北へ【4】
違うと脳裏を過った期待を、セラはすぐに自ら否定した。
流星はセラが樹海の中にいることを知っている。仮に流星が仲間と共にセラを迎えに来たのなら、こんな怖い思いはしなくてすんだはずである。
一方で金の瞳の男もまた、セラをよく観察するようにフードの端を持ち上げた。未だに隠れた髪と輪郭は定かではないが、はっきりした目元はやはり流星によく似ている、とセラは思った。
「驚いたな。君はシューレの民か。この樹海は君らにとって忌地だろう。こんなに奥でどうしたんだい?」
そうして驚いたのは男も同じだったようである。彼はセラの容姿の持つ意味をよく理解しているようだ。しかし外界でシューレの民自分たちのことを知る者はどのくらいいるのだろう。セラにはそれが普通であるのか、それとも警戒すべきことであるのかわからなかった。
黙りこんでいるセラのそれが答えと思ったのだろう。彼はそのまま言葉を続ける。
「答えたくはないのか、答えられないのか。何にせよ君も訳ありとみえる」
「訳ありなら尚のこと。我らの事が知られた以上、このまま返すわけにはいきません。このままここに残してもどこで我らの事がもれないとも限りません」
「だから先程仕留めておけばよかったのです」
「いや、罪なきシューレの民を殺しては、僕らがここにいる意味がない」
彼らの会話を聞きながら、セラはようやく事態を飲み込みつつあった。セラがシューレから逃げてきたように、彼らも何かから逃げてきたのだ。それで彼らはセラから事がもれることを恐れている。それは流星に似た彼よりも、彼に従う二人に顕著に見えた。
きっと彼らにとって彼は、誰よりも大切な人なんだ。二人の気持ちが一瞬兄を庇った自分と重なって、セラは彼らを見上げ瞬きをした。
酷いことを言われているが、そう思ってしまえば不思議と腹はたたない。
セラの気持ちを知ってか知らずか、尚もいい募ろうとする部下を流星に似た彼は再度制した。そうして向けられた彼の手が、セラを助け起こすように添えられる。
「シューレの巫、名は?」
「……セラ」と、衣服についた汚れを払いながら、セラは答えた。
「セラ、シューレは君の帰る場所かい?」
セラはその問いに首を横に振った。
「ではシューレを捨てて、共に来る気はあるかい? 僕らはこの樹海を北に抜ける。決して悪いようにはしないから」
流星は待てと言っていたが、この場合どうしたらいいのだろうか。ここで彼らに付いていけば流星の言いつけを破ることになる。対してここで首を横に振れば何をされるかわからない。
悪い人ではないとは思う。しかしセラはこの一行を信じていいのか計りかねていた。
それでも流星がセラに示した北の地に何があるのか興味がある。
「北にはなにがあるの?」
「アルクトゥールス公国」
アルクトゥールスは流星が教えてくれた言葉だ。まさかこんなところで聞くとは思っていなかったセラは確認するように言葉を口にする。
「アルクトゥールスって国の名なの?」
「そう、オーロラに守られた美しい国さ」
「オーロラ?」
聞いたことない言葉にセラは首をかしげた。
「空を彩る光の帯のことだよ。天の裂目なんて言う者もいるけどね」
「裂目なんて毎夜何かが落ちてきそうで困りものね」
セラは軽い気持ちで呟いたつもりだったが、セラの返しに彼は堪えきれず笑い声をあげた。彼の声にあわせて、マントの裾が揺れる。
「困りもの、か。帝国の中には天の裂目から善からぬものを召喚しているなんて恐れている者もいるくらいだけど」
「変なの。天は恵みをもたらすものでしょ」
「そう思わないものもいるってことだよ。環境が違えば捉え方もかわる」
それはシューレの地で死者への尊敬が失われていったように?、とセラは言葉にしかけたそれを飲み込んだ。きっとそれは、あの環境を知っているセラだけがわかることだ。
でも……とセラの思考に、流星に似た彼の声が重なる。
「でも何百年もオーロラによって国を守ってきた彼らの感覚とセラのそれは似ているかもしれないね。実は、僕はシューレの起源が彼の国にってあるんじゃないかと思っているんだ。だから、この提案は君にとっても悪い話ではないと思うんだけど」
北の地の人々が共に価値観を共有できる相手であるならば、それはどんなに魅力的なことだろう。
ざわりっとセラの心がざわめいた。自由を得られる場所、オーロラの都、シューレ《わたしたち》の起源ーー一気に得た情報がセラの鼓動を早くする。待ち望んだ地がこの先にある。それを実感してセラはもう己を抑えられなかった。
「わたし、行くわ」
流星のことは気がかりだ。けれど、彼はこうも言ったではないか。『君が信じてくれる限り、君の思いは星まで届く』と。
流星はきっと追い付いてくる。だから待つのではなく、信じているから先に進むのだ。
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