第一章 四節 死亡宣告

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 午後七時五十五分、リノバンス中央病院第六病棟にて。

 私は統括室の扉を開けていたところだ。

 開け放たれた部屋から薬品の匂いを一杯に含んだ風が吹き抜けていく。暖房で暖められた白い空間は、冷え切った体を温めてくれる。よく磨き上げられていた白いフローリングには、ソファとガラスのテーブル、壁には数えきれないほどの書類と本が、五つある棚に敷き詰められていた。窓の外は暗かったが、それがかえってこの部屋を明るくさせている。


「やぁゼクロスさん。待っていたよ」

 デスクに座って何かを書きつけていた男が立ち上がり、壁と同じ色をした白衣をはためかせて近寄ってきた。

 四十代前半に見え、顔の皺が少し目立つ。中肉中背の人物で、肌の色は黒くも白くもない。平均的といってもいい。白髪の混ざった縮れ毛の医師は、屈託のない笑顔で両手を広げ、私を迎え入れた。

「ようこそリノバンスへ。私がラルク・レーザンだ」

 電話のときと同じ声。だが、そのときの真剣な声とは異なり、愉快そうな、明るい声だった。

「死生裁判士のゼクロス・A・コズミックです。お招きありがとうございます」

「礼を言うのは私の方だ。よく来てくれた」

 右手を差し出すと、彼の分厚い手のひらは予想を超えた力で私の右腕を引き込んだ。袖から伸びた腕には、筋張った筋肉がうねっている。

「それで、協力というのは?」

 私はあまり世間話を好まない。手早く本題に入る方が時間も短縮されるし、どうでもいい話に付き合う必要もない。

 レーザン先生は「あぁ」と、ガラスの棚から何かの書類を取り出す。


「小規模かつ発生場所、時期ともにバラバラな新型病原体の劣性遺伝に感染した患者がいる。生憎、私は再生医療専門なんでね。ある程度はともかく、劣性の特異型となれば私もそう易々と扱うわけにもいかない。変なことで患者を死なせるわけにはいかないからな」

「他の病棟に適した人材がいたでしょう」

「生憎取り扱っている人が、いや人手がなくてな。現段階である程度の知見もあれば腕に信頼のあるゼクロスさんに協力を求めた、というわけだ」

能力があれば人は選ばない、か。まだ話が分かる人で良かったとしよう。

「わかりました。その劣性形質のバクテリアに有効な新薬を作る、という認識でよろしいのですね」

「その通りだ。あと、他の研究者や知り合いの医者にも協力を願ったよ」

 レーザン先生は書類を片手に部屋から出ようとする。

「では早速、その患者に会わせようか」

 統括室を出、私は彼の隣を歩く。階を一つ上がるところで、レーザン先生は持っていた書類を私に手渡す。


「これが劣性形質の新型病原体の患者のカルテだ。名前はアイリス・ネーヴェ。十七歳の少女だ。電脳型はD型プラス、親も兄弟もいない。小さい頃に殺されたらしい。それ以上のことは何も言ってくれなかったが、とにかく、彼女は身体的にも精神的にも不安定だ。いや、そのときのショックで心を閉ざしている。感染病以前の問題だ」


 私はカルテをパラパラと見るが、あることに気が付く。

「その患者を診るということですか? ……私が、ですが?」

 どうやら少し勘違いをしていたようだ。立ち会いが病原体だけでなく、まさか患者とも立ち会うとは。


「この病院に劣性をもつ患者はアイリスしかいない。通常とは異なる形質が、もしかしたら治療解決の糸口を掴むかもしれないと思うんだ」

 その前向く表情に冗談などは見られない。本気なのだろう。


「さ、ここだ」

 着いた部屋のプレートには「412 Ailice Neve」と書いてあった。

「ゼクロスさん、これを」

 渡されたのは白いガスマスクだった。全面マスクであり、目はガラス越しで辛うじて露わになっているが、鼻と口の部分はキャニスターで覆われている。

「フルフェイスマスク? それだけ感染力があるのですか?」

「念のため、だ。万が一感染したら救えるものも救えない」

 マスクのベルトで頭部を固定し、先生は白いスライドドアを開ける。

 小さな空間と目の前にはもう一つのドア。壁には幾つもの噴射口が設置されていた。


「……ここはもともと手術室で?」

「いや、リノバンス全棟がこんな感じだよ」

 ブォォ、と噴射口から強い風が吹き付けてくる。薬品の強い匂いが鼻にくる。同時に全身の肌がピリピリと痛む。


(電磁波か……結構強めだな)

