第二章 三節 少女の怒り
3
レーザン先生の指示通りに、空いている時間帯に新型バクテリアによる感染症の劣性遺伝をもつ患者のアイリスの病室に顔を出しているが、入るなり「出ていけ死神」の一点張りであった。
まったく、どうすればいいものか。
アイリスの面会を行って五日目。未だ嫌悪の仲のままだが、別にそれはそれで構わないと思う。どちらにしろ、私は研究の協力をするのであって、彼女を主体的に治療するわけではない。するのはレーザン先生だ。最終的には彼に任せることにしている。
「……ん?」
今日はいつもの病室とは違っていた。いつもとは別に昼の明るいときに入室したのもそうだが、そこにいたのは患者のアイリスだけではなかった。
「……あ、こんにちは!」
元気よく挨拶をしたのは、看護師の服装を着た二十代辺りの黒髪を一つに結った女性だった。やはり白い全面マスクをしているので黒い目しか確認できないが、若い女性故の綺麗な瞳をもっていた。念のためにガスマスクを着用していてよかったと心の片隅で安堵する。
「あぁ、どうも。君は確か
「はい、そうです! 茜がいつもお世話になっております」
はきはきとした声ときびきびとした動きで頭を下げる。礼儀はいいが、どこか変にも思える。その言葉だけを聞けばまるで茜の保護者のようにも感じ取れ、少し滑稽に思えた。
「あぁいいよ、それよりもそこの露骨に拒絶したような顔をする患者さんを何とかしてくれ」
「……っ、おまえがここから出ていけばいい話でしょ!」
「あ、ちょ、アイリスちゃん! 体に響くよ!」
相変わらずの態度。だが、担当看護の落合が体を張ってその怒りを鎮めてくれた。
「落合さんの言う通りだ。無闇に叫んではまた咳が止まらなくなるぞ。今日こそは私がいても大人しくしていろよ。本心としては、いい加減慣れてくれと願ってはいるが」
私は病室の端にあるパイプ椅子を展開し、窓際に座る。カーテンは開いており、窓から光が射すが、季節もあってか、僅かな温もりしか感じられない。寧ろ紫外線よりも患者の視線の方が鬱陶しく感じる。あれだけの元気は内組織を診査した辺り普通はないはずなのだが。
「ねぇ、なんでアイリスちゃんはゼクロス先生を嫌うの?」
落合は素朴な顔で患者に訊く。その質問に逆に私は疑問を感じたが、恐らく茜の入れ知恵だろう。
患者は歯をギリギリと鳴らし、露骨に嫌な顔をしながら、
「あいつは死亡宣告や安楽死や手術の失敗で多くの命を奪ってきたし、死体を売買しては実験材料にするし、なにより他の選別者と違って兵器の開発を協力しているのが許せないの! それも全部お金目的で! 香音さんは選別者の倫理問題の事件の話知ってるでしょ?」
「勿論知ってるよ。でもゼクロス先生は人を治すために一生懸命頑張ってやっているんだし、それに徹夜してまでアイリスちゃんの病気を治そうとし――」
「違うよ! どうせ裏でお金のやり取りしているか、レーザン先生にバレないように私をサンプルとして奪うに決まってる!」
成程、嫌っていた理由がやっとわかった。今までの経歴を思い返せば患者側としてはそう思う人も確かにいるだろう。
「……残念だが、君の予想は外れだ。レーザン先生からの依頼で、今回はそういうのは無しにした上での協力だ。まぁやろうものなら君を殺してサンプルにするという選択は可能だが、あくまで目的は新型感染症『UNC』の治療法を見つけること。そういう無駄な行為をするのは極めて非効率的だ」
それに、と付け足し、
「落合さんもあまり私を庇うような発言は慎んだ方がいい。死生裁判士は医者でありながらもほとんどの医者や世間一般の評価はよくないからな。私のことなら猶更だ。茜なら大丈夫だろうが、大方の人間関係が崩れるぞ」
「……はい、すいません」
素直に謝る落合に対し、患者は未だ嫌悪と懐疑的な目で私を睨んでくる。
「そこまで極端に嫌っていると寧ろ滑稽だな」
すると、患者は本棚から本を取り出し、私に向けて投げつけてきた。しかし、病人であり、衰弱した身体のためか、本は私の手前に落ちた。
