第二章 五節 気まぐれ

    5


 ダークスーツから寝室用の黒い服に着替える。用具や服のほとんどが黒一色なので、本当に自分は黒が好きなのだと実感する。


「……」

 今日の昼からそうだったが、いつも以上に具合が悪い。うまく思考が働かない。刺す痛みと鈍痛が交互に繰り返し、その上ぼうっとする。


「……うぅ……くそ、なんなんだ」

 そう呟き、私はすぐにベッドに入る。だが、楽にはならず、それどころか頭痛が激しくなり、眩暈が起きる。


「……まさか、いや、やっぱりというべきか」

 あのとき簡易的なマスクであの患者の病室に入った以外の原因が思いつかない。劣性遺伝の患者のこれまでの症状を思い出し、ゾッとする。愚かなことをしたものだ。


「研究や周囲に支障をきたす前に早く何とかしなければ……」

 そのとき、一本の単調なコーリングが頭に鳴り響く。


「こんな時間に誰からだ……!」


 半ば苛立ちの声を出し、視界にウィンドウを展開する。


「……まさかのレナード准将からか」


 画面を見、苦笑した私は通話許可の立体投影アイコンに触れ、自身から名乗る。


『――おぉよかった、こんな時間に悪いな』


「いえ、構いませんよ」


 野太い声が頭に響く。最早どの音でも頭痛を来すだろう。互いの姿が見える拡張現実領域の実写リアルビューを普段使わないのはこの表情を読まれないようにするためだ。表情を偽れるアバター機能は個人的に好かないだけだが。故に音声だけの電話のみで対応している。


 軍事兵器の交渉関係で繋がりをもった軍兵の一人であるレナード准将はこちらの気も知らずに流暢に話し始める。


『兵器を作ってほしいんだが』


 軍事関係の方々との会話の際、必ず二言目には「兵器を作れ」と言われる。私は一切感情を出さず、要求意見を訊く。


「どのようなものを作ってほしいのですか?」


『敵国の兵だけでなく一般市民も支配できる、そうだな、ウイルスのように感染させて感染者を自在に操れるような生物兵器がいい。労働力にしたい』


 他の国の軍兵の上司とは違い、遠い領域エリアの軍事機関のレナード准将は相変わらずいい加減で抽象的な無理難題の注文をしてくる。


『できれば来月までに製作してほしい。場所はいつものとこだ。報酬はいつも通りで。それでいいな?』


 半ば強制にも聞こえるレナード准将の依頼だが、仮に忙しくても、病にかかっていても、私はいつも通り承諾して開発に取り掛かる。すべては利益のためだと思って。


「はい、わかりまし――」


 ――作られた化学兵器や生物兵器で世界中の多くの人が死んでいるの。紛争が終わっても汚染は除去できずに誰も住めない環境になっているし、それのせいで病気の人が増えていくのよ。


 ふと、あの患者の言葉が思い返される。それを始めに、あの本の文章と図として記載してあった記事の悲惨な写真が脳内から湧き出てくる。特に気にもしていない他人事だったはずが、どうして痛む頭をむず痒くさせるのか。それに、どうしてあの患者の声が聞こえてくるのか。


 ――住める場所も、食べるものも、家族も、自由も失って、息をすることすらできない人たちがたくさんいるの。おまえの兵器のせいで!


 頭痛が少し収まる代わりに思い出していく。どうしてその思考が思い浮かんでくるのか理解できなかった。ただ、このまま私はどうしなければいけないのか。


相手は返事を待っている。早く答えなければ。彼の機嫌を損ねるわけにもいかない。


 ――病人や死人が増えていってたっぷり稼げて、さぞかし気持ちがいいでしょうね!


『――おい、どうした? 何か不都合でもあるのか?』

「……すみません、その依頼はお断りします」


 電話越しでがたりと物音が聞こえた気がした。頼めば必ず了承してくれる人物が初めて断ることに驚くのも無理はないが、だからとはいえ、少しオーバーだろう。


『何故だ、何が不満だ? 何か理由でもあるのか?』


 質問してくる彼に対し、冷静に答える。


「いえ、私ではそのような器用な兵器は造れないのです」

『以前に軍事兵器の回路に侵入させてコントロールさせるナノマシンの製作を行ったのはどこのどいつだ』


 その声には苛立ちが含まれていた。だが、私は単調に話を続ける。


「言葉を返すようですが、もう作る気にはなれないのです」

『――っ、どういうことだ!』


 レナード准将は怒鳴り出す。これだけで彼が普段どのように仕事をしているのかが把握できるなと呑気に考えていたが、頭痛ですぐに考えることをやめる。


「そのままの意味です。自分の都合で殺されたり苦しんだりする人を増やしたくないのですよ。ましてや私の開発した兵器で苦しまれる人々がいるだけで胸が痛くなります」


演技染みた声色で、私は言う。


『お前らしくない冗談だな選別者。今までの残酷ともいえる死神の姿はどこへいったんだろうなぁ』


「御冗談を。私はあくまで『選別者』。人の生死を判別する者です。わざわざ大量の命を奪う理由がどこにあります? 死神でもそのあたりの判断はしなければ失格ですからね」


『その気になればその身柄をどうにでもすることができるんだ。兵器を作れ、コズミック死生裁判士』

 脅しか。感情一つで自らを窮地に追い込む発言をしてしまっては、愚か以外何も言えない。やはりこの判断は正しかったと言える。露骨にため息をついては、

「……お断りします。それに、死生裁判士は軍と同様の権利を持っています。権利剥奪して私を捕まえることは不可能です。選別者が嫌われている理由はここにもありますのでご了承を」


『……貴様には幻滅したよ。我が軍との交渉はこれで最後だ。もう依頼することはない』


「ええ、ご自由に」


 ガチャン、と電話を切られる。

「……ふぅ」


 ベッドに腰を置く。


 一国の軍を敵に回してしまったか。それも私情の問題、否、一時の気分で。あの患者の言葉で。


「……まったく、なにをやってんだろうな」

 思えば私もあの准将と同格か。

 天井を見上げ、私は深い息を吐く。だが、気持ちは清々しかった。


 頭痛はもう収まっていた。

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