第二話 作家と女子高生と一日目(1/2)
トントン、と包丁がまな板を
遠くにあったその音が、次第に大きくなって、近付いてくる。
ああ、なんだかこの空気、
不意に胸の内に込みあがってきたなにかが、僕を夢の彼岸から現実へと引き戻す。
キッチンの上側にはめ込まれた擦りガラスは、すっかり夜の藍に沈んでいて。
時計の針は、もう七時を指している。
どうやら、丸一日寝てしまったらしい。
「誰、だ?」
口の中がすっかりと乾いて、変な声になった。
「あ、おはようございます。よっぽどお疲れだったんですね。もう夜ですよ」
ボリボリと後頭部を
ついでに
「ふわあああ。んーと、……誰?」
「先生、寝ぼけてます?」
僕は少々、寝起きに弱い。
「うん、多分、ばっちり寝ぼけてる」
えっと、覚えてますか、と見知らぬ少女がおずおずと言った。
制服にエプロンというどこかアンバランスな組み合わせなのに、なんというか彼女が放つ妙に所帯じみた雰囲気のせいでやけにこの空間に
僕が変に慌てずにすんでいるのも、多分、そのせい。
「昨日、言われた通り、掃除にきたんですけど。あと、すみません。冷蔵庫を開けて、ご飯の準備をさせてもらいました。もうすぐできますけど、どうしますか?」
尋ねられると、意識よりも早く体が反応した。
ぐうううぅぅぅ、っと。
エプロン姿の女子高生がくすくすと笑った。
「食べられるみたいですね」
会話をしていると、段々と意識がはっきりしてくる。
昨日は、ええっと、なんだ。そう。
新作の打ち合わせに編集部へいったんだ。
実に三ヶ月ぶりの打ち合わせだった。
プロットにOKが出てからも悩みに悩んでしまい、結果、難産だったけれど、満足のいく作品に仕あがった。これでいけると信じていた。けれど、結果は全ボツ。
で、ラブコメを書くように勧められた。
そんで、アパートに帰ったら彼女がいたんだ。
と、昨夜の光景が頭の中で急にふわりと浮かびあがった。
白銀の月明かりを一人占めしていた美しい少女。
名前は、確か──。
「思い出した。
「はい、そうです。
そう言って、女子高生はわざとらしく敬礼なんてしていた。
僕がシャワーを浴びて脱衣所から出てくると、部屋はすっかりと片付いていた。
再び腹がくうっと鳴った。
食料をせがむ腹を
ここまで整理整頓されているのは、引っ越してきた直後ぶりくらいかもしれない。
床に重ねてあった本が、しっかりと本棚に収まっていた。僕は筆者のペンネームをあいうえお順で並べるようにしているのだが、そのルールもきちんと守られているようだ。
かつて執筆の資料として買った、拡声器とか、三角コーンとか、ダンベルとかは、邪魔にならないように部屋の隅へ。うんうん。いいね。いいよ。いい感じじゃん、などと余裕ぶって
「ぶふっ」
むせて、奇声をあげてしまう。
「ごほっ、ごほっ」
大丈夫ですか? と
あるいはもう手遅れかもしれない。
うへえ、ヤバイヤバイ、ヤッバイ。
旧スクール水着を始めとするもろもろのコスプレ衣装も一緒に並べられているじゃないか。
せっかくさっぱりしたばかりだというのに、嫌な汗がダバダバと分泌される。あ、終わったって思ったね。マジで。通報されたら勝てる要素ゼロだもん。ニュースだとなんて紹介されるのかな? 無職? それともラノベ作家? 同業者の皆様、風評被害
ちらりと視線をまずはスク水へ。
それから、
僕の視線を
むむむ、わからん。
うかつに動けないから、とりあえず曖昧に笑っておく。
いや、通報されてないならいいんだけどさ。これ、飯食ってる間に、警察が突入してくるようなクソ展開とかないよな。マジで。あ、胃が痛い。マジ痛い。きゅーんってなる。
でも、問いただす勇気はないんだよなあ。
だって、説明を求められても
なにを言っても、言い訳みたいになりそう。
玄関には、コンビニ弁当の空き箱でぱんぱんに膨らんだゴミ袋が二つ。
開け放たれた窓から、秋の夜の甘い空気が香ってきた。
アパートの隣に住むおじさんが育てているのだ。
カーテンが膨れるたびに、涼しげな風が
とりあえず今は飯だ。
なに食わぬ顔をして、のそのそとテーブルの前に座る。
「……じゃ、いただきます」
「はい! どうぞ!」
ちなみに、ご飯はすごく
急に刺激された胃がもっと寄こせと叫んで、箸がすすむ。
「どうですか?」
「ん? ああ、めちゃくちゃ
「それはよかったです。あ、ご飯粒ついてますよ」
「どこ?」
「ここです」
言うが早いか、ひょいっと
彼女の長い爪の表面が
ドキン、と心臓が一度だけ強く跳ねた。僕はなにもできなかった。そう、まるで童貞のように。いや、誰が童貞だよ。僕だよ。
なんてこっちが情けないくらい内心慌てている間に、
ん? んん?
おっふ。そうですか、そうきますか。
この子、やりよる。
多分、学校だとスクールカースト上位グループ。本人は目立つタイプじゃないけど、クラスの女子を仕切るような女ボスにやたらと気に入られたりして。故に自身に
ああ、
「やめろや、
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます