第二章 二節 新型感染病原体研究開始

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 私はリノリウムの白い床を見つつ、半面の白いガスマスクの緩みがないかをチェックした。

「それでは改めて、死生裁判士のゼクロスさんだ。よろしくやってくれ」

 最先端再生医療を研究するリノバンス第六病棟統括のレーザン先生が私の隣で紹介してくれた。


 リノバンス医院内の感染症研究センターのメインルームには私とレーザン先生、そして四人の白衣姿の男女がいた。全員、感染を防ぐ半面マスクとゴム手袋等を着用しており、体格と目、髪の色以外で区別はできなかった。身長差は様々だが、一八〇㎝越えの私より背の高い人は一人だけだった。


 研究室の広さは義務教育を修得する学校の教室四つ分に及び、六カ所に大きな実験台が配置されている。数えきれないほどの電子機械や薬品、実験装置で埋め尽くされている。三方の壁も机や試験棚、研究施設用のフリーザー、ドラフトチャンバーなどが置かれていて、一種の機能美が迫力を生み出している。


「トーマス・ライアンだ」と、まずは壮年のレーザン先生と同年配の落ち着いた、しかし性格の明るそうな爽やかな顔つきの男が口を開いた。金髪と碧眼が目立つ。

 必要最低限のコミュニケーションを握手とともに交わした。

「ジャドソン・クラウス。よろしくお願いするよ」

 穏やかそうな顔つきの痩身の男は皺一杯の笑顔で手を差し出す。皺と白髪の混じった薄毛が目立つ辺り、五十代半ばだろう。

「フランソア・ハントよ。フランでいいわ」

 思慮深そうな彼女はトーマスと同じ髪と目の色であり、年上故の落ち着きをもっている、美しい女性だった。どこぞの臨床微生物学の悪趣味なPh.D学生にもこの落ち着きを見習ってほしいものだ。

「コウム・リュウリョウ」と一番最後に一九〇㎝ほどの三十代前半に見える短い黒髪の東洋人は名乗った。

 香霧瀏亮コウムリュウリョウ、そう言えば聞いたことがある名だ。


「もしかして……あのときの」

「あぁ、一年前君のお世話になったよ。あのときはありがとう」

 そう言って微かに笑みを向けた。

 一年前の夏、船内で香霧が発病し、倒れているところを救った記憶が脳内から引きずり出されるように思い出す。そこで彼の名と職業を知ったが、まさかこんなところで出会えるとは思いもしなかった。


「お、まさかの知り合いだったか」とレーザン先生は意外そうな顔をした。

「ええ、一年前に……」

「まぁ、感動の再開トークは長引くのがお約束だから、悪いがあとでにしてくれ。まぁ彼らと彼女は全員俺の知り合った友人という名の協力者だ。医薬学や外科内科においては優秀だし、皆新型病原体の研究をしている」

「あれ、六人だけで行うのかよ」

 そう言ったのはトーマスだった。おそらく詳しいことは聞いていないのだろう。仲が良いほど連絡事項が疎かになるのはプライバシーだけにしてほしいものだ。


「あー……他にも協力は願ったんだが、残念ながら、都合悪いといって断られたよ」

「私がいたからですか?」

 余計なひと言だったろう。だが、確信はあった。それが伝わったのか、レーザン先生は困った顔を浮かべて頭をガシガシと掻く。

「あー……断られた内の六割はゼクロスさんの名前を聞いた途端に、な」

「……」

 評判というものはつくづく不便なものだ。レーザン先生も私と同じことを考えているだろう。

「まぁいいじゃないか。六人でもなんとかなる。私の研究所には三人しかいないわい」

 ジャドソンは大きく笑う。

「まぁ、そうだな。こっちは二倍だし、十分な人数だ」とトーマスも笑う。全体の雰囲気が変わった気がした。


「よし、それじゃあ確認事項や詳細は先程も言ったし、昨夜の送った資料にも書いてある通りだから割愛して、早速研究を始めようじゃないか」

 レーザン先生は体格の割に大きな手をパンと叩く。各自が行動に移り、私も早速研究に移る。機材の場所は資料ですべて頭の中に入っているので、自宅の研究室にいるような気分だった。自宅の研究室と違うところは機材の多さとそのクオリティ、そして一人じゃないことだ。多人数でやる程、効率はいいが、独創性が劣るのが難点だなと考えながら、目の前の実験に集中した。




〔記録ノート 1〕


 第六周期 年号一七六七 十月八日。

 本日よりラルク・レーザン医師を筆頭に新型細菌感染症「UNCアンク」の本格的な研究を開始。予め採取してあった患者の血液サンプルと排泄物を基に媒体の回収と治験を繰り返し、治療法と抗体の生成法を編み出す方針で行う予定。


 擬態微生物の一種でもある「UNC」の形状は比較的他の病原体よりは見つけやすいため、作業が捗る。だが、対抗策は見つからない。二面性を持ち、ひとつは運動能力を有した、雄性生殖細胞ほどの活発性、もうひとつは膨張して球形に近い形状と化し、その場に固定するタイプが確認できた。だが、特にこれといった影響を与えることなく、ただ静/動を繰り返すのみ。周期性はなし。


 患者「アイリス・ネーヴェ」の容体は現在のところ異常は見られないが、悪化しているのは間違いないだろう。以前までは機械と看護師の報告より、発熱、咳、嘔吐、下痢の症状が特に多かったという。昏睡状態も多々あるとのこと。現在はレーザン医師による延命治療を受けている。


 各々の担当者、会社に報告。正式に許可を貰い、明日からは彼らの一員として研究に臨むことができる。これを機に治療困難の疫病の流行を確実に防がなければならないだろう。



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