第一章 五節 静かな夜

     7


《「死亡宣告」の条件》


1.将来において生命維持する価値のある存在か。


2.有効な治療法や予防法が見つからない、治療が困難な病をもつか。


3.遺伝的血のつながりがある者、配偶者が存在するか。


4.この先、人類に大いに影響する(治療サンプルとしての利用価値又は感染等の悪影響をもたらす危険な存在)か。


「……嘘、だよね……」


 さっきまでの振る舞いから一変し、患者は呆然とした顔で、私の言ったことが冗談であってほしいために、微かに笑みを向ける。未だ信じられないような眼差しを向ける。

「ねぇ、嘘なんでしょ? ……治るんでしょ? ねぇ?」

 このような態度になるということは、やはり生き延びたかったのだろう。矛盾しているが、現実から目を背いている以上、生きる資格はない。死を受け入れるのも、ひとつの生存法だ。

「何故嘘をつく必要がある。事実を言ったまでだ」

「ゼクロスさん、少し口が過ぎるぞ。アイリスの気持ちを考えてくれ」

「レーザン先生、患者に嘘をついてもお互いに首を絞めるだけです。隠す必要はありません」

 レーザン先生はガスマスク越しで歯を食いしばり、だが納得したのか、これ以上は口を出さなかった。

「あぁ、言っていなかったな。余命は……」

「嫌! 聞きたくない!」

「余命は約二ヶ月だ。受け止めろ」

 聞こえたのか、患者は甲高い声で叫ぶ。女性の声というものは相変わらずうるさいものだ。


「あぁ……ぁぁあああ……嫌、いゃ……嘘だ! うそだ! こんなの……嘘に決まってる!」

 これだから学の及ばない子供と言うのは。私は溜息をつき、呆れるあまり脱力する。

「このまま過ごせば『必ず』死ぬと言っただけだ。勘違いするなと先程言っただろう」

 それと、と私は付け足す。

「『宣告』とは関係なしに、その病を治すと言ってるんだ。レーザン先生や他の医者の方々と協力してな。君の信頼しているレーザン先生がいるなら安心するだろう」

「……」

 患者は黙り込む。少しは納得したようだが、やはり「死神」扱いしている私のことは憎んでいるようだ。


「アイリス、先生は全力で君の病気を治してみせる。今は不安で仕方ないと思うが、希望は捨てないでくれ」

 レーザン先生は患者の前へ行き、手をがしっと握る。少し安心した表情になり、こくりと頷いた。それをみたレーザン先生は目尻に皺を浮かべ、微笑む。

 興味がなかった私は後ろへ下がる。精神面では死生裁判士わたしよりも医者せんせいに任せた方がいいだろう。

「よし、なら大丈夫だ。それじゃ、明日血液検査をするから」

「え、ち、注射ですか?」

 少し怖がっている。ずっと入院していても慣れないものは慣れないのか。

「先生、せめて年に一回で……」

「残念ながら月一回なんだよ」

「私あれ嫌いです」

「先生は好きだけどなー」

 はっはっは! と豪快に笑ったレーザン先生を見て、患者は苦笑する。

「じゃあそういうことで、覚悟しとけよ? あっはっは!」

 じゃあいこうか、とレーザン先生は私の肩を叩き、病室を出る。その際、レーザン先生は患者の方へ振り向き、二カッとガスマスク越しで笑いながら中指と人差し指を立て、「アディオース!」と言った。これだけ明るい人なら、懐いてもおかしくはないな。

