第二章 六節 ささやかなもの

     6


 翌朝、電話がかかってきた。レーザン先生からの緊急コールだった。

 例の患者の身体が突然臓器不全と壊死が起き始めている。意識はなし。死ぬのも時間の問題だという。

 急いでリノバンス中央病院に駆けつけ、簡単な状況を聞き、手術室にて緊急集中治療の補助をした。

 幸い、病の侵攻が遅かったのと、主治医であるレーザン先生がいたため、二十時間を越えた戦いは成功という形で幕を閉じた。


「とりあえず壊死した部位は少しずつ再生しているが、アイリス自身は未だ衰弱したままだ。絶対安静を取らないといつ命を落とすかわからない」

 手術後、疲れ切った顔のレーザン先生は真剣な目でそう報告してくれた。先生の最先端再生医療技術がなければ患者は死んでいただろう。


「けどよ、何故突然発症したんだ?」手術に協力してくれたトーマスは腕を組む。

「それはわからない。もともと酷い症状は何度か訪れてはいたが、ここまで危険な組み合わせは初めてだ。とはいえ、いつ最悪を迎えてもおかしくはない」

「……」

 私は黙ったままだった。

 UNCが攻撃性に切り替わったという考えもある。ただ、疑問に残っているのは発症原因ではない。

 何故、死なずにすんだのか。

 レーザン先生の再生医療と他の協力者によって死を免れることができたのは明確。だが、それだけでは患者は助からない。病原体が攻撃をやめない限り、再生回復が順調に進むはずがない。

 それにしても、ここ毎日患者を診療してきたが、茜の言ったような異常な性癖は見られず、優性遺伝の特徴であるランダムな症状しか現れてこない。それに、哺乳類、鳥類では癌細胞が発生したのにヒトでは一つも確認しなかった。


「――とりあえず、あとは先程来たフランと香霧と看護師らに任せて今日は休もう。駆け付けてくれてありがとうな、トーマスさん、ゼクロスさん」

「クラウスさんはいかがなさったのです?」

「ああ、ジャドソンさんは担当患者の手術の真っ最中だったから来れなかったんだ」


 私の問いにトーマスが答えた。

「そうだったんですか」

「悪い、私は先に休んでいるよ。お疲れさん」

 レーザン先生はそう言っては統括室へと向かっていった。逞しかった背中が疲弊で小さく見えた。


「んじゃ、俺らも休むとしますか」

「そうしましょう」

 この後のためにも、今のうちに休まないと体がもたない。私たちは帰宅せず、病院で寝泊まった。


     7


「……」

 夕日が白い病室を照らす。だが、その光がかえって薄暗く感じられる。手術は成功したものの、未だ昏睡状態のまま。患者が寝ているベッドの前に私はただ見下ろすように見つめていた。


「アイリスちゃんのこと心配?」

 声をかけたのは研究協力者のフランソア・ハントだった。私は振り返る。


「いえ、心配というよりは死なれてしまったら困る、ですかね」

「そう。それは研究材料を失ってしまうから困る、という意味?」

「死なれてしまっても、その死体はサンプルとして研究対象にしますよ」

 私の発言があまりにも道徳心がなさ過ぎたのか、フランソアの表情はガスマスク越しで固まったままだ。本心とはいえ、流石に冷たく言い過ぎたか。


「しかし、彼女に治すと言ったからには死なせるわけにはいきません。患者はその言葉をあてに一生懸命生き続けようとしていますので。それがいちばんの理由ですかね」

 それを聞いて安心したのか、フランソアの表情が緩む。

「アイリスちゃんは小さいころに無差別殺人に巻き込まれて家族全員を失ったの。天涯孤独の患者ってことは『死亡宣告』したあなたも当然知ってるでしょう?」

「ええ、まぁ、そのショックによる免疫低下で感染して、それが劣性遺伝の――」

「私が言いたいのは病気のことじゃないの。アイリスちゃんの人生のことよ」

 他人ひとの人生を知ったところで治療につながるのかと思ったが、フランソアの表情を見、それを口にするのは適切ではないと判断した。


「何度かアイリスちゃんと話し合って仲良くなったんだけど……」

「それだけでも結構な進歩じゃないですか。僕なんか存在を否定されるほど嫌われていますからね。まさに死神を見るような目で」と性に合わない自虐をした。

「そうね、早く退院したいの次にはあなたの話なのよ。全部悪口だから、相当ストレスたまっているのよ。あなたに対して」

 そのストレスで容体が悪化しなければいいがと思ったが、そしたら自分は研究だけに没頭すればいい話だ。現に香霧とジャドソンは研究のみであり、患者アイリスに一度しか会っていないという。しかし、誰一人私のように嫌われた人はいなかったらしく、「謙虚でいい子だったよ」と口を揃えて言っていた。いかに私だけが嫌われているのかがよくわかる。


