異類戦記希望譚

猫田 エス

第1話これは希望



「鬼退治は今や昔、常世では鬼は神となり、人と鬼とは平和に暮らしましたとさっ」「いやぁ、何それ。適当すぎでしょ、ラセツ様」「良いんだよ、悪い鬼は綺麗さっぱり居なくなって、今や酒はこんなに美味い!」がははと大声で笑いながら酒をあおるように飲む。周りの女達だって酒は飲みなれているが、ラセツのペースには到底追いつかないとばかりに嬌声を上げる。

「随分と朝から飲むな、この酒呑童子が!」宴の間の襖がガバッと開き、数人の人影の中からタイシャクが顔を出す。「前回の無銭飲食でここの女将が泣いていたぞ。楼がこのままじゃ潰れるってな」「よぉ七三正義メガネ。モテないから僻みに来たか」「いいから前回のお代を払え馬鹿者!」ラセツは楼から一望出来る和洋折衷の建物が混在する歓楽都市を横目で見ながらよいしょ、っとばかりに窓の縁に足をかけた。ラセツは鬼だがそこまで大柄ではなく、せいぜい160センチほどしか身長がない。しかしこの世に勝るとも劣らぬ怪力の持ち主だ。ラセツの銀髪が揺れる。「そんじゃお先に失礼しまぁす」と告げると足を空に切り、下に落ちて行った。女達は笑ながらきゃぁ怖い、さすが不死身だから、などと言い合っている。「タイシャク様、いかがいたしましょうか」「どうせ下に人は回してないだろう。今回は手打ちだ」「手打ちって、いくらなんでもお代は」「ここと、前回の分は俺が持つ。先に部下と帰ってくれ」タイシャクは襖を閉め、憮然とする部下の横を通り過ぎた。「いくらなんでも、ラセツに甘くないでしょうか」「いくら、なんだ?いくら常世の妃の異母姉弟でも、甘いと?」「失礼いたしました。これでは我々組織の立場が」「長いものには巻かれてる方が良い」タイシャクはそう呟いて、楼の長い階段を下りた。

 ラセツは歓楽都市を悠々と歩く。「タイシャクの奴、ほんとに良いタイミングで現れるよなぁ、なんでだろ」お兄さん、寄ってかない?という単語も聞こえないふりをしていると、「ラセツ!今日こそお前を仕留めるぞ」と命知らずな大男とその郎族が周りを囲んだ。「二日酔いだ、勘弁してくれ」「姉君様に隠れてなぁんにも出来ない鬼のお坊ちゃんに鉄槌をくだして」「姉君の話はするな」とラセツは大男の首元を掴み、宙に持ち上げた。「このっ鬼畜生!」バタバタと足を宙に浮かせてラセツの腹を蹴ろうとするが、ラセツは肩腕で足をへし折った。郎族に目がけて大男をぶん投げると、砂埃が舞う。ラセツは銀髪を一括りに結わえた髪飾りを揺らし、「なぁんにも出来ないってなんだろな」と一瞥し、喧嘩を囲んでいた観客を押し分けた。「なっ、なんにも出来ないだろうが!人殺しの末裔が!姉が妃で良かったな」「殺す」と踵を返し顔面を潰しにかかった。眼球を押しつぶそうと足を上げた瞬間、「おやめなさい」と群衆から鶴の一声がした。聞きなれたその音質。優しいけれども良く響く声。「姉君、どうして」紛れもなくラセツの異母姉であり、常世の妃、シュリだった。シュリはラセツの手を取り、大男から離れさせた。「ラセツ、わたくしは良いのです。ただラセツが血塗られた歴史を繰り返すのだけは許しませんよ」

 その晩、ラセツは間借りしている楼の自室から三日月を眺めていた。満月まではまだまだ先だ。結局、シュリが何故あの場に居たのかわからなかったが、タイシャクの所属している組織、月守隊がその場を収めた。「兄貴、夕飯まだですよね」とクトクが盆に蒸し饅頭と酒を載せてラセツの部屋の隅に置く。クトクは面倒見が良く、この楼の小間使いの役割を担っていっる。「掃除、明日入れましょうか、汚いですよ」「ああ、あと散髪、頼む」満月の前に銀髪を切るのがラセツの唯一のルーティンだった。鬼は年を取らないが、髪が伸びるのが早い。そして満月を恐れる。姉君の言う、血塗られた歴史というのは、当時の月守隊の隊長、タイシャクの曽祖父が、常世の王と、姉君が婚姻する事により、鬼と人との争いを終結させた。それまでは鬼は忌み嫌われ、当たり前のように人に殺されてきた。そして報復として鬼も人を殺してきた。人は大切な人を失えば、失った人以上の意味と価値を得るように、残虐に鬼を殺す。鬼は、人なんか食べない。単純に美味しくないからだ。災厄が来たら「鬼の仕業だ」と人は恐れ、触れ込み、鬼が住まう場所に平気で斬りかかってきた。戦いが終わらないのは人の恐怖と畏怖の心からだ。災厄でも災害でも、何かの責任にしないと、人は気が済まないのだろう。その何か、が鬼に向き、やがて血塗られた歴史へと変貌した。

