第4話
フローリスト・アンヌの店「クーロンヌ・ド・フルール」は今日もたくさんの人で賑わっている。
「レイコ。これを一つ、お願い」
マダム・エリーヌの差し出した花束は、店長のアンヌが作ったものだ。
薄桃色の大きなラナンキュラスにイエローとオレンジの薔薇を添えた、見ていると心の底から明るい気分になれる花束だ。
「お腹の子も、きっと喜ぶと思うのよね」
エリーヌは大きなお腹をさすりながら、うっとりと薔薇の香りを楽しんでいる。
彼女は息子のネイサンを幼稚園に迎えにいったあと、このお店にやってくる。
ネイサンはつまらなそうな顔で店の中をぶらぶらしていたが、エリーヌが他の花を見ている隙に私のそばにやってきた。
「レイコ、僕ね、大きくなったら日本へ行くんだ。だからね、日本語の勉強のために、今度『マンガ』を買ってもらうんだよ」
嬉しそうに教えてくれる。綺麗に切りそろえられた、癖の無い金髪がサラ、と揺れた。
「そうなの。良かったわね」
微笑み返し、包み終えた花束をエリーヌに渡す。彼女は満足げに受け取ると、まだ私のそばにいるネイサンの名前を呼んだ。彼は不服気な視線をちらと母親に向けると、寂しそうに呟いた。
「最近のママは、もうすぐ産まれてくる赤ちゃんのことで頭がいっぱいなんだよ」
「そんなことないわ」
「だって、いつも赤ちゃんのことばかりパパと話しているんだ。それに僕の話を全然聞いてくれないんだもの」
「ネイサン……」
言葉を探しているうちに、彼は悲しげな一瞥をして、エリーヌの元へ走っていってしまった。
(どうしたら良かったのかしら……)
こういうとき、口下手な自分が嫌になる。言葉の壁もあるだろうが、どちらかというと、気持ちの問題だ。
心の中では半分くらい、歳の近いエリーヌの気持ちもわかってしまう。
気落ちしながらも作業を続けていると、店の奥からアンヌが出て来た。歳は三十代後半。大柄で逞しい彼女の腕から繊細な表情の花束が作り上げられていく様は、いつ見ても心が踊る。
私は彼女を素晴らしいアーティストとして尊敬していたが、彼女のほうは私を全くといっていいほど信用していないことを痛いほど感じていた。スタージュとして受け入れてはくれたが、日本から来て間もない、言葉も片言でしか通じないペーペーの花屋見習いを持て余していたのかもしれない。
「レイコ、ちょっと……」
彼女は店の奥にある事務所に来るよう、目で合図をした。
(何だろう……)
アンヌと二人きりになるのは、この店に来て初めてのことだった。嫌な予感を抱えつつも仕方なく後に従った。
「実は、あるカフェから注文があったの。店内のフラワーデザインをうちに依頼したいということよ」
狭い事務所の中、目の前のアンナは、私に背を向けて腕組みをしている。
「“ランデブー・ド・リビエール”という店よ。その仕事をレイコに任せたいと思っている」
「――はい?」
私は耳を疑った。修行を初めて間もない私に、そんな大きな仕事を任せるというのは一体どういうことなのだろう。まさか本当は、アンヌは私のなかの眠れる才能に気付いていて、それを育てさせようということなのだろうか? しかし、振り向いた彼女の顔を見てそんな淡い期待は即座に崩れ去った。
彼女はまるで氷のように冷たかった。ただただ、冷たい眼差しで私を見下ろしている。
(――これはきっと、失敗したらクビになるということだわ)
「明日からレイコにはそちらの担当になってもらう。花は店のストックを使っていいわ。ただし共用なのだから、必ず私に一言相談してからにしなさい。……やりますか?」
問われていても、拒否権はない。胃の底がぎゅっと掴まれるような感覚になりながら、私はゆっくり首を縦に振った。***************
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