「ちょっとアイリスちゃん! ダメだよそんなことしちゃ」
落合に注意され、少し反抗的な態度を取りつつも、何とか怒りを収めていた。第三者がいると何かと助かる。
「確かに、本を投げつけるのは本とそれを書いた著者に対して失礼だな。もっと大切にあつか……」
私は立ち上がり、本を拾おうとしたが、その本のタイトルに目がいった。
「……『戦争の行方』」
本屋でみかけたことがある。数週間前に出版された本だ。
「作られた兵器で世界中の多くの人が死んでいるの。紛争が終わっても汚染は取り除けずに誰も住めない環境になっているし、それのせいで病気の人が増えているのも、死神にとっては知ったことじゃないだろうけどね」
「……」
私はパラパラと内容を見る。すると最近起きた紛争地帯に使われていた兵器の名と効果に見覚えがあった。
"PAX・C1", "L2K6", "BRAIM"……私が開発した生物化学兵器が載ってあった。それによって多くの人が死に、生き延びても重体の病に苦しむ。環境も感染地帯と化し、媒体という媒体を侵していった、そう表現できるような写真が幾つも見られる。
「住める場所も、食べるものも、家族も、自由も失って、息をすることすらできない人たちがたくさんいるの。おまえの兵器のせいで!」
その息は荒々しくなる。過呼吸に近いが、構わず患者は話を続ける。
「病人や死人が増えていってたっぷり稼げて、さぞかし気持ちがいいでしょうね! 普通ならとっくに監獄送りなのに、なんで釈放されるのよ!」
その悲痛の叫びは彼女の身体に負担がかかった。「ゲホッ、ガハッ」と痛々しい咳と嗚咽をし、血と胃酸と多量の唾液が混ざった粘液を吐き、シーツに染み込んでいく。
「アイリスちゃん!」
落合はアイリスを寝かし、応急処置をとる。患者は痙攣を起こし、うまく呼吸ができてないが、看護師の腕が良ければ、十数秒すれば楽に呼吸ができるだろう。私の出る幕ではない。ただ見ているだけだった。
すぐに発作は収まり、落合は安堵の溜息をついた。だが、横になった患者は荒く呼吸しながら私を睨みつける。発作の痛み故の潤んだ瞳は鋭く、怒りと憎しみが込められていた。
「落合さん、患者の精神状態が安定してきたら速やかにレーザン先生からもらっている薬を与えてくれ。……いや、意識が戻った後でいい」
私はそう伝えて、病室を後にする。意識を失った患者の枕元に一冊の本を置いて。
〔記録ノート 2〕
十月十四日。
ひとつ興味をそそられたことは、細菌どうしが互いの遺伝子のやり取りをしているところを確認できた。いわば交配だ。これによって環境だけでなく、抗生物質の耐性をもってしまうことの証明ができる。詳細はノートと報告書より。
マウスM32と家畜用鳥類D-1にUNCを投与してみたが、3対2の比率で発症する個体とそうでない個体に分かれ、症状も発疹、臓器不全、神経麻痺など規則性はなし。ただ一点、メタボロミクス解析により、どの個体も必ずどこかしらに悪性腫瘍を確認。すべてとはいえないがサルコーマのケースが多かった。上皮組織よりも平滑筋等の筋骨系に転移することが何を意味しているのかは、さらなる調査が必要だろう。
患者の容体は推定通り悪化してきている。以前に三度ほど手術をしたとレーザン先生から聞いた。狂乱状態、急性脳炎、免疫不全を発病していた記録が残っていた。ここの病院の腕も優れてはいるが、よく患者が死ななかったものだと逆に感心したほどだ。
余談だが、患者は多食症の可能性があると聞いた。実質、必要以上の病院食は与えられないため、腹の虫を微かにいつも鳴らしている。そのためか、唾液が多く、私に対して怒鳴り散らす度唾が飛んでくる。まるで犬のようだ。
今は発病を抑える薬を服用させその場をしのぐしかないだろう。少なくとも、特異型の患者を死なすわけにはいかない。誰もが、そう願っているはずだ。
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