第二話 作家と女子高生と一日目(2/2)

 いきなり立ちあがり、窓から叫んだ僕に、まつくんが目をパチパチとまばたかせる。

「あのう、どうかしましたか?」

「いや、なんでもない」

 僕はそそくさと座りなおして、再びちやわんを手にした。

 全く、僕だからこの程度の致命傷で済んだものの、これが同級生とかだったらどうなっていたかわからないぞ。僕たち陰キャは彼女たちが考えている何十倍もちょろいのだ。

 そのなんの気ない仕草に、単純な馬鹿野郎たちはすぐに心をトキメかせる。

 僕も学生時代、やたらと苦汁を飲まされたから知っている。

 あれ、この子、僕のこと好きなんじゃない、とか挨拶されただけで思い込んじゃったりしてさ。ボディタッチなんてされようものなら、秒で彼女との結婚までの物語を組み立てたり。同じように誰かに声をかけていたら、嫉妬の視線を獣のように送ったものだ。でも、悲しいかな。リア充組に見返された途端に、日陰者はすぐに目をらしてしまうという習性がある。

 遠き日のことを思い出すと、口の中の米が少ししょっぱく感じた。

 思い出はいつも、少し苦くて、ちょっぴりしょっぱい。

「おかわりはいかがですか?」

「あ、じゃあ、少し」

「わかりました」

 わんを受け取ったまつくんは立ちあがり、ご飯をよそって、テテテと戻ってくる。

「はい、どうぞ」

「ありがとう」

 ほかほかの湯気が立つご飯をもう一口放り、むしゃむしゃとしやくしてからみ込んだ。それから、尋ねた。

「というか、君は食べないの?」

「え?」

「それとも、もう食べたの?」

「わたしもご一緒していいんですか?」

 まつくんは口を開けて、ぽかんとほうけていた。

「うん? もちろん」

 むしろ、悪い理由があるのだろうか。

 ああ、でも、一応、バイト中だもんな。

 僕なんかはそういうのを今までまともにやってこなかったからよく知らないんだけど、服務規程とか就業規則とかいろいろとややこしいものがあるのかもしれない。

 なんて、ぼんやり思っていると、まつくんは少しだけ考えてから。

「じゃあ、次からはお言葉に甘えてもいいですか? もちろん、材料費は負担しますので」

「そんなもの、編集部に経費でつけとけばいいよ。少しはむこうに金を払わせないと。知ってる? ふたつ担当、昨日、僕のこんしんの原稿を流し読みしただけで全ボツにしたんだよ。大体さ、全ボツって簡単に口にするけど、それ、僕にとっては三ヶ月間タダ働きしろって宣言されるのと同じだからね。おかしいだろ。そう思わない? こっちはきちんと手順を踏んで、後でひっくり返されることのないようにプロットにOKもらってから書き始めたっていうのにさ」

「ええ、えーと。そう、です、ね?」

「出版社はもっと作家を大事にすべきだ」

 もちろん、そんなことを直接言う勇気なんてない。

 なぜか世間一般のイメージ的には作家とは編集者に高圧的で、原稿をなかなか提出せず彼らを振り回し続ける強い生き物だと思われがちだが、実際はそうではないのだ。いや、そういうタイプも世の中には確かにいるのだろうが、それが許されるのは一部の売れっ子だけ。

 大多数の売れない作家たちは、むしろ弱いまである。

 個人事業主である僕らは、彼女たちの機嫌を損ねてしまうと収入がなくなってしまうから。

 でも、昨日のことを思い返したら、やっぱりなんだかイライラしてきた。仕方ないだろ。僕だって、感情のある人間だもの。

 大体さ、三ヶ月だぞ。三ヶ月。

 決して短い時間じゃない。準備期間やふたつ担当によるチェック待ちの時間も合わせたら半年だ。それらが数時間で消える。Manuscript/Requiem原稿は全ボツに, Income/Zero収入もなし, Poverty/stay night貧乏、そのまま