 私は振り返らず、彼に次いですぐに病室を出た。


「ゼクロスさん、このあと都合悪いか?」

 統括室に向かう途中、ガスマスクを取ったレーザン先生は私にそう訊いた。

「あぁすみません、仕事が残っているので」

「そうか、じゃあ済まないが、明日も来てくれるか? 時間は今日中に連絡しておく」

「わかりました。お言葉ですが、どちらかといえば私は治療研究の方に専念したいのですが」

「それも兼ねて、アイリスと仲良くしてほしいんだけどなー。それにゼクロスさん事務的すぎるから好かれないと思うんだ」

「仕事ですから。それに、懐かれても辛いだけです」

 レーザン先生は困り顔で頭をガシガシと掻く。

「んー、そう思っているのは君だけだと思うけどな。人を治す者は何も身体だけではない。心のケアも必要なんだ。ゼクロスさんならそのくらいは知っていると思うが」

「……」

 黙り込んだ私を見て、レーザン先生は息を一つ吐く。


「ま、これからそうしていけばいい。あぁ、今回は特例で君に診査を頼んだが、今後の感染病原体の研究協力と患者診査に関する詳しいことは今夜書類にして送るよ。まぁ明日にでも話そう」

「わかりました。では、私はこれで失礼します」

「ああ、ありがとうな、ゼクロスさん」

 ガスマスクを返した私は挨拶を交わし、廊下を曲がる。レーザン先生の足音が段々と小さくなっていく。

「……」

 薄暗いリノリウムの廊下の真ん中で、私は歩むのをやめる。

「……はぁ」

 踵を返し、ただある場所へと向かった。


 412号室。私は目の前の重く、白い扉を開く。除菌室で全身を電磁波による殺菌をした後、二枚目のスライドドアを開けた。

「……っ!」

 個室の白いベッドで上の空となっていた患者、アイシス・ネーヴェは病室に入ってきた私を見た途端、不意を突かれたようにびくりと体を震わし、目元を白い袖で拭く。

「な、何しに来たの!?」

 威嚇しているようにも見えるが、声が震えている。私を憎んでいても、死神と評されていてはやはり怖いのだろうな。

 そして、もうひとつの意味で驚いている顔がみられた。


「顔を隠して挨拶をするのは礼儀に反しているからな。改めて挨拶を交わしに来た」

 私は院内用ガスマスクをしていない。自分が普段使っている防毒マスク型のそれを装着しているだけだ。呼吸器ばかりは外せないが、半分以上露わになった私の素顔を見てここまで驚かれるのもどうなのか。もしかすると、この患者はレーザン先生の素顔も知らないのかもしれない。


「……そこまで驚くか」

「だって、その、ここにくる看護師さんもレーザン先生もみんな全面マスクをつけているから……それに、挨拶って……?」

「やっぱりみんなそうしているのか。顔を見せずに心のケアとは、先生もよく言ったもんだ。顔が見えるタイプを今度提案しよう」


 私は鼻で笑い、呟くように言う。

 完全防備でない以上、感染のリスクは格段に上がるだろう。

「そ、それじゃあ何で……」

「レーザン先生が言っていたんだ。少しは患者と仲良くなれって。それに、おまえを治さなければならないからな、リスクなしで医者は語れないだろうし、素顔を知らずして仲良くなれるわけがない」


 私は患者に近づき、視線の高さを合わせた。唖然とはしているが、未だ懐疑的な感情を抱いているようだ。

「……」

 私は何をやっているんだろうな。何故こんなことをしているのか聞きたいところだが、生憎その答えは私の無意識の中に在る。

「……っ、近づくな死神! 騙そうと思ったら大間違いよ!」

「騙したつもりはないが。ま、これからも死神をよろしく」

 私は手を差し出した。だが、パチンと弾かれる。

「とにかく出てって! ナースコールするわよ」

「看護師は警察じゃないぞ」

 私は軽く笑い、「まぁ、よろしくな」と言い、その場を後にした。



 病院を出、空を見上げる。この世界に月はない。すっかり暗くなり、白い息さえも暗闇に消えていく。人の気配もなく、ただ冷たい風が吹くのみ。

 あまりにも静かな黒の世界へと私は歩いていく。星ひとつない夜空に淡く輝くのは、点滅する人工衛星だけだった。

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