第52話 最後の告白(1)

時折吹き付ける冷たい風が僕の顔を撫でる。

でもそれが妙に気持ちよかった


僕は、前に授業を抜け出して彼女と一緒に来た江の島にいる。


彼女の手術から半年が過ぎ、季節はすっかり秋になっていた。

彼女と一緒に歩いた坂道が妙に懐かしく感じる。


「そうだ。ここで海に落ちたんだっけ。あの時は酷い目に遭ったな」


その時の様子を思い浮かべなから苦笑する。


「ハルくーん!」


石階段の下から声が響く。

その大きめな声に近くを歩いていたカップルがこちらを振り返った。

僕はちょっと恥ずかしくなって俯いた。


小走りに階段を登る彼女の手には大きなせんべいが見えた。


「ハア、ハア・・・・お待たせ」

息を切らしながら走って来た彼女に僕は思わず唖然とする。


「ちょっと葵さん・・・何やってんの?」

「あ、ごめん。タコ焼きが売ってなくてさ・・・」


「ダメじゃないか!」


悪気の全く感じられない彼女の顔に思わず声が大きくなる。


「タコ焼きくらいでそんなに大きな声出さないでよ」


膨れっ面の彼女にさらに僕の声はさらに大きくなる。


「誰がタコ焼きの話してるんだよ! 激しい運動しちゃ駄目ってお医者さんから言われてるだろ!」

「へへっ、少しでも早く君の顔が見たくてさ」


そのあどけない笑顔を見たとたん、僕の全身の力がスっと抜けた。


「コラ! 女の子がキュンとするセリフ言ったんだから何か返しなさいよ」


僕はため息をつきながら苦笑いをする。


手術は一時的には成功した。

だが彼女の心臓は完治することはなく、手術の後も彼女の入院は続いていた。

今日は特別に外出許可をもらっての久しぶりの遠出だ。


今後も彼女の身体が成長するにつれてさらに心臓の負担が大きくなり、医者からはいつまで今の状態が維持できるかは保障できないと言われている。


彼女はこれからも自分の身体に不安を抱えたまま生きていくことになるだろう。


だから僕は決めたんだ。

僕が彼女を不安と恐怖から守ってあげる。


いや、守ってあげるなんて偉そうなことは言えない。

でも彼女と不安や苦しみをずっと一緒に受け止めていきたいと思う。


もしかしたら彼女はそんなこと迷惑だと言うかもしれない。

でも僕はそうしたい。


そうし続ける。

彼女が生きている限り。


いや、ずっとだ。

ずっと一緒にいたい。

いつまでも。



「あのさ・・・」


今日は自分の気持ちをはっきり言おうと決めていた。


「なに?」

「あのさ、僕は・・・・」


意を決した瞬間に彼女が叫んだ。


「ああ! ここ、前に君が滑って海に落ちた時に一緒に入ったホテルだよ!」


近くに歩いていたカップルがびっくりした顔でこちらを見ていた。


「ちょっと! 声が大きいよ」 


あれから半年しか経っていないのにどうしてこんなに懐かく感じるのだろう?


「ねえ、入ってみようか? アースラに似てるあのおばさんまだいるかな?」

「どっきりすること言わないでよ。また怒られるよ。それに僕たちはまだ高校生だよ」


「じゃあ、大学生になったら一緒に入ろう」

「何言ってんの? バカじゃないの!」


「フフ、赤くなってる。あー今イヤらしい想像してたでしょ」

「バカ!」


こういうことをさらっと言う彼女に時々ついていけなくなる。


「そう言えば私、大学行けるかどうかわかんないや」


急に寂しい顔になる彼女に僕はハッとなった。

確かに今年の彼女は受験どころではない。

入院が長引けば進学どころか進級も危ないかもしれない。


「どうして? 行けるに決まってるじゃない。一緒に行こうよ」


僕はワザと軽い言い方で当然のように答えた。


彼女は何も言わずににこりと笑った。

その笑顔はとても眩しかった。


 ――これからはずっと僕が一緒にいる。


そう言いたかったが言葉にできなかった。


日が赤く染まった西の空に傾き始めると海からの風が急に冷たくなった。


「寒くなってきたね。手袋持ってくればよかったな・・・・・」


彼女は何か言いたげな顔で僕を見つめた。

もしかしてこれって手を繋いでくれってこと?


どうしよう。手を繋いでいいのかな。

でも違ってたら嫌だな。


そうこう考えながら何もできずに悩んでいると、僕の左手は彼女の右手の暖かな感触に包まれていた。


――あ・・・・・。


「ダメだなあ。君にはまだまだ女の子と付き合うためのリハーサルが必要だね」


 彼女は皮肉っぽく言いながら空を見上げた。


「ごめん。この駄目な性格は簡単には治らないと思うよ」

「心配しなくていいよ。ちゃんと女の子と付き合えるようになるまで私がつきっきりでリハーサルに付き合ってあげるから」


呆れた顔をしながら彼女はふっと笑った。


僕は彼女の手を振りほどいて立ち止まった。


「ハルくん、どうしたの?」


「もう・・・・・いいよ」

「え?」


「もういいよ。リハーサルなんてやらなくて」


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