第3話

 窓を開けると、日本のそれとはどこか違う太陽の光が、部屋にさっと差し込んだ。私は眠たい目をこすりながら洗面台に向かい、冷たい水でパシャパシャと顔を洗う。

「――ふぅ」

 鏡の中の顔は、いかんせん疲れ切っている。

「昨日も遅かったからなぁ」

 単身フランスに来て一ヶ月。飛ぶように毎日が過ぎていった。

 語学学校に行きながら、花屋で修行する毎日は充実感はあるが、そろそろ身体が限界にきているらしい。


「今日は一日ゆっくり出来るし、のんびりしよう」

 シャワーを浴びて、服を着替えると、ご飯を食べに行こうと外へ出た。


 三月のフランスはまだまだ肌寒い。花曇りの空の下、トレンチコートの襟元を合わせて急ぎ足で歩く。アパートの近くのカフェへ飛び込んだ。

「ボンジュール、ビアンブニュ」

 店内は暖かい。すっかり顔なじみになった店員さんが奥の席に案内してくれる。

「レイコ、ジュ・ヴ・ザデ?」

 メニューの一番始めに乗っているサンドイッチを指差すと、彼はにっこり微笑んでオーダーを厨房に伝えにいった。


 セーヌ川の畔にあるこのカフェは、今のところ借りているアパート以外で、一番落ち着ける場所だ。語学学校も花屋修行も勢いで何とかこなしている私にとって、心からのんびり出来る時間はほとんどない。店員さんがそんな私の心情を察してくれているかどうかは定かではないが、拙いフランス語にも笑顔で応えてくれることがとても有り難い。

 運ばれて来たサンドイッチを齧りながらぼんやりしていると、昨日店長に言われたことが頭をよぎった。

「――レイコ、あなたのアレンジは固過ぎるわ。もっとお花のことを考えてあわせないと。花の良さを殺してしまっているわ」

 私が作った花束を見て、店長は眉を寄せた。わざわざ日本を離れ、この地に来たというのに腕が上達している実感があまりない。

(考えたくないけれど、私には才能がないのだろうか……)

「こんにちわー」

カフェの入り口から聞こえた久々の日本語に私は思わず振り向いた。


 戸口にくしゃくしゃの髪をした一人の青年が立っていた。モッズコートにブーツというカジュアルな出で立ちだ。彼は出てきた店員さんと何かごにょごにょと話している。しばらく話し込んだあと彼は奥の席、つまり私の席の近くにやってきた。どうやら面接らしい。

 気になって私が見ていると、店長である太めのおじさんが出てきた。彼の出した書類に目を通し、おじさんは満足気に頷いた。

「では、明日から、どうぞ宜しくお願いします!」

 立ち上がって、大きな声で頭を下げた彼に、おじさんは満面の笑みを見せている。

(カフェの修行かしら――)

 自分と同じような境遇の彼に、こっそり心の中で「良かったね」とエールを送ると、洗濯物が溜まっていたことを思い出した。

 急いでサンドイッチを飲みこむと、私はアパートに戻ることにした。

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