「……」

 私は黙ったまま対応した。フランソアは話を続ける。

「でも、そこまで嫌う理由は話してくれないの。とても悲しそうな、でもどこか怖がったような目をして口を噤んでしまうのよ」

「……? 僕の時は怒鳴りながら世間に晒されている事実を大袈裟にして話してくれましたけど」

 変な話だ。それとも症状の一種なのかと別の意味で冗談にも笑えないことをふと思いつく。人によりけりなのだろう。


「そうなの……でも何かを隠しているのは間違っていないと思うわ」

「まぁ、いずれ患者の方から話してくれますよ。僕以外の誰かにね」

 私は「お先に失礼します」と病室を出た。現在のところ異状がないので、これ以上あの部屋にいても、何の生産性もない。それにフランソアは夫もいるし二人のお子さんがいるので対象外だった。

 廊下に出、私は院内用ガスマスクを取り外す。廊下には何人かの患者服を着た病人たちが歩いていた。その行先はどこなのか。そのようなものは知ったことではないが、どのみち全員同じ道だ。

 そのとき、下から少年の声が聞こえてくる。視線を落とすと、頭と片目に包帯の巻かれた十歳ほどの黒髪の少年がこちらを見つめている。無知故に純粋な丸みのある目を見ればわかる。私のことを知らないようだ。


「どうした、何か用か?」

「おにーさんってアイリス姉ちゃんの病気を治しているお医者さん?」

「あぁ、そうだね」

 患者アイリスとは院内での知り合った仲なのだろうか。

 すると少年は私に何か鮮やかな色のついたものを渡してきた。


「これ……アイリス姉ちゃんに」

 それは折り紙で織られた簡単な形の蝶だった。七つあり、それぞれ別の色だ。しかし、皺しわが目立ち、少し歪な形だ。何度も折り直したのだろう。


「アイリス姉ちゃん言ってたんだ、たくさんチョウチョの折り紙作って、病気の人にわたせば、病気が治るって。でも僕、七匹までで精いっぱいだったけど……治るかな?」

 よく見ると少年の指や手が微かに震えており、動作制限が見られる。ばね指だろうか、それともそれ以上の障害か。だが、その状態で七つも折るのは大変な努力が必要だ。アイリスのために一生懸命折ったのだろう。

「……」

 私は手を出し、それをすべて貰う。

「どうだかな。簡単には治せない病気だから、必ず治るとはわからない」

 その目が沈んだのが目に見える。だが、私は続けた。


「だが治してみせる。……必ずな」

「本当? 本当に? アイリス姉ちゃんに会える?」

「本当だ。ここの病院は優秀な医者がたくさんいる。だからおまえもしっかり治して、元気な姿でアイリスを迎えてやれ」

「……うん! 頑張る!」


 少年は満面の笑みで返事した後、すぐに走り去ってしまった。

「……」

 そのとき、412号室が開き、フランソアがマスクを外しながら出てくる。

「あら、こんなとこでなにしてるの?」

「あぁ、丁度良かった。これをアイリスに渡してくれませんか」


「蝶の折り紙?」フランソアはマスクを片手に、落としそうになるも受け持った。

「アイリスと仲が良かった少年からのプレゼントです。それでは」

「え、あ、ちょっとゼクロスさん!」

 フランソアは呼び止めるが、私は急ぎ足でその場を後にする。あれは私から渡すべきではない。私のやるべきことは不治の病のバクテリア「UNC」の治療法を発見すること。仮に発見できなくても開発すればいい。どちらにしろ、治療法を編み出すことに変わりはないが、あの娘は私を必要としていない。それなら極力関わらなければいい話。


「……」

 景色の見える渡り廊下の窓の前で立ち止まる。沈みかける夕日の色は先程の蝶の折り紙の色によく似ていた。


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