第23話 初めてのエスケープ(2)

「どうして謝るの? 別に変なこと言ってないし。それに謝るなら私のほうでしょ。」


僕は首を横に振った。


「会いたかった・・・葵さんに・・・」


彼女はびっくりしたような顔で僕を見た。


「へえ、嬉しいこと言ってくれるね」


「ずっと、葵さんにお礼が言いたかったんだ」

「お礼?」


「僕に勇気をくれたお礼だよ」

「どういう・・・意味?」


「ごめん。変な意味で言ってるわけじゃないんだ。葵さんに自分の気持ちを正直に伝えられてよかったと思ってる。フラられちゃったけど、僕、すごくすっきりした気分なんだ。本当だよ」


何か言葉を返して欲しかった。

でも、彼女は何も言わずにじっと僕を見つめている。


「何て言えばいいのかな。うまく言えないけど。僕、あの日に変われた気がするんだ。葵さんのおかげだよ」


彼女は俯いたまま、やはり黙っていた。

何か言ってよ。


「君は菜美ちゃんを大事にしてあげて・・・」


ようやく返してくれた言葉は、今の僕にはとても辛いものだった。

僕はゆっくり首を横に振った。


「麻生さんと付き合うことは止めたよ」


その僕の言葉に彼女の顔色が変わる。


「ちょっと待って。どういうこと?」

「葵さんにはフラれちゃったからって、次は麻生さん・・・っていう訳にはいかないでしょ。それは麻生さんに失礼だよ。それに、やっぱり僕はまだ葵さんのことが・・・」


すると、彼女の顔が強張った表情から困惑した表情に変わった。


「私、言ったよね。君とは付き合えないって」

「うん。聞いたよ」

「だったら・・・」


「あっ、ごめん。誤解しないでね。別に僕のことを好きになって欲しいってことじゃないから。僕が勝手に想っているだけ。僕はそれだけでいいんだ」

「それだけでいいって・・・」


彼女はさらに困惑した様子でそのまま俯いた。


しばらく沈黙の時が過ぎた。


そうか。僕は自分が一方的に想っているだけならいいと思っていた。

でも、どうやらそれだけでも彼女には迷惑だったようだ。


「ごめん、分かった。それも迷惑だったね」


僕はそう言って階段を降り始めた。

精一杯、自分の感情を抑え込んだ。

辛かったが仕方ないことだ。


「待って!」


 ――え?


「あのさ、二人で学校抜け出さない?」


彼女がぽつりと呟いた。

その言葉に僕の体は固まった。


「あの・・・今から?」


彼女は優しく微笑みながらゆっくりと頷いた。



気がつくと僕は彼女と一緒に駅の改札口にいた。


僕はここでふと現実に還る。


「ねえ、学校サボるのはやっぱりマズいんじゃない? 今からでも学校に戻ろうよ。まだ三時限目なら間に合うよ」


僕の中の“真面目”な小心者がひょっこりと顔を出し始めた

通常のレール”から外れそうになると、僕の体内にあるセンサーがアレルギーのように拒絶反応を起こすのだ。


「ふん、いいよ。もう分かった。真面目くんは学校に戻んなさい。私一人で行くから」


彼女はウジウジしている僕に呆れたようにそう言い残すと、そのまま改札口を抜けて行った。

自動改札の電子音の響きが『意気地なし!』と叫んでいるように聞こえた。

僕はしばらく動けなくなり、買い物客と数人の学生が僕の前を通り過ぎるのをぼーっと見ていた。相変わらずの真面目さと臆病さに自己嫌悪に陥いる。


 ――ええい!


そう心の中で叫んで慌てて彼女を追って改札口を抜ける。

自動改札の電子音の響きが、今度は『がんばれ!』と応援しているように聞こえた。


この時の僕は何も考えていなかった。

いや、考えることを止めた。


学校も成績も内申書も、もう関係ない。


階段を駆け上がりプラットホームへ出る。

あたりを見回し彼女を捜す。

ホームの前のほうに立っていた彼女を見つけるとほぼ同時に彼女も僕に気づいた。


「来て・・・・くれたんだ・・・・」


彼女は驚いた顔をしたあと、優しく微笑んだ。


電車がゆっくりとホームに入ってくる。

目の前のホームドアが開くと、電車に中から数人の乗客が降りてきた