第2話
買い付けを終えて店に着くと、アルバイトの篠原さんが既に店の前で待っていた。
「あら、まだシフトの時間よりだいぶ前じゃない。どうかしたの?」
驚いて尋ねると、彼女はちょっと恥ずかしそうに顔を伏せた。
「いえ、実は早くに目が覚めてしまって。今日は祝日ですし、何かお手伝いできることがあればと……」
私は思わず頬が緩んでしまいそうになった。
(将来、花屋を目指しているというわけでもないのに……。なんてやる気のある子なのかしら)
内心感心しつつ「シフトを組んでいる以上次はダメよ」と釘を差してから、開店の準備を手伝ってもらうことにした。鉢の移動や、買って来た花たちを車から降ろすなどなどやることはたくさんある。
(どうしようかしら。肉体運動は悟くんに頼むとして……)
しばらく逡巡し、私はいいことを思いついた。
「――篠原さん。そろそろブーケ作りをやってみましょうか」
彼女の顔がぱっと明るく輝いたのを見て、思わず私も微笑んだ。
まずは私が幾つか花の種類を選んでお手本を見せることにした。
「初夏をイメージするわね。瑞々しいグリーンに白を合わせましょう」
並んでいる花々を見渡し、気になったものを手に取っていく。
「ビバーナムは別名グリーンアジサイ。そしてこちらのトルコキキョウは、色の種類が豊富なの」
トルコキキョウはバラのように大きな花びらが幾重にも重なっていて、とても見事だ。朝市で買って来たばかりなので、葉の先々まで瑞々しい。ビバーナムの美しい緑の間から、トルコキキョウの白い花が、顔を覗かせるように束ねていく。
「――はい。こんな感じかな」
出来上がった花束は、自分でも笑みが溢れるほど可愛らしい。
「素敵です」
篠原さんも微笑みながら花束を見つめている。
「じゃあ、今度はあなたの好きな色で作ってみましょう」
「――はい」
立ち上がると、彼女はゆっくり店内を回りながら一つ一つ確かめるように花を選んでいる。私がその様子を見守っていると、やがて二種類の花を手に戻って来た。
「店長、これで花束を作りたいと思うのですが……」
手にしていたのを見て、私はちょっと驚いた。それは早咲きのミニヒマワリと、美しい青色のデルフィニウムだった。
「どうしてこれを選んだの?」
尋ねると、ちょっと顔を赤くする。
「私、この青色がとても好きなのです。いつか花束を作れるようになったら絶対使ってみたいと思っていて。青色に合うのは何かなって、選んでいたのですけれど、ヒマワリの黄色がとても鮮やかで綺麗だったので……」
自信がなくなっていくのか、どんどん声が小さくなっていく。でも、私は感心していた。
「篠原さん。『色相環』というのが合ってね。相性の良い色の組み合わせがあるのよ。青色の反対色は黄色なの。とてもいい組み合わせだわ」
お店では卓上花用に毎日、三種類のブーケを作っている。人気の高いピンク色は不動。あとはその日の入荷しだいで決めて行く。今日は私の作ったトルコキキョウのブーケと、篠原さん作ったデルフィニウムのブーケでいってみたい。そのことを伝えると、彼女は赤くなっていた顔を更に赤らめながら「ありがとうございます」と小声で言った。
私たちが花束を作っていると、悟くんが出勤してきた。篠原さんが作った花束を見て、驚いた様子であったが「可愛いな」と褒めている。開店の時間が迫る中、私たちは慌ただしく、残りの準備に取りかった。
いよいよ開店十分前。店の前では既に数人のお客様が開店を待っている。最終確認のため店内をまわっていると、ポケットの携帯が震えた。
(――『哲郎』? テツにぃが開店直前に電話をしてくるなんて……)
ふいに嫌な予感に急いで通話ボタンを押すと、兄の焦った声が飛び込んで来た。
『礼子、大変だ。翔太が熱をだした。高熱だ』
「――え?」
『今すぐ病院に来い。ずっとうなされているんだよ』
苦しそうに私の名前を呼ぶ翔太が頭をよぎる。でも、足が、身体が動かない。
『聞いてるのか? 礼子――』
「店長、そろそろ開店します。準備お願いしま……店長?」
「今、行くわ――」
それだけ言うと、急に身体から力が抜けて行く。
(――翔太。私の大切な翔太。あの子に何かあったら、私は一体どうしたら)
不安が渦のように押し寄せてくる。
「店長。どうしたんですか、しっかりしてください!」
「どうしました。大丈夫ですか――店長?」
悟くんの焦った声に、様子を見にきた篠原さんと目が合った。彼女が瞬時に何かを感じ取ってくれたことがわかった。
「店長、あがって下さい。ここは私たちに任せて下さい」
「でも……」
「あと一時間もすればパートさんが来てくれます。それまでは二人で持ちこたえます。店長は早く行ってあげてください」
悟くんは、オロオロと私達の様子を見守っている。
「篠原さん、でも――」
「大丈夫です。留守は、しっかり守りますから」
彼女は青ざめながらも、はっきりとそう言ってくれた。私はよろよろと立ち上がると、涙が溢れそうになるのを必死に堪えた。
「――ごめんなさい。すぐ戻るから」
それだけやっと言うと、心配そうな二人に後を頼み、カバンと車のキーを掴むと急いで店を出た。
震える手でエンジンキーを回し、込みあがってくる不安を抑えてアクセルを踏んだ。車は滑らかに走り出し、哲郎の教えてくれた病院へ向けて走り出す。
(――翔太。ママ、今すぐいくからね)
窓の向こうは、嘘みたいにキレイな青空だった。
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