バレンタインデー(side:百合香)
甘い甘いビターチョコレート
2月14日バレンタインデー。
の、前日の13日日曜日。
「お邪魔しまーす」
「お邪魔します」
「お、お邪魔します…」
バレンタインデー用のチョコレートを作るために、はるちゃんと笹原先輩と一緒に夏美ちゃんの家に来ていた。
「はる、髪の毛とか爪とか入れんなよ」
「入れないよ流石に。私をなんだと思ってんだよ」
「ナイトくんのストーカー」
「彼女!です!正式な!」
「…脅して付き合わせたとかじゃないよな?」
「ちゃんと向こうも好きって言ってくれましたー!録音してありますー!」
「うわっ…それ、許可取ったの?」
「取った」
「嘘だろ…」
はるちゃんのこういうところは少し海菜に似ているかもしれない。ちゃんと許可を取ってから録音しただけ海菜よりはマシかもしれないが。
そういえば、あの音声は結局消したのだろうか。まぁ、持っていたって別に、人前で再生しなければ黙認するつもりだけれど。
「そんなことより、何作る?」
「なんか凝ったもん作りたいよな」
「えっと…じゃあ、ガトーショコラかブラウニーはどうかな。一日寝かせた方が美味しくなるから。渡す頃に食べ頃になると思う」
「あー…ケーキみたいなやつ?」
「みたいっていうか、ケーキだよ」
「先輩、作れるんすか?」
「うん。妹と一緒作ったことあるよ」
「「すげぇー」」
2人の感嘆の声を聞いて照れ笑いする先輩。
ケーキと聞くと難しそうだが、私でも出来るだろうか。
「ちなみにブラウニーとガトーショコラって、どう違うんすか?」
「ブラウニーはガトーショコラに比べるとずっしりしてる。卵の使い方が違うんだ。ガトーショコラは卵白を泡立ててメレンゲにするんだけど、ブラウニーは溶き卵を使うの」
「なるほど…」
というわけで、私と先輩はガトーショコラ。2人はブラウニーを作ることにした。
板チョコを刻み、50度から60度のお湯で湯煎にかけてゆっくりと溶かしていく。その間に先輩は卵白と卵黄を分けて卵白を冷蔵庫に入れた。冷やすことでメレンゲを作る時に泡が立ちやすくなるらしい。
チョコが完全に溶けてきたところで、先輩が混ぜて置いてくれた卵黄と合わせて混ぜる。その間に先輩はメレンゲを作っておいてくれた。なんだか今日の先輩はちょっと頼もしい。
「あとは焼くだけだね」
出来上がった生地を型に入れ、夏美ちゃん達の生地ができるのを待ってから、予熱したオーブンに一緒に入れる。後は焼けるのを待つだけ。
先輩の手際が良かったというのもあるかもしれないが、意外と簡単だ。
「…そういえば、先輩ってもう進路決まってるんですか?」
「あ、うん。近所の大学に進学するよ。私、昔から本が好きで、図書館の司書になりたいんだ」
「へぇ…」
「小桜さんは?進路とか考えてる?」
「私は…まだ決定ではないんですけど、就職しようと思ってます」
「えっ、ユリエル就職なの?」
「えぇ。…私はみんなみたいに、大きな夢は無いの。それなら大学に行くより、早めに就職してキャリアを積んだ方が良いと思って。せっかくこの先簿記の資格とか色々取るんだから、それを活かせる経営の仕事に就こうと思ってる」
『就職したら一生そこで働かなきゃいけないわけじゃないしさ。やりたいこと見つかったら辞めればいいかなって思って』と、以前、海菜の兄の湊さんが言っていた。今は私もそれに近い考えだ。それに…やりたいことが見つからなかったとしても、私は海菜と居られるだけで、それだけで幸せだ。
強いて言うなら、私の夢はいつかこの国で彼女と家族になること。それだけだ。
「へぇ…すげぇな…」
「なっちゃんも就職だったよね」
「あー…いや、今はちょっと悩んでる」
「お?なんか夢が見つかったの?」
「…バンド始めてから…このまま、歌を仕事にしたいなって、思い始めちゃって。…プロになるために専門校通おうかなって思ってる」
照れ臭そうに照れ笑いしながら夢を語る夏美ちゃん。素敵な夢だ。
「応援するわね」
「へへ…ありがとう。頑張る」