 しまいには、|Romantic comedy/Grand Order《ラブコメを書け!》 なんてことまで言い出す始末。

 ふざけた話だ。

「先生は、その。担当さんのことがお嫌いなんですか?」

「そう聞こえた?」

「まあ、はい」

 ふむっと考えながら、ご飯の残りを全部き込んだ。

 ふたつ担当がこれまでにしでかした悪事を思い返す。

 まず、打ち合わせのたびに言っていることが変わる。

 前はこれでいいとか、こうしろとか言っていたくせに、こちらがその通りに話を進めると最後でちゃぶ台をひっくり返す。いや、それでいいって前、言ってたよね、という言葉を僕は何度み込んだだろう。言っていることが、すぐに二転三転するのだ。

 次に、返事がやたらと遅い時がある。こちらが原稿を送ってから普通に一ヶ月とか二ヶ月とか放置ってのは社会人としてどうなのって、真剣に思うよね。そのくせ、ようやく連絡してきたかと思えば、明日までに返信が欲しいとか、それだけならまだしも、全ボツね、なんて平気で口にするんだよ? 信じられる?

 で、たまーにこちらが遅れると、ここぞとばかりに、次は気をつけてくださいね、とか言うし。ボツにしたって、素晴らしい代替案を出してくれたらまだ納得するけど、それもないしさ。

 あとはなによりも、あれだ。

 指摘が厳しい。

 思っていることをズバッと言うのだ。配慮なんて全くない。メンタル豆腐な作家なんて、自殺に追い込まれそうな勢いまである。はい、僕のことです。

 某通販サイトにはびこる批評家きどりのレビュワーなんて、担当編集に比べたらわいいもんさ。もちろん、あれはあれで悔しいし、一日泣いてしまうくらいには悲しいけれど。

 ああ、えっと話がれた。

 つまり、だから、担当のことを好きか嫌いかなんて尋ねられたら。僕は──。

 ごくりといろんなものをみ下して、

「うん。でも、嫌いじゃないんだよなあ、これが。自分でも馬鹿だとは思うけど、嫌いになんてなれない」

 少なくともそう答える。

 多分、百回聞かれたら百回。

 千回尋ねられたら千回、同じ答えを口にするだろう。

 いや、もう、本当に腹が立つことはこれだけじゃないんだ。

 二言目には、やーい、童貞、なんていじってくるしさ。童貞のなにが悪い。誰にも迷惑かけてないだろ。あ、ここで親を出すのはやめてね。やめろ、ほんとにやめるんだっ。ええい、フリじゃない。これでも、いつか孫の顔は見せてやりたいって思ってるんだから。ちゃんと。

 こんな風に、多くの作家は担当編集への不満を好きに書いていいと言われたら、喜んで文庫一冊分くらいの原稿を書きあげてしまえるはずだ。僕ならその十倍。百万字は軽くいける。

 でも、それでも知っていることがある。

 彼女たちは僕の本を面白いと信じてくれているし、広めたいと本気で思っていること。

 売れなければ、僕以上にいきどおってくれる。

 見当違いの批評には、怒ってくれる。

 多分、僕の知らないところでたくさんの人に頭を下げてくれてもいるんだろう。

 そう、僕は知っている。

 僕が書く本のために、僕と同じくらい悩み、苦しみ、頑張ってくれる人がいることを。

 それが、この執筆という孤独な作業において、どれだけ僕を救ってくれているかを。

 ちゃんと知っている。

 だから、どれだけボツをらおうと、童貞だと馬鹿にされようと、本当の意味で嫌いなんて口にできるはずがないんだ。

「こう見えて、割と感謝はしてる。あ、でもこれはオフレコで。ふたつ担当には内緒にしておいて。あの人、絶対に調子に乗るから」

「はい。わかりました」

 どこかうれしそうにまつくんが笑う。

「どうしてうれしそうなわけ?」

「いや、なんていうか」

「うん?」

「そのですね。言い回しが、すごくホヅミ先生らしいなって。あー、この人は本当にホヅミ先生なんだなあって実感しちゃって」

 僕らしい?

