とある夏の日

世界一美しい声

 6月某日。


「雨、強くなってきたね」


 バタバタと、雨風が部室の窓を叩く。

 天気予報では雨が降るなんて一言も言っていなかったのに。


「ゆりちゃん、傘持ってきた?」


「折り畳みはあるけど…」


 雨も風も強そうだ。折り畳み傘では少々心許ない。


「!」


 一瞬、窓の外がまばゆく光った。数秒後、遠くの方でゴゴゴゴ…と低い音が轟き、ドガーン!と雷が落ちる音が聞こえた。同時に、「うわあああああああ!」という甲高い悲鳴と、ガシャガシャと物音が聞こえた。聞こえてきたのは隣の部屋からだ。隣は演劇部の部室。思わず全員、悲鳴と物音が聞こえた方に注目する。


「…流石演劇部。声がデカい」


「一年生ちゃんかな。二、三年生に雷苦手そうな子居ないもんね」


 そういえば海菜が、満ちゃんは雷が苦手だと言っていた。

 再び窓の外が光る。『自然現象には太刀打ち出来んじゃろ!!』と満ちゃんの声が隣から聞こえてきた。口調がおかしくなるほど怖いらしい。

 と、次の瞬間。


「うわっ!電気落ちた!」


 部屋の電気が落ちて真っ暗になる。隣の部屋から『うみちゃああああん!』と、満ちゃんの悲鳴。


「みんな落ち着いて。とりあえず、針持ってる人は危ないから置こうね」


 部長が冷静に支持する。隣に座っていたはるちゃんも怖いのか、私に抱きついてきた。

 そのまましばらく待っていると、電気がついた。雨も少し弱まってきた気がする。このまま帰る時間には止んでくれれば良いが…。





 と、思っていたが下校時間になっても雨は止まず。

 止むことを願いながら海菜を待つが、一向に止む気配はない。


「止まないな」


「止まないねぇ…この雨は折り畳みじゃ厳しいよな」


「風が強いものね」


「二人とも置き傘してねぇの?一本貸そうか」


 そう言って森くんは傘立てから3本の傘を取り出してきた。


「…置きすぎじゃない?」


「元々一本だったんだけど、置き忘れを繰り返して3本まで増えた」


「あー…なるほど。でも結構です。望くんと相合傘するので」


「あいつ傘持ってきてんの?」


「この間置き忘れた傘があるから」


「…自分のことみたいに言うな」


「望くんのことはいつも見てるので」


「…行きすぎてストーカーになるなよ?」


「…大丈夫です」


「なんか今、間があったぞ…」


 海菜も置き傘をしていると言っていた。私も一本くらい学校に置いておいた方がいいかもしれない。


「雨音ー、お待たせ」


「お、なっちゃん。傘持ってる?」


「無い。ある?」


「あるよ。ほれ。一本貸してやるよ」


「えっ、あっ…そういうパターンか…」


 森くんから傘をもらって微妙な顔をしながら「相合傘したかった」と呟く夏美ちゃん。


「…俺の傘小さいから二人で入るには狭いだろ」


「でもさぁ…雨の日の醍醐味じゃん?ねぇ?二人とも?」


「うんうん」


「…分かったよ。どうせ駅までだし。その先は一本使いなよ。貸してやるから」


「わーい!へへ…あたし持つね」


「おう。荷物貸して。持つよ」


「ありがと。二人とも、またねー」


「またね」


「バイバイー」


「側から見たらあたしの方が彼氏みたい」「仲良い女子二人に見えるかもな」

「でも雨音、声と言動はイケメンじゃん」

 などと話しながら二人は学校を出て行く。

 雨はまだ、弱まらない。だけどそのままで良い。折り畳み傘でいける強さになってしまうと、彼女と同じ傘に入る言い訳がなくなってしまうから。別に、言い訳なんてなくたって同じ傘に入っても良いのだが『折り畳み傘あるのに、そんなに私と同じ傘入りたかったの?』とか言ってニヤニヤする彼女を想像するとムカつく。


「百合香、小春ちゃん。お待たせ」


 来た。空美さん達も一緒だ。途中で会ったのだろう。


「小春、傘は?」


「折り畳みならあるけど、雨強いので入れてください!」


「あぁ、良いよ」


「…月島さんは傘持ってるのかしら」


「折り畳みなら」


「…ふぅん。折り畳み持ってるのね」


「うん」


「…そう」


 ぎこちない会話をする実さんと満ちゃん。見かねた柚樹さんが「俺ら車で帰るけど、乗って行く?」と満ちゃんを誘った。


「お、マジで?良いんすか?」


「いいよな?実」


「…別に構わないわ」


 ぷいっとそっぽを向く実さん。

 空美さんは藤井先輩を、満ちゃん達は一条家の車を待つということで、私たちは先に帰ることに。


「百合香、おいで」


「お邪魔します」


 彼女の傘に入る。雨の音が周りの音を遮って、心なしかいつもより彼女の声がはっきりと聞こえる。


「…人間の声が一番綺麗に聞こえる場所ってどこか知ってる?」


「何?急に」


「ふふ。雨の日の傘の中が人間の声が一番綺麗に聞こえるんだよ」


 どうやら気のせいでは無かったらしい。


「人の声が雨粒に反射して、傘の中で共鳴するからなんだって。だから…今私たちはお互いに、お互いの最も美しい声を聞いているんだね」


 と、彼女は歩きながらくすくすと笑う。その笑い声もなんだかいつもより妖艶に思えるのは、雨と傘のせいなのだろうか。


「…あなたってロマンチストよね」


「ふふ。…愛してるよ。百合香」


 この世で最も美しい声で、耳元で愛を囁かれ、思わず足を止めてしまう。

 真っ赤になっているであろう私の顔を見て、彼女はいつものように憎たらしい笑みを浮かべた。

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