第一章 三節 協力

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 大学を出ると、寒い風が肌に刺さる。ここの大学は山にあるためか、麓の町よりも寒い気がしてならない。私は乾燥した冷気を吸い、白く染まった水蒸気を吐く。気温は10度以下。指先が冷える。

 私はすぐにでも自宅に帰りたい気分だった。


「ゼクロス先生」

 だが、ひとつの声が私を引き留める。振り返ると、見覚えのある男性がこちらへ駆け寄ってきていた。名前は古川敏之ふるかわとしゆき。私より少し年上であり、相変わらず無精髭が似合う男らしい顔つきの渋い人だと会うたび思う。

「古川さんじゃないですか。どうしたんですか、外に出るなんて珍しい」


 しかし、顔に似合わず、彼は普段自宅に引き籠っており、独学で遺伝子学をはじめとした生物学に手を付けている。趣味の範囲で勉強しているため、当然、専門家ほどではないが。職業は作家らしく、SF小説をよく書いているらしい。だが、どこからみてもギターを弾いているボーカル担当のミュージシャンに見えるのは私だけではないはずだ。

「俺だってたまには外に出たくなる時があるさ。世話になった教授に会ってちょっとしたネタを聞いてきたんだ。小説の参考資料としてな。先生はやっぱりなんかの研究関連でここにきたのか?」

「まぁ、そうなりますね」

 私の職柄は世間上あまり好かれておらず、寧ろ嫌っている人が多いため、私のことを知っている人のほとんどは避け、陰口を言っているのだろう。だが、私のようなただの若造がなぜ世間に知れ渡っているのかと聞かれれば回答はすぐに出る。

マスコミだ。詳細については話す気も、思い出す気にもならないが、茜や古川さんのように、私に対し友好的な態度をとる、もの好きな人たちも少なからずいる。


「そうだ先生。よかったらちょっとどこかで話さねぇか?」

「いいですけど、古川さんは何で来たのですか?」

「バス。あと四十分待たなきゃいけねぇ」

 古川さんは右手首の時計をこちらに見せつけるように見た。それを見る限り、成程、良いメーカーの高価な時計のようだ。


「そうですか……あぁそうだ、私が気に入っている喫茶店があるんです。そこまで車で行きましょう。話はそこでということでいいですか?」

「いいのかい先生」

「構いませんよ。あと、いつもいってますけど、先生と呼ぶのはちょっと遠慮していただけませんか」


 古川さんは私のことを「先生」と呼ぶ。学歴上、確かに私は先生と呼ばれてもおかしくはない程の資格と専門知識を携えている。だが、先生と呼ばれるような職には就いてない。それに私自身、呼ばれ慣れていない。


「俺が気に入ってんだ。いいだろ先生」

 古川さんはニッと爽やかに笑った。

 私は苦笑を含めた溜息をつき、車に乗った。


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「そういえば先生は国立感染研究所NIIDで研究しているんだっけ」

 喫茶店の端の一席で私と古川さんはそれぞれ注文する。最初に話を切り出したのは古川さんだった。

「いえ、協力させていただいている研究所のひとつですけど、基本私だけで研究や仕事を行っていますよ」

 しかし、これからはもっとNIIDで世話をかけるかもしれない。

 快く死生裁判士わたしを受け入れることはないだろうが、時が経てば、そのような下らない差別は関係なくなるだろう。

 今の時代はある程度平和だ。だが、いつそれがどのような形で崩れるかはわからない。もしかしたら、近いうちにそのときが訪れるかもしれない。私の杞憂にすぎないのだが。


「独学に近いよなそれって。やっぱすげぇな先生は」

 尊敬の眼差しに対し、私は作ったような笑い方をする。

「嫌われていますので、一人でやる他ないんですよ」

「『選別者』だろ? でもそんなのただの役職だしよ、人数が少なくても、他にも先生と同職の人はいるんだろ? なのに軍事に携わってるってだけで先生だけが異常に知れ渡っていて嫌われているってのも変な話だと思うぜ?」