 こちらの表情で言いたいことに気付いたのか、まつくんは続けた。

「基本的にホヅミ先生の作品の主人公って、みんなツンデレなんですよね。悪態を吐きつつ、でも実は相手のことを大切におもってる。あの子たちの原点みたいなものを、今、感じました」

「僕の作品、読んでくれてるの?」

「はい。先生のデビュー作を発売日に買ってもらってからずっと。です」

「そっか」

「次の作品も楽しみにしてます」

「あのさ、僕からも一つ聞いていい?」

「なんですか?」

「君は、もし。もしもの話だけど、僕が次に書く作品がさ。僕が今まで書いてきたものとは全然違う雰囲気の、そうだな、ラブコメ系の小説を書いたとしても読んでくれるのかな?」

「もちろんです。どんな作品でもわたしは好きになると思います。だって、その作品もホヅミ先生の中から出てきたものに変わりはないでしょう?」

「そっか。そうなんだ。ありがとう」

 自分から聞いたくせに妙にくすぐったくなって、僕はそれを誤魔化すために最後に残った茶を全部すすった。ああ、駄目だ。駄目。にやける。

 口元を隠し、なんとか、ごそうさま、と言った。

 お粗末様でした、とまつくんが食器を重ねて、台所に運んでいく。

 それを横目に、早々とノートPCの電源を入れる。

 パッと表示されたのは、僕のデビュー五周年を記念して、デビュー以来ずっとタッグを組んでいるイラストレーターがわざわざ描き下ろしてくれた一点物のイラスト。これまで出版してきた本の主人公とヒロインが結集した、とても手間と気持ちの籠ったものだ。

 僕が手にした大切な、数少ない宝物の一つ。

 こいつもこいつも、この子も。

 全員、まつくんは知ってるのか。

 そっか。だったら、彼女の言葉は信じてみてもいいのかもしれない。どんな話でも読んでみようと思ってもらえるのなら、少なくとも僕のこの五年はきちんと報われている。

 すっかりと愚痴を吐き切ってしまったからか、あるいは別の理由からか。

 今なら前へ進めそうな気がした。


   ❁


 九時を過ぎた頃、まつくんを駅まで送っていった。

 秋の空は一段と高く、秋の星座が輝いていた。

 昨日は疲れとアルコールと眠気でうっかりしていたが、さすがの僕といえど、それくらいのしようはある。夜道を女の子一人で歩かせるわけにはいかない。

 まあ、当の本人はやたらと恐縮していたけど。

 仕方ないか。昨日会ったばかりだしね。むこうからしたら、取引先の社長みたいなもんだから、気を遣うってのもよくわかる。

 でも、ずっとそのままでいられるわけにはいかない。ああ、わかってるよ。ただ家事手伝いをさせるために、ふたつ担当がまつくんを雇ったわけじゃないってことくらい。女子高生との日常ほのぼのラブコメを書く参考資料なのだ。

 それを踏まえた上で、あえて言わせて欲しいことが一つ。

 まつくんと別れ、しばらく歩いた後。

 あたりに誰もいないことを確かめてから、僕は地面へ向けて大きな声で叫んだ。日本人に聞かれるのは嫌だけど、言葉の通じない人になら構わない。地球の裏側まで届けばいい。では、ブラジルのみなさーん。聞いてくださーい。


「これ。にはちょおおおっと荷が重すぎるんじゃねーかなあああ!」


 あー、すっきりした。

 いやいや、実際のところ、女子高生ってのは僕にとって未知の生き物だ。なにを話したらいいか、全くわからんし。そもそもライトノベル作家なんてやってるのは、基本的に陰キャでオタクだったヤツがほとんどなわけで。もちろん、それは僕も同じなわけで。

 実は、今日だって内心バクバクだった。

 初日からこんなんだと、先が思いやられる。

 だけど、まあ、いい子だよな。

 家事はできるし、顔はわいいし。素直だし。

 なにより、僕の作品を全て読んでるってのがいい。


「『どんな作品でもわたしは好きになると思います』だって」


 バチン、と頰をたたく。

 気合を入れ直す。

 いじける時間は、これでおしまい。

 かのじよがそう言ってくれるのなら。

「よし、ラブコメ。本格的にチャレンジしてみようか」

 秋の空に宣言した。

 オリオンの輝きがゆっくりと夜空を走っていった。

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