かせていた。

「ちょ……。びっくりさせないで下さい!」

「怒らないでよ。まだ開店前だし、ここ飯屋だし。せっかくだから、ご飯でもどうかな、と思って」

 それを聞いて、私の眉は、やや下がった。言われてみれば確かに彼のほうから美味しそうな、そして懐かしい香りが漂ってくる。彼はニヤニヤしながら聞いてくる。

「いらない?」

「ッ――」

 開きかけた口が言葉を発するよりも早く、私のお腹が特大の音量でグー、と鳴った。


 彼が作ってくれたのは何と、インスタントラーメンだった。とろとろの卵と、たっぷり野菜とキノコを入れた味噌味のそれはまぎれも無い、日本で慣れ親しんだ味だった。

「すごく美味しいです!」

 懐かしさに、ともすれば涙が出そうになりながら、私はガツガツと麺を啜った。

「ハハハ。非常食でこんなに喜んでもらえるとはね。今、店の開店準備でこれしかなくて」

「……開店準備?」

「そう。この店をゆずってもらったんだ」

 彼はくしゃっと笑った。

「俺は、オーナー兼、メインシェフ。前オーナーが、備品や機材ごと譲ってくれたから、すぐにオープンするよ。……と、自己紹介がまだだったね。園田歩です。どうぞ宜しく」

「私は、クーロンヌ・ド・フルールの狭山礼子です」

「狭山さんね。花屋さんの経験は長いの?」

 丁度ラーメンの最後のスープまで一気に啜ってしまったところで、私は箸を置いて居住まいを正した。

「まだ見習いとして働き始めたばかりです」

 園田さんは、フム、と顎をさすって天井を見た。

(やっぱり、見習いじゃあ仕事を任せられないということかしら……)

 緊張で体を強張らせる私に彼は向き直った。

「狭山さん」

「はい」

「こんな外国で、日本人の俺らが出会ったのは、きっと何かの縁があるにちがいない。君に依頼するよ。オープンは三日後。宜しく頼む」

「……こちらこそ、宜しくお願いします!」

 私は力いっぱい頭を下げた。

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