 古川さんは喫茶店の受付を睨むように見つめ、

「悪い風評だって、どうせ報道陣マスコミが変な情報を大袈裟に流すのが原因だろ。それを信じ込んだ馬鹿の群れがこの世にごまんといるのが腹立たしい。さっきの受付の奴等も先生を見た途端、表情が変わったからな。殴ろうかと思ったぜ」

 私は珈琲を口につけ、息を一つ吐く。コピ・ルアクの独特の複雑な香りが鼻腔に籠る。


「それはちょっと遠慮してください。そういうものですよ世の中。マスコミも好きでやっているわけではないと思いますし。確かに嫌な気分ではありますが、慣れたことですし、仕方ないことです。でも、ちゃんと理由はあるんです。世間から受け入れてもらえない訳が」

「もしかして見た目か? そりゃあ確かに人間は九割見た目で決めるし、先生って病的なほど肌が青白いし、目つきが冷たいし、細長い体形だし、暗そうだから死神といわれるのも納得できるけどよ、長身痩躯で眉目秀麗という外的な利点はちゃんと備わっている時点で――」

「古川さん。からかうのはよしてください」

「ありゃ、それじゃなかったか」

 確かに見た目は擬人化した死神だと学生時代言われたが。古川さんは頭を掻く。

「それじゃあやっぱり……あの報道されていたことか。『死生裁判士の倫理問題』ってやつ」

 それを耳にし、胸のあたりが刺さったかのように痛み出す。


 「死生裁判士の倫理問題」。一年前に取り上げられ、その影響が現在も続いている、非常に厄介な世間流行だ。私にとっては事件に近い。

 「医学及び医療は、病める人の治療はもとより、人々の健康の維持もしくは増進を図るもので、医師は責任の重大性を認識し、人類愛を基にすべての人に奉仕するものである」。電脳界の世界保健機関WHOが定めている医の倫理網領注釈である。医師、人を治す者の為すべきことを考えるとき、常に倫理ethics道徳moralityが常に伴う。形は何であれ、医療行為は人類愛に基づく自発的行為であり、営利目的で行ってはならない。現に営利なしでは生きてはいけない世の中なので、そのような医師は多くいるが、医師は良心と医の倫理に従って医業を行うものである。


 だが、死生裁判士はそれに反する行為が多くみられていると認識されている。特に、ほとんどの医業を習得しており、医院に務まらず、自営業であらゆる依頼を受けていた異色の私は、選別者になる前から評判が良くなかった。ただ、医療や手術の腕は認められていた。


 スポーツ選手の筋肉増強、美容整形、性転換手術、人体改造、紛争地帯へ送る生物兵器の製造等、倫理的、法律的、社会的に問題となることを依頼されたがままに行っていた。それも、金銭目的で。


 その上、患者の余命や生死宣告、死体解剖、死体の取引、遺体をサンプル扱いする「死生裁判士」に就職したのだ。未来発展、医療技術向上の社会を目指すことには医学連盟と変わりはないが、やることがほぼ相反している故、大半の医師や世間一般からは嫌われている。


「まぁ、あれも一理ありますね」

「でもよ、あそこまで言わなくてもいいのにな。報道する奴等も、ネットでなんか下らねぇこと言う奴等も、言うだけ言って行動しねぇ専門家も言い過ぎなんだよな。先生はタイミングが悪かったんだ。別にあんなの気にする必要ないと思うぜ?」


 その言葉に救われる。だが、事実は事実だ。社会は完璧でなければ排除される。一切のミスは許されない、理不尽以前の社会の掟。掟を破った私はそうなりかけたのだから。

 私は一年前、選別者として必要以上に人を死なせてしまった。ほとんどが病を患った罪人であり、その時の医療技術と私の未熟さでは医学的に助かる見込みはなかった。だが、それを許さないという声が沸き立ち、倫理問題として訴訟され、一度私は逮捕された。記者会見も嫌というほど行った。それが、「死生裁判士の倫理問題」。私から始まったことである。


 しかし、我ながら自身の説得力もあってか、なんとか釈放され、職も失わずに済んだ。だが、世間の評判は最悪。選別者という用語が悪い方向で世界に認識されるようになった。一部では選別者撤廃という反対運動が行われているという。


