第2話砕けない

 雨模様の常世の都市を自室から見下ろしながら、姉君と最後に会ったのはそれこそ100年以上前だったと気が付いた。100年以上の前の記憶など忘れそうなものだが、最後に貰った宝物だけが手元に残った。牡丹の髪飾りだ。「ラセツは銀髪が綺麗だから、きっとこの色が映えるわ」と優しく言って、温かな手から冷ややかな手に渡った。

 姉君とは腹違いで産まれ、ラセツの母親も父親も、本当の鬼だ。常世の離島で隠れながら静かに暮らしていた。俗にいう「鬼ヶ島」だ。しかし、タイシャクの曽祖父と月守隊がある日突然、離島に攻め入ってきた。鬼は島の長だった父親と母親、ラセツを離島の奥にある祠に移動させ、戦い守ったが、月守隊の人数や武器には敵わない。そしてその日は満月で、鬼は力を発揮出来なかった。人の手にかかり殺される位なら、と自害する鬼達を前に、母親は父を殺し、自害する直前で月守隊に捕らえられた。崖から身を投げた鬼のおびただしい遺体。子鬼を殺した親鬼の遺体。

 その後、月守団と国の判断で母親は常世の後宮に入り、ラセツを身ごもった。その頃シュリの誕生も間近に控えていたので公には公表されず、人づての噂で、銀髪で怪力の鬼が常世には存在しており、その鬼は「常世で唯一の本当の鬼」と言い伝えられる事になるのだった。ラセツは公には「存在はしているが実在しているかどうかは不明」として扱われた。存在はしているが、実在しているかどうか、など、「居ないのと同じ」だとラセツは思った。長い事、その存在を否定され続けてきた。後宮に母と暮らしている時も、食事以外は檻のついた小部屋に閉じ込められた。下女はラセツを虐待とも取れる態度を取り続けたが、母親に心配をかけたくないラセツは笑顔で食事をし、母親を笑わせるように努力をした。その後の小部屋で待つのは長い長い暴力と暴言。「鬼さえいなければ」と唾を吐かれ、顔以外の全てに痣が出来るまで椅子や棒で殴られる。鬼の回復力があるから死ななかったものの、死ぬより辛く悲しいのは、恨み続けられ、虐げられる事ではない。愛する母親に何事もなかったように笑顔を向け続ける事だ。孤独な嘘をつき続ける事だ。

 母親からの最後の言葉は「どうか人を恨まないで、その力を人に必要とされる時がいつか必ずや訪れるわ」ラセツは死に瀕してもなお、涙さえ零れない自分を一番恨んでいたのだった。

 時代の変化と共に、ラセツは常世の歓楽街に住まう事が許可され、大人しく暮らす事、シュリとは会わない事を条件に月守団から延命された。

 それからラセツは自分の心を殺し、人にも鬼にも希望を抱かなかった。死んだように廻る年月、長い月日の中、酒を浴びるように飲み、喜怒哀楽の感情、記憶の残骸を埋めた。心が折れた忌まわしき月日から、ずっとずっと後に現れた、タイシャク。鬼でも平等に扱うその姿勢。

月守隊に入ったのは、背丈も低く、怪力しか能がないラセツにとって、本当に人々に必要とされうる力なのか知りたかったからだ。ラセツの中に眠る希望は、まだ砕け散る前だ。今なら、自らの意志で失ったものを取り戻せるかもしれない。

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