第47話 ひとりだけのお見舞い(5)

彼女は顔を僕の肩から外し、じっと僕を見つめる。


その瞳に僕は吸い込まれそうになる。


彼女はゆっくりと目を閉じた


僕の鼓動が一気に高鳴った。


――え? 


これって、もしかして?


何をすべきか答えを探す。

しかし僕の頭の中は混乱してそのまま動けなくなった。


その時、ノックの音が部屋に響いた。


――え!


女性の看護師さんが扉から顔を出した。

どうやら病室の消灯の巡回のようだ。


看護師さんは僕らに消灯時間のことを伝えると、そそくさと次の病室へ向かった。


僕は堰き止められていた空気を一気に吐き出して我に還る。


心臓はまだ大きく脈打っていた。

僕は大きくため息をつきながら自分の勇気の無さに呆れていた。


ああ、やっぱり彼女は――待っていたのかな?


部屋の時計の針が目に入った。

胸が締め付けられるように苦しくなる。


「もう帰る時間・・・・だね」


彼女は寂しそうな声で呟くように言った。


「うん・・・・・ごめんね。大丈夫?」

「うん、さっきハルくんから元気いっぱいもらったよ」


彼女はそう言いながらにっこりと笑った。

本当に元気をあげられたのだろうか。


結局、何もできなかった自分が情けなくなる。


「また行きたいな、海」

「手術が終わって元気になったらね。そうだ、夏になったら海辺の花火大会に行こうよ」


「あ、覚えててくれたんだ」


嬉しそうに笑う彼女の顔が愛おしく感じた。


「ハルくんはさ、きっとプロの小説家になれるよ」

「ハハ、無理だと思うけど。別にプロになれなくてもいいんだ。大人になってもずっと小説はなしは書いてはいきたいとは思うけど」


その時、忘れていたことを思い出した。

彼女に渡したかったものがあったのだ。


カバンの中から一冊のノートを取り出す。

そう。ハルノートだ。


「あの、これ読んでくれる?」


ちょっと照れながらノートを彼女の前に差し出した。


「これ、ハルくんの書いた小説でしょ? 読ませてくれるの?」

「もう読んだことあるでしょ?」

「そうだったね」


彼女は苦笑いをしながらそれを受け取った。


「葵さんにもう一度読んで欲しいんだ。ラストのストーリーを少し直したんだよ」

「へえ、どんなふうに変えたの?」

「それは中を読んでよ。でもそんなに急がなくてもいいよ。返すのはいつでもいいから」

「うん。ありがとう」


この小説には僕の希望を綴っていた。

それが伝わればいいなと思った。

 

「じゃあ、また明日くるね」

「明日?」


彼女はなぜか戸惑った顔をした。


「これから毎日来るっていったでしょ。迷惑・・・・・かな?」

「ううん。そんなことないよ。じゃあ、この小説、明日までに読んどくね」


 慌てたように笑いを繕う彼女に言いようのない不安を感じた。


「いいよ、そんなに急がないで。じゃあ明日、学校が終わったら来るよ」

「うん。待ってる」


僕はゆっくりと病室のドアに手を掛けた。


「あのさ・・・・」

彼女が僕を呼び止めた。


「なに?」


彼女は思いつめたような顔をして黙ったまま俯いている。


「どうしたの?」

「あのさ、もうひとつだけお願いがあるんだけど。今」

「何? 何でも言って」

「睨めっこ・・・・・してくれる?」


――え?


改まって何を言うのかと思ったら睨めっこ? 

正直言ってそんな気分ではなかったが、彼女の顔を見ていたら聞かないわけにはいかなかった。


「嫌なら別にいいよ・・・・」

彼女は拗ねたように俯いた。


「嫌なんて言ってないでしょ。やろう」


彼女の掛け声で睨めっこが始まる。

妙に懐かしい感じがした。


お互いの目をじっと見つめ合う。

彼女とは何度も睨めっこをしているが、今回はいつもと違う不思議な感覚に包まれていた。


どうしてだろう。目を逸らすことができない。


彼女の瞳はとても澄んでいて、そして輝いていた。


彼女の茶色い大きな瞳の中に僕の顔が歪んで映る。

その瞳に映った僕の顔がどんどん大きくなる。


――あ?


次の瞬間、僕たちの世界なか時間ときが止まった。


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