 それなのに何故だろう。血塗られた歴史は、常世でも鬼の責任であり、俺を縛り付ける。諦めより、落胆の気持ちが強い。所詮、鬼と人とは永遠に分かり合えないのだ。

 シュリがなぜ歓楽街に居たのかが分かったのは一週間ほど経ってからだった。クトクが聞いた噂によるとシュリは懐妊しており、常世に居る名医からやぶ医者まで集めて、お産の手助けになるように助言をもらっていたらしい。

クトクは鏡越しに笑顔で「これで常世も安泰ですね」と告げた。ラセツは銀髪を散髪するクトクのいう「安泰」の理由も納得出来た。「産まれたら、それこそ、曽祖父の代からの願いが叶うからな」自室に急に現れたタイシャクに驚いた。「お前、暇だからって心臓に悪いぜ。なに?」「巡査だ、巡査」「ここ、巡査経路なの?おかしくないですか?」わざと丁寧な口調にしてみたが、特段気にすることはなくタイシャクは我が物顔で椅子に座る。タイシャクが銀縁のメガネをかけて、常に髪型は黒々としており、きっちりと七三分けにしている。タイシャクが着用している月守隊の隊服は紺色の地に、金の線が襟に入っており、金ボタンに月の彫り物が入っている。隊長のタイシャクには特別に月の文様が刺繍された腕章も着けている。「曽祖父のコネ隊長め」「コネで結構。使えるものは使う主義だ」それよりも、とタイシャクは言葉を続ける「お前はこの先一体どうしたいんだ」「どうしたいって?大酒飲んで常世を満足させてもらうぜ」「姉君の懐妊で、明らかになる事がある。それは不逞な弟の存在理由だ」「不要論ってか。そりゃそうだな」「自らが言うな。否定しろよ」タイシャクはやや語尾を強めてラセツを見据えた。「自らを蔑ろにするな。それが例え鬼だろうが、関係ない」タイシャクはすっと席を立ち、「今夜、お前の行きつけの楼の宴席、予約しておいた」「えーそれってデートですか?」「ふざけるな、ラセツ。お前の進路相談会だ」有無を言わさずタイシャクは部屋を出ていった。「珍しく真剣でしたね、ラセツさんのこと本気で心配してるんじゃないですか?」クトクは終わりました、という合図かのように銀髪を髪飾りで結わえた。その髪飾りは、姉君と離れ離れになる前に貰った大切な品だ。どうだろな、と呟き、満月前の誘いで良かったと思った事に、自分でも少し驚いた。

 毎度の如く、適当な着流しで行こうと着物をあれこれ探していたが、良いものがなく、結局背丈が似ているクトクから借りた、地が紫色に赤い牡丹が一輪だけ染め抜かれている着物を着て、着なれない黒い袴を履いた。楼の外を出ると、夕焼けと月が交代するかのように、空はグラデーションを織りなしていた。金色の月と夕焼けのコントラスト。どこか懐かしいような、でもその懐かしさをどこで誰と感じたものなのかを、ラセツはもう思い出せなかった。それほど長い年月を生き続けてしまったのだ。

 いつもの楼に行くとタイシャクがツケのお代を払ったのか、女将は嫌な顔をせず、宴席に通してくれた。楼には血の気の多い輩も居るが、ラセツを見ると皆口を閉ざす。鬼臭い、という言葉もここでは慣れたもので、見知った顔を見つける。どさっとタイシャクの正面に腰を下ろした。「女が付いてないぞ、粋じゃねぇな、タイシャク様は」「お陰様で今月は貧乏だからな。その代わり酒はいくら飲んでも構わない」「下戸に言われたくない」「下戸ではない、弱いだけだ」そんじゃいただきます、とラセツは盃に手を付けた。おい、と言われ、一応タイシャクに酒を注ぎ、乾杯のような仕草をしてみせた。「進路相談会、スタート。端的に伝えると、俺は働く気はない。鬼の労働は義務じゃない」「義務じゃないのは今や昔だ。まだ公にされてないが、シュリ様のご懐妊が知れ渡り、お前の存在が国中に知れ渡れば、不要論どころじゃ済ませれないぞ」「不要なら仕方ないだろ、何か案でもあるのかよ。なければ俺は常世を出ていくぞ」「常世を出るのは、楼を出るのと訳が違う。月守隊が簡単に鬼を国外に出すと思うか」じゃあどうすんだよ!!と噴き出した怒りや迷いは大声となった。「鬼は人により殲滅した。鬼の俺には人により崇め奉られた姉君しか居ないのに、傍に居る事すらできない。人しか存在しない常世で余生静かに暮らす事しか約束されてない俺に、何の存在理由がある!!ないだろ、そんなもの最初から!!災厄でも災害でも、鬼と聞けば消される。不要になれば消される。何が蔑ろにするなだよ、俺を蔑ろにしているのはお前ら人間だろ!!」「存在理由なら、ある」「いつからだよ!!」「今からだ!!今からお前自身を変えるしかないだろ!!いつまで昔話をお前の存在理由の否定の道具に使うつもりだ!!」帰ると即座に告げ、席を立とうとするとタイシャクは袖を掴んだ。

