第38話 お母さんの想い(1)

彼女のお見舞いに行った日からあっという間にひと月が経とうとしていた。


新学期が始まってから彼女は一度も学校に姿を見せなかった。


彼女のことは忘れようとした。

でもやっぱり気になった。


姿を見られないことでその気持ちは大きくなる。 

身体の具合、良くないのだろうか? 


入院はそんなに長くはならないと聞いていたので、不安な気持ちが膨らみ始めていた。


そんなある日、携帯の呼び出し音が鳴った。

音声通話の呼び出しは珍しいので、その音に思わずびっくりしてしまった。


誰からだろう、と思いながら携帯に表示された文字を見る。

僕は思わず動揺する。携帯の画面に彼女の名前が表示されていたのだ。


――え? 葵さんから?


僕は驚きと嬉しさで焦りながら受信ボタンを押した。

しかし携帯から聞こえてきた声は彼女のものではなかった。


僕は約束された時間よりも一時間ほど前に待ち合わせ場所のカフェを訪れた。


店のドアを開け、店内に入ると迎えのウエイターから人数を訊かれる。

待ち合わせであることをたどたどしく伝えていると、店の奥で手を挙げてこちらに合図する女性が見えた。

彼女のお母さん。

電話をくれた今日の待ち合わせの相手だ。


前に会った時も思ったが、とても綺麗な人だ。

彼女はやはりお母さん似だ。


しかし一時間も前から待っているとは思わなかった。

早めに来て心を落ち着かせようと思ったのだが、その時間はもらえないようだ。


「すいません。お待たせしてしまって」

「何を言ってるの。まだ待ち合わせの一時間も前よ。読みたい本があったから早めに来て読んでいたの」


お母さんはここに座ってと誘導するように向かい側の椅子に手を差し向けた。


「久しぶりね、冴木君。何飲む? ここのハーブディーはお勧めなの。ケーキもなかなかよ」


程なくウエイトレスがやってきて、僕はお母さんが勧めてくれたハーブティーを頼んだ。


ウエイトレスが席を離れたあと、しばらく沈黙が続く。

重苦しい雰囲気が緊張してガチガチの状態の僕に降りかかる。


何か喋らないと・・・・・そう思えば思うほど余計に焦った。

「あの、あの時は・・・・・葵さんを学校から連れ出してしまって本当に・・・・・すいません・・・・・でした」

僕は懸命に声を絞り出しながら謝った。


「ごめんなさい、冴木君。そのことで謝るのは私たちのほうだったのね」

「え?」


覚悟を決めて待っていたお母さんの言葉は予想外のものだった。


「あの日、学校を抜け出して外に行こうって言い出したのは涼芽のでしょ」

お母さんの悪戯っぽく笑った。

その笑顔も彼女に似ている。


「本人が言ってたわ」

「葵さんが? いえ、前にも言いましたが誘ったのは僕のほうです」


お母さんの顔をそっと見ると、僕の顔を探るようにじっと見つめていた。

僕は委縮して思わず視線を逸らした。


「あなたって本当に嘘がつけない性格みたいね。最初は涼芽があなたを庇って言ったのかと思ったけど、あなたを見てたらどっちが本当かすぐに分かったわ」

「いえ。確かに最初は彼女から言い出したことですけど、最後に行こうって言ったのは僕です。本当です。結局、僕が優柔不断なせいで葵さんを危ない目に・・・・・」

お母さんはそれを聞いて吹き出すように笑い出した。


「涼芽の言う通り人ね」

「え?」


「あなたは何でも自分のせいにしちゃうのかしらね。心配しないで。今日は文句を言いに来たわけじゃないのよ。あの子が入院したのはあなたのせいではないから」


僕のせいじゃないって、どういうことなのだろうか?

お母さんは手に持っていたティーカップをテーブルの上に置いた。


「あなたと涼芽が学校を抜け出して海に行った日ね。あの子はもう入院していたのよ」

「入院していた・・・?」

お母さんの言葉の意味がすぐに理解できなかった。


「最近、身体の調子があまり良くないから病院に検査に行ったの。そうしたらその検査の結果が良くなくて、そのまま入院になってしまって」


そう言えば彼女と最後に教室で話をした日は様子がおかしかった。

もしかして病院で検査をする日だったのかもしれない。


「今度の入院がどれくらい長くなるか分からないってお医者様に言われてしまって、あの子すごく落ち込んじゃったの。だから春休みに入る前に一日だけ学校に行けるように外出許可をもらったのね」

「一日だけ・・・?」

「そう。次はいつ学校に行けるか分からないから、最後に一日だけ学校に行かせてくれって、あの子きかなくってね」


あの日はそんな貴重な一日だったんだ。

それなのに学校をサボって僕なんかと・・・・・。


僕の心は彼女に対する罪悪感と後悔でいっぱいになった。


お母さんは難しい顔をしたまま黙り込んだ。


しばらくしてウエイターがハーブティーを持ってきて僕の前に置いた。

お母さんはまだ黙ったままだ。

空気がどんどん重くなる。


僕はそのカップをゆっくりと口へと運んだ。

緊張のせいで喉が乾いていたせいだろうか、僕はそれを一気に飲みほした。


ハーブティーの熱さが喉に染みた。


「冴木君」

「はい?」


いきなり呼ばれてびっくりする。


「涼芽のこと、好き?」

「はい・・・・・」


「これからも涼芽とお付き合い続けてくれる?」

「え?」


お母さんはさらに想定外のことを言い出した。


「主人と相談したの。涼芽とあなたの交際をちゃんと認めてあげようって」


どうもお母さんはとんでもない勘違いをしているようだ。


「あの、すいません。僕と葵さん、付き合っているわけではないんですけど・・・・・」

「え?」


お母さんも僕のこの答えには想定外だったようで、びっくりした顔で僕を見つめた。


「どうして? だって君、さっき涼芽のこと好きだって言ってたじゃない?」

「言いました」

「じゃあ、どうして付き合ってないなんて無責任なこと言うの? まさか君、そんな顔して涼芽を弄んでるんじゃないでしょうね」

「あの、お母さん。ちょっと待って下さい」


お母さんの声がだんだんとヒートアップしてくる。

話が変な方向に進んできた。


「話によっては許さないわよ!」

 やっぱりお母さんは大きな誤解をしていた。


「僕、フラれたんです。葵さんに告白はしましたけど・・・」

僕は思わず大声で叫んだ。


「え?」


お母さん氷のように固まった。

まわりの人も何が起きたのかと一斉に僕たちを見ている。


「冴木君。もう少し小さな声でね・・・」

お母さんはバツが悪そうな顔でボソリと呟くように言った。


「すいません」

僕は小さく頷いた。


「じゃあ、あなたたちは付き合ってる訳ではないの?」

「はい・・・」


お母さんはかなり戸惑っていたが、僕も戸惑った。


「でも、それならどうして二人きりで海なんか行ったの?」

「そ、それは・・・」

 言葉に詰まった。


「それはきっと葵さんが僕のことを友達とも思ってないからだと思います」

「友達じゃないから?」


「葵さんにはっきり言われたんです。僕のことは友達じゃないって」

「冴木君。それって意味分かってる?」

「はい?」


 お母さんは呆れ顔で大きなため息をついた。


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