 バイオバーデンを限りなく減らすための滅菌法のひとつ。だが、このヴァーチャルな電脳界で通じるのかどうかはわからないが、少なくともここはより物質世界に再現した領域エリアだから大丈夫なのだろう。


 数秒経ち、噴射が収まる。レーザン先生は第二のドアを開けた。

 統括室と同じ、いや、それよりも純白に感じられた病室。暖かくも涼しくもない、無音の空間にあったのは、ひとつの白いベッドと小さい本棚、一人用の机と、電源のついていない液晶テレビ(今では珍しいガラスウィンドウ型)があった。

 そのベッドの上にひとりの少女がいた。金色の髪は蛍光灯に照らされ、輝いているが、その金色の瞳には活気が見られなかった。痩せてはいようと人形のように顔立ちは整っている。だが、肌は病的なほどに白かった。何を見ているのか、真っ暗な窓の外を眺めていた。

 その少女はドアを開ける音に気が付いたのか、ゆっくりとこちらへと顔を向けた。顔がわからなくとも雰囲気や体格で判別しているのだろう。私の方を見、弱くも警戒を示す緊張が少女の視線や姿勢で感じ取った。


「レーザン先生、その人って……」

 十代特有の透き通った声。弱弱しい声だ。

「あぁ、君の治療に協力してくれるゼクロス・コズミック先生だ」

「ゼクロス……?」

 私を呆然と見る目。

 嗚呼、その瞳は何度も見てきている。

「……コズミック……」

 口の動きが、そう語っていた。

 瞬間、号哭にも似た怒号が白い部屋を響かせる。


「帰って! この部屋から出てって!」

「……」

 予想通りの反応。威嚇するかのように、怯えるかのように叫ぶ。

「アイリ――」

「大丈夫です」

 なだめようとしたか、あるいは注意しかけたレーザン先生を止め、彼女の吐く言葉を受け止める。

「出てけ死神! この人殺し!」

 そう叫んでは、枕や置いてあった本を投げつける。

「一旦出ましょう。彼女に私は必要ないみたいです」

 そう告げ、その場を後にした。あとからレーザン先生が付いてくる。


「すまないゼクロスさん。普段は大人しい娘なんだが、あんなに叫んだのは見たことがない」

 私が死生裁判士きらわれものだと知っておいて、よくそんな皮肉が言えるものだ。

「いいですよ、ああいうのは慣れてますので」

 白いガスマスクを外し、私は笑みを浮かべた。

「それで、私はまず何をすればいいでしょうか」

「あ、あぁそうだな。……まず、『死生判別』をしてくれ」


 その一言には少し驚いた。

「万が一、『死亡宣告』……安楽死対象となった場合は、どうするつもりですか?」

「なにを言っているんだゼクロスさん。もしそうなったとしても、私はあの子を救う。あくまでそれは『医療的殺害の許可が下された』ということであって、必ず殺せというわけではない。死生裁判士きみの目から診て、アイリスがどの現状にいるのかを確かめたくてね。ゼクロスさんは私よりも若く、その上医業も長けている。あんただって好きで死亡宣告しているわけではないだろう」

「まぁ、そうですが……」

 好きでやっているのならば、今頃私は収容所にいる。

「それなら、協力して彼女を、いや、彼女をはじめとした新型感染者を救おうじゃないか」

 今のところ感染規模は小さいが、いつ拡大するかわからない。早期対策が重要となる。故にこの医師の必死さが伝わる。

「まず、アイリスと仲良くなるところからだな」

 そう言ってレーザン先生は笑う。

 今まで私が審査してきた人の約八割は嫌悪していたが。

「私と接してきた患者と仲良くなったことはありませんよ。例え完治した患者でもね」

「じゃあ今日で最初に仲良くなれる患者だな」

 何を根拠に。私は「はは」と笑う。

「私から説得するよ。ゼクロスさんはここで待っていてくれ」

 レーザン先生は再び病室の中へ入る。


(……)