「ありがとうございます。まぁそれが一番の理由だとおもいますが、私が思い浮かべてたものは別にあります」

「へぇ、それってなんなんだ?」

 古川さんの言葉に答えようとしたとき、丁度手元が振動する。コーリングだ。


「少々失礼します」

 私は手の甲から立体投影画面を展開させ宛先をみる。匿名。登録されていない人からか。

 ビデオ設定はオフ。応答パネルをタッチし、自分から名乗ろうとした。


『――死生裁判士のゼクロス・A・コズミック氏か?』

「! ええ、そうですけど……?」

年季のはいった、しかし力強い男の声。電話越しでも低く響くそれに思わず身を引き締めたほどだ。

『突然の電話で申し訳ない。私はリノバンス中央病院第六病棟総括のラルク・レーザンだ』

(レーザン……茜が言っていた医者か。何故私の連絡先を知っている)

『例の新型病原体の治療研究をしているのだろう? よかったら私と協力してくれないか? いや、協力してほしい』

「……っ?」

どういう風のふきまわしだ。相手の声色は優しいものだが、真意はそれに相反することもなくはない。応答を待つか。

『あぁ、話は落合さんの友人から聞いたよ。彼女も中々押していくタイプだね。連絡先もその彼女から頂いた、というよりは押し付けられたに近いが』

 電話越しの彼は軽く笑う。


 落合……落合香音おちあいかのんの友人ということは、やはり茜か。あいつは本当に余計なことをすると言わんばかりの行動力を兼ね備えている。


「私は構いませんけど、本当にいいのですか?」

『世間の評判は最悪に等しいらしいが、腕は確かなのだろう? 職柄や過去云々で優秀な人物を手放すほど、私は馬鹿ではない』

「……」

 それに、と付け足し、

『今は新聞にすら載らないほど感染は小規模だが、今すぐにでも感染を根絶せねば、この再現世界どころか、電脳界ごと手遅れになる。電脳族に感染しやすいとなればその可能性は十分にあるだろう。今は君に協力する他、最善の方法はない』


 その声は真剣そのものであった。覚悟をもった声。私は身を引き締める。彼の本気が電波を通じて耳に、脳髄に、心に伝わってくるのが分かる。

「……わかりました。協力いたしましょう」

 重い声で、私はそう答えた。

『感謝する。それじゃ早速、今日の二十時にリノバンス病院に来てくれ。北側にある第六病棟の三階統括室で待っている』

 私は了承し、電話を切る。そして珈琲コピ・ルアクを一口。


「誰だったんだ、先生」

 古川さんが覗き込むように私を見る。

「リノバンス医院のラルク・レーザン先生からです。感染している新型バクテリアの研究に協力してほしいとのことです」

 すると、彼の表情が半ば驚いたかのようなそれに変わる。

「ラルク・レーザンっていやぁ最先端再生医療の研究開発をしている有名な医者じゃないか。再生医療と感染はあんまり関係ないと思うんだけどなぁ」

「まぁ、何かしら関係があるんですよ」

 専門的な話を逸らし、ブラックを飲み干す。

「そのようなわけで、突然用事ができてしまいました。すみませんが、お先に失礼します。あ、帰りはどうされますか?」

「んー、俺ん家こっから近いから歩きで何とかなるよ。わざわざ先生のお世話になってちゃ迷惑かけるからな」

「はは、そんなことありませんよ」

「なぁに、俺がそうしたいから、そうするんだ」

 そう彼は穏やかに笑う。私も笑みを返した。

「わかりました。それじゃ、また今度」

「おうよ、久々に会えてよかったぜ、先生」

 私は席を立ち、古川さんに別れを告げた。

 どこからか冷たい視線と陰口が聞こえてくるが気にはしなかった。


 私が世間に嫌われているもう一つの理由。人によっては、特に古川さんのような、あまり物事に気にしないような人物であればどうでもいいというかもしれない。だが、世間はそうではないみたいだ。


 私の母の名は「ホワロ・A・コズミック」。

 かつて処刑された殺人者の名だ。


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