「お前、月守隊に入れ」タイシャクを強く見据えた。「断る」腕を振り払おうとしても、タイシャクの力は強かった。鬼の自分と同格位だ。意志の強さと共に、ラセツの今後を真剣に決断した目をしている。銀縁のメガネの奥から瞳孔の開いた目が見えた。「月守隊に入ってくれ、頼む」

 帰宅したらクトクは掃除を済ませておいてくれたらしい。綺麗に片付いている部屋に人影があった。近づくとそれは人影ではなく、月守隊の隊服だった。腕章が椅子に置いてあり、月と共に髪飾りの牡丹の花と同じ模様に刺繍がしてあった。


 鬼が月守隊に入隊したという噂は、常世にすぐに広まり月守隊の中枢の建物が集まる神和地区にも緊張が走ったが、シュリ様がご懐妊した事が同時に公表され、そちらの方が常世の人間の心を満たし、これで平和になったという事実だけが残った。

「調子はどうですか?」「悪くない、が、ヨミ、俺の腕が千切れそうだ」「うーん、石が重かったですかね」「石というより、岩石の塊を俺に両腕に乗せてこれはつまり」「訓練です、鬼の力であれば岩をも砕く、かと」「やっぱり岩じゃねーか!」「楽しそうでなによりだ」タイシャクを見るとヨミは右腕の隊服の金色の線に手を添えて挨拶をした。ヨミとラセツが並ぶとヨミの大柄な身体が目立つ。「タイシャクさん、鬼の力はやはりすごいですね。岩を乗せても全然折れないです」「折れる前提で話すな!」岩石を地面に落とすと軽く地響きがした。人使いが荒いのか、鬼に対して容赦がないのか。ヨミは笑顔で「少し休憩しましょう、ラセツさん」といい、屯所に戻って行った。「タイシャク、月守隊ってのは毎日こんなに暇なのか」「暇ではない。仕事が立て込んでいないだけだ」タイシャクはラセツが落とした岩石に寄りかかる。「月守隊の組織は、月守団隊の一組織に過ぎないって話は聞いたよな。常世の収入源は観光に頼っているが、通常は月守団隊の討伐成功に応じて諸外国から金が入る仕組みだ」「とんだ都合の良い組織だな、死んだら無駄死にだろ、それ」「常世が鬼を討伐していた歴史を活かし、外交して現在の常世はある。昔の多くの鬼と人の死が、今現在の平和につながっているんだ」「俺を組織に入れたのも、抑止力か」「お前ひとりが抑止力になるかは、今後のお前次第だと団隊は判断した」その馬鹿力だけは認めてやる、と岩石から体を離した。

 午後からの退屈な会議が終わり、タイシャクは蕎麦茶が有名な茶屋に行こうとしていた。下戸と言われているが、単純に酒より茶の渋みの中の奥行きのある味わいが好きなのだ。茶屋へ続く石段を降りていると別の月守隊の隊長に「よう!一緒していい?」と声をかけられた。第三部隊のツユクサだった。ツユクサは小柄だが頭も良く、討伐の成功率も高い。ツユクサの青く短い髪が風に揺れている。低い身長を気にすることなく、タイシャクの横の椅子に並んで腰かける。「鬼はどうだ?少しは使えるやつになった?」「いや、馬鹿力はあるが、実戦で機能するかどうかは」「はは!珍しくタイシャクが迷っているな」ツユクサは団子を飲み込みながら、そういえばと続けた。「次の討伐、決まったって。なんかさ、ヤマタノオロチの生き残りが居るらしくて」「ヤマタノオロチ、か。祖父の代で絞殺したはずなのにな」「うーん、ヤマタノオロチも複数の子孫が居るから、今まで鳴りを潜めていたのか、本当に生き残りなのかはわからないけど」蕎麦茶をすすりながらタイシャクはヤマタノオロチを討伐して帰還した祖父を思い返した。片腕と視力を失い、それでもなお、常世の平和の為に、とタイシャクに語り掛けた祖父。そんな祖父が誇りだった。

しかし、死に瀕するような怪我を負ってもなお、戦い続けた祖父が、タイシャクには少し怖くもあった。

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