文化祭の時の彼女の歌声、本当に綺麗だった。気が早いかもしれないが、メジャーデビューする日が楽しみだ。
そして翌日。海菜は用事があるから先に学校に行くということで、私もそれに合わせていつもより早めに家を出た。
「おはよう、百合香」
「おはよう」
いつもの車両で彼女と合流する。何気に、彼女と2人きりで登校するのは初めてかもしれない。
「用事って?」
「…チョコレート、二人きりの時に渡したいなと思って」
「つまり、用事なんて無いのね」
「ふふ。ごめんね」
「別に構わないわ。そんなことだろうと思ったから」
バレンタインデーは一般的に—最近は逆チョコというものもあるが—女性から男性にチョコレートを送る日だ。ホワイトデーは男性がチョコレートのお返しをする日。
しかし、私達は2人とも女性だ。海菜の見た目が男性寄りだからか、海菜のことを私の彼氏だと称する人もいたり『どっちが彼氏役なの?』と聞く人もいるけれど、どちらが彼氏役とか、そういうのは私達にはない。私は海菜の恋人で、海菜も私の恋人。あるいはどちらも彼女だ。
「…よし。誰も来てないね。じゃ、鍵取ってくるね」
「えぇ」
教室に鍵がかかっていることを確認すると彼女は廊下に荷物を置いて鍵を取りに行った。
待つこと数分。戻ってきた彼女が教室の鍵を開ける。
「どうぞ」
「ありがとう」
当たり前だが、中には誰も居ない。
彼女が私に続いて中に入ると、ガチャリと鍵をかけた。
「ふふ。私と一緒にイケナイことしよっか」
「…しません」
「えー。じゃあイイコトする?」
「……結局同じじゃない」
「あははー」
「鍵は開けておきなさい。やましいことしてるみたいで嫌」
「やましいことしようよー」
「…そういう冗談ばかり言う人にはチョコあげないわよ」
「チョコより君が欲し—」
窓を開けて『それ以上冗談を言うならチョコレートを窓から放り投げるわよ』と、無言で圧をかける。流石に冗談が過ぎたと理解したのか、黙って教室の鍵を開けた。
窓を閉めて、彼女にチョコレートを手渡す。
「…本当に捨てるわけないでしょ。…あなたのためにわざわざ作ったんだから」
「ふふ。私だって、本当に捨てるなんて思ってないよ」
そのにやけ顔に一瞬イラっとするが「ありがとう」と微笑まれるだけでその苛立ちは一瞬で吹き飛んでしまう。
「…どういたしまして」
「大事に保管するね」
「食べなさいよ」
「えー…でももったいない…」
「…はぁ…もう…」
ガトーショコラを掴み、無理矢理彼女の口に突っ込む。
「むぐ…」
「…美味しい?」
「…めちゃ
「…良かった」
美味い美味いと言いながら私の作ったガトーショコラを頬張る彼女。食べカスが口元についている。
「ついてた」
取った食べカスを、無意識に食べてしまってからハッとする。彼女を見ると、にやにやと憎たらしい笑みを浮かべる。動揺して顔を真っ赤にするなんて可愛い反応はしてくれない。こっちの方が恥ずかしくなり、恥ずかしそうに顔を逸らす。普通、逆なのだけど。
「ふふ。…私もチョコ食べさせてあげるね」
「——っ!」
嫌な予感がしたのも束の間、逸らした顔を強引に戻され、口の中にチョコレートを移される。彼女は「美味しい?」と悪魔のような笑みを浮かべて感想を聞いてくるが、味なんて分かるわけがない。素直に分からないと答えると、彼女は悪魔のような笑顔のまま「じゃあもう一個食べさせてあげるね」と言ってチョコレートを自分の口の中に入れた。
「自分で食べ——!」
断る間もなく、口の中に彼女の熱で少し溶けたチョコレートを移される。
「—っ—もう!!」
「あははっ。ごめんごめん。もうしない。で、味の感想は?」
口の中で溶けていくチョコレートはほろ苦く、だけど、凄く甘かった。
「甘すぎるわよ…馬鹿…」
ビターチョコなんだけどなぁとニヤニヤするその顔は憎たらしくて仕方ないはずなのに、私の心臓はその憎たらしい顔さえ「愛おしい」と主張していた。
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