第48話 二回目のファンメッセージ(1)

翌日、部屋の窓のカーテンの脇から朝日が強く射し込んでいた。

窓を開けると、雲ひとつ無く青く澄んだ空が広がっていた。


学校の授業がやたらに長く感じた。

授業中はずっと彼女に話す話題を考えていた。

今日も病院へお見舞いに行こう。

彼女との約束だ。


授業が終わるとすぐにバス停へと向かった。


早く彼女の顔が見たい、そう思いながら病院行きのバスに揺られる。


午後の病院のエントランスホールは診察待ちのお年寄りでいっぱいだった。


彼女の病室の前に着くと、ちょっと悪戯心が疼いた。


突然顔を出してびっくりさせてやろうと思い、病室のドアを静かに開けてそっと中を覘く。

しかしベッドには彼女の姿は無かった。

お母さんの姿も見えない。


 ――あれ?


すぐに病室を飛び出る。

例えようもない不安感に襲われながら僕はナースセンターを訪ねた。


「すいません。あの・・・葵、葵涼芽さんは・・・」


カウンターの受付に座っていた看護師さんが僕を見てちょっと怪訝な顔をする。


「あの、ご家族の方ですか?」

「あ、いえ、僕は・・・」


その時、反対側の廊下の奥から僕を呼ぶ声がした。


「冴木君?」


遠目だったがすぐに彼女のお母さんだと分かった。


「冴木君、今日も来てくれたの?」


びっくりした顔で僕の姿を見まわす。


「あの・・・葵さんは?」


お母さんは僕の態度を見て何かを察したように俯いた。


「あの子は今、手術室に入ってる」


 ――手術室?


お母さんの言葉が素直に頭の中に入らない。

「手術ってどういうことですか?」


僕は思わず叫んだ。


「あの子、やっぱり今日の手術のこと、あなたに言ってなかったのね。ごめんなさい」

「手術って・・・まさか今日だったんですか?」


お母さんは黙って頷いた。


目の前が一瞬で真っ暗になる。

そして愕然と肩を落とした。


どうして・・・どうして・・・。

僕は心の中で何度も叫んだ。


どうして言ってくれなかったんだ!

僕はまだ、彼女に何もしてあげられてない・・・・・。


大きな罪悪感と後悔の思いが僕を襲った。


「ごめんなさい。僕、今日が手術だなんて知らなくて」


お母さんは黙って首を横に振った。


「あなたは何も悪くないわ。ありがとう」


お母さんは何も言えずに茫然とする僕を病院内にあるカフェに誘った。

僕はお茶なんて飲む気分ではなかったが黙ってお母さんについていく。


カフェの店内は人が疎らで数人のお見舞い客らしき人がいるだけだ。

お母さんが先に窓際の隅の席に座り、僕が後からその前の席に座る。

窓からは外の公園の桜がよく見えた。


「見て、桜がとても綺麗ね・・・」


お母さんに言われて窓の外に目を向ける。

桜を見ているうちに、僕の心はだんだんと落ち着きを取り戻した。


そうか、お母さんは僕を落ち着かせるためにここに誘ってくれたのか。


僕は何を騒いでいるんだ。

お母さんのほうがよっぽど不安な気持ちでいっぱいのはずなのに。


「すいません。騒いでしまって・・・」


お母さんはまた首を横に振った。


「冴木君とはこうやってお話をしたいと前から思ってたの。きのうはお礼も言う時間もなかったし・・・」


どうしてだろう。お母さんはとても朗らかな優しい顔をしていた。

彼女が大きな手術の最中だというのに。


お母さんの落ち着いたその安らかな表情は、かえって僕を不安にさせた。


「手術のことは言わなくてごめんなさい。でも涼芽の気持ちも分かってあげてね。本当のことを言うのが辛かったんだと思う」


分かってる。分かってるんだ。

でもやっぱり言って欲しかった。


最後になるかも・・・いや、そんなこと考えるのは止めよう。


「冴木君。涼芽と一緒にいてくれて、本当にありがとう」

「いえ、僕は何も・・・」


そう。僕はまだ何もしてあげられていない。


「昨夜はあの子大変だったのよ。手術が不安だったのか、ずっと泣いたりわめいたり・・・」

「そうだったんですか・・・・・」


いつも明るいイメージの彼女からはそんな姿は想像がつかなかった。

でも今思えば、病室で最初に会った時の彼女は様子がおかしかった気がする。


「でも冴木君が来てくれたあとはすっかり落ち着いて、いつもの涼芽に戻ったの。本当にありがとう」

「いいえ、僕は本当に何もできなかったんです。元気付けるどころか、かえって不安にさせることをたくさん言っちゃって・・・」


お母さんはゆっくり首を横に振った。


「今日ね、手術室に入る前に涼芽と少しだけ話すことができたの。今日の涼芽はとっても明るくて、涼芽らしい涼芽だった」


涼芽らしい涼芽。

そう、いつも太陽みたいに明るく笑っているのが彼女だ。


「あの子、最後に『お母さん、ありがとう』そして『行って来ます』って。あんなに毅然とした涼芽は久しぶりに見た。きっとあなたのお蔭だと思う」


「いえ、僕は本当に何も・・・」


結局、僕は彼女には何をしてあげられたのだろうか? 


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