第11話 忘れないよ……きっと!


連載戯曲『梅さん⑪ 忘れないよ……きっと!』       





渚: 彼はどうしたの? 本拾ってもらって「じゃ」でおしまい?

梅: それから帝大に入って、逓信省に二年勤めて、結核で死んじゃった。

渚: みんな早死に……でも、あたしの聞きたいのは……

梅: そういう時代。今日は九十九年ぶり……ちっとも変わってなかった、石頭の熱血漢。

 会話なんて、辞書を拾ってさしあげた、ほんの二言三言……だけど、わたしの殿方を見る目に狂いはなかったわ。

 元締めの剪定一本やりのやり方に反対し、これはという人にとりついて、立ち直らせる運動を進めている。

渚: ……やさしい人なんだね。

梅: 違うよ。人にとりついて立ち直らせるなんて、手間と時間ばかりかかって、成功率は二割もないんだよ。

渚: わかんない……

梅: 平四郎さん、生きてる人間のことは生きてる人間にまかせろって主義。

 戦争が起ころうと災害が起ころうと、生きてる人間にまかせ、これはと思う少数の人間にとりついて矯正……

 厳しく鍛え直すって意味ね。そうして鍛え直した人間の手で、世の中を良くしようって、

 まあ、遠回りで間接的なやり方……ある面、人間を突き放した愛情ね。

 だから数的には元締めの剪定方式にはかなわない。

渚: ……むずいよ。

梅: あけすけに言うと、筋向かいの池田君なんか、そのまま生かしといて、事故はおこさせない。

渚: それって……

梅: ね、優しさとか、愛情とか……とってもむづかしいことなんだ、人に対しても、世の中に対しても。

 平四郎さんの目を見ていると、渚のことにかぎっては、任せても良いような気になった……

 渚、平四郎さんは間接的に関わってくれるだけだからね。

 ぼんやり生きてると、子供を死なせて、自殺の巻き添えで大勢の人を死なせることになるからね……

渚: うん。

梅:  拙いけれど進一君への愛情は本物になるかもしれない……

 そのへんに賭けて、信じるわ、しっかり生きていきなさい。じゃあ……

渚: 梅さん……あの……おでんの作り方を……

梅: おでんのレシピは……

渚: 待って、書きとめるから……もう少しいっしょにいて。

梅: 大丈夫。サービスで頭の中にインプットしといたから、次から同じ味が出せるよ。

渚: 梅さん……

梅: うん……

渚: あの……(無理に話題をさぐる)あたしの渚って名前、源七じいちゃんがつけてくれたの。

  海と陸との境目をとりもち、人の心を和ませてくれる伊豆の浜辺の渚にちなんで……

梅:  ああ、それ……ふくさんと相談して、二十年前源七の耳元でささやいてやったの。

  源七自身、なんとか渚とかのファンだったから、ひっかけやすかった。

渚: ……梅さんがふくさんといっしょにつけてくれたんだ!

梅: それも源七の孫への愛情があって、はじめてできることなんだよ。

渚: うん、うん、大切にするね……

梅: そうしてちょうだい。

渚: 梅さん……

梅: 言っとくけど……わたしのことはすぐに忘れちゃうからね。

渚: ううん、忘れないよ!

梅: 無理だよ、夢といっしょだからすぐに忘れちゃう……

 でも、梅ってひいひい婆ちゃんいたことぐらい、心の片隅に残っていると嬉しいよ。

渚: 忘れないよ……きっと!

梅: あ、美智子さんが帰ってくる。ほら、もう玄関の方に……(渚、一瞬玄関に目をやる。そのすきに、梅消える)

母: ただいまあ……あら、貸衣裳屋さんはもう帰ったんだね……うまく着付けてもらったじゃない。

 ね、母さんの選択はまちがってなかったね。やっぱり女学生はこうでなくっちゃ……せめて、最後ぐらいはね……

 あら、いい匂い、おでんつくっといてくれたの、たすかったわ……

 (台所へ、声)うわーおいしそう……(ハンペンをつまみ喰いしながら出てくる)

 あんた、お料理うまくなったわね、このハンペンのおいしいこと……どうしたのボンヤリして?

渚: え……あ、ああ……誰かと話してたような気がするんだけど……

母: 変な子。そうだ、渚も帰ってきたことだし、お父さんも今日は定時だって言ってたから一本つけようよ。

 その姿とじいちゃんの梅を肴にさ! あ……お酒きれてるんだ。

渚: あ、あたし買ってくる。

母: え、そのかっこうで?

渚: いいじゃん、すぐ近所だし。渚の御町内デビューってことで……ワインもいっしょに買っとくね。

 あ、その梅あたしんだからね、さわっちゃやだよ。じゃあ……だめだってさわっちゃ!(奪いとる)

母: え、だって嫌がってたじゃない……

渚: 今は気にいってんの。名前までつけたんだからね。

母: 梅に名前を?

渚: うん、梅さんていうの。

母: ハハハ、まんまじゃない。

渚: ……ほんと、まんまだ。

母: 思いつきでしょ、あたしが梅に構うもんだから?

渚: ち、ちがうよ……(と言いながら、自分でも不思議な感じがする)


   この時、かすかな爆音に、母、空に顔を向ける


母: あ、飛行船! ニュースでやってたやつだ……

渚: ほんとだ、伊豆じゃじいちゃんしか気がつかなかったんだ……

母: どうせ おしゃべりに夢中になってたんでしょ?

渚: あったりィ、朝シャンと朝風呂しながらね。

母: 胴体に梅の模様が散らしてある。粋だねえ……

渚: 飛行船も、梅さんだ……

母: (思いのほか、飛行船に見とれている娘を気づかい)買い物、あたしが行ってこようか?

渚: 待って、あの飛行船を見送ったら……いっしょに行こう……久しぶりに二人でさ……

母: え、そうかい(チラと娘の横顔を見て、すぐに空に目をもどす)……そうだね、いっしょに行こうか……誰かさんの風むきが変わらないうちにね……


 梅の鉢を手に、飛行船をなごやかに見送る二人。

 なごやかなエンディングテーマ、飛行船の爆音とクロスしつつフェードアップして幕






 

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連載戯曲『梅さん』 武者走走九郎or大橋むつお @magaki018

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