 まだ外見しか見てはいないが、瞳孔、表情筋、肌にうっすらと見える血管などを診た辺り、特に異常はなかった。病弱そうに見えたのは元々か、それともやはり精神的なものか。

 劣性遺伝をもつ病原体。それがどのような形質、いや、症状をもたらすのか。茜は確か異常な性癖をもつようになると言っていたが。


「――ゼクロスさん」

 気が付くと、目の前にレーザン先生が怪訝な顔をして私を見ていた。また自分の思考の中に浸っていたようだ。

「なんとか説得はして許してくれたから、診ても大丈夫だ」

彼女の嫌々そうな顔が思い浮かぶが、そのようなことは気にしない。私は再びレーザン先生と共に病室に入る。



 ガスマスクを装着し、病室に入る。彼女は私を見た途端、更に警戒を強めた、そんな表情をする。

「警戒しなくてもいいよアイリス。君の病気を治すのに協力してくれる、新しい医者だ」

 ほら、ゼクロスさんからも、とレーザン先生は私を見る。

「別に殺しに来たわけではない。そこだけは勘違いするな」

 そう言うと、キッと彼女は睨みつけてきたが、特に感情は沸いてこない。

「ゼクロスさーん、あんたそういう冷たい態度で話すから人に好かれていないんじゃないのか?」


 呆れ口調でレーザン先生は肩をバンバンと叩く。少し痛みを感じた。体格に相応し、力は結構強いようだ。

「先生、早く終わらせてください」

 機嫌の悪い彼女は、今すぐにでも私をここから出て行ってもらいたいのだろう。特に好かれたくもないが、逆に極端に嫌われるのも腹立たしく感じる。

「彼女もああ言っているので、早速診察しましょうか」

 レーザン先生はマスク越しで溜息を一つつき、「そうだな」と頭を掻いた。

「それじゃあ、服を脱いでもらおうか」

「……」

 彼女は渋々と上を脱ぎ始める。あくまで私は医者と同等の資格は持っている。そのあたりは認めているのだろう。


 病院服を脱いだ彼女の躰は、痩せていたものの、女性らしい丸みのある体つきだった。未発達だが、少し膨らんでいる乳房が女性らしさを引き立たせている。赤と青緑の血管が浮かび上がっていたが、それがかえって、曲線美を強調させる。病を患っているにしては、とても綺麗な肉体だった。


「じっとしてろ」

「ゼクロスさん言い方冷たすぎ」

 後ろでレーザン先生が何かをいうが、私は構わず診査器具を取り付け、彼女の身体に触れる。その手から幾何学的な紋様が浮き出、それが彼女の肌に伝わり同調する。電脳的簡易接続は良好。このまま作業を続ける。

 いつも行っている故、感覚や反射のみで診査をしている。診査の間、他のことは考えないように、ただ本能的に、無意識に、肉体あいての危険信号こえに耳を傾ける。脳波、心拍、呼吸、瞳孔、筋肉の動き、動脈……あらゆる「声」を目で、耳で、指で感じ取る。


生命という不確定にして安定な海を、電脳という定められた歪な雷が走る。どこまでも広く、深く、血の管一本の果てまでへとそれは続き、形なき情報として認識される。

 人体は異常を来すと必ず何かの信号サインを発する。それがどんなに小さくても、気づかなければ人を治せない。医学を語れない。

 電脳族である自分の身体から、電波を発し、異常部位を探す。また、患者の発している波長が乱れているかどうか、一定の周期かを感じ取る。ただの人間でそこまでできるやつはいないと思うが、別種族故、それも訓練したからこそできることだ。


 異常を知るということは、正常、つまりは基準を知らなければならない。だが、常識というものはいつ変わるのかはわからない。常に視野を広げ、情報を更新しなければ、人間同士が支えて生きている社会の時代についていけない。つまりは生きていけない。


 診査を終える。否、審査を終える。


「……」

「ゼクロスさん、どうなんだ」

 真剣な表情でレーザン先生は訊く。彼女も同様、私の診査結果に興味はあるような目をする。

「……まず、今行ったのは『患者がこの先、生きるに値するか否か』、『安楽死の許可が下されるか否か』、そして『生存確率と推定余命』の分析及び解析です。簡潔に言えば『死生裁判』……まぁ世間でいう『死亡宣告』されるかどうかの審査です。どのような症状か、肉体に異常はないかということはカルテに書いておきます。あくまで電脳学ないし生体電気学的なアプローチから簡易診察したものですので、詳細部分や治療法はちゃんとした医療機器を使うことを強く奨めます。あくまで『宣告』であり、『執行』ではないので、勘違いはしないように」

 私は服を着終えた患者の目を見る。死んだような目に、僅かだが光を感じる彼女の瞳には、もう既に命の行先が示されている。

 私は一切の感情を示さず、事務的に、無機的に診断結果を報告する。


「――『アイリス・ネーヴェ』。あなたを『死亡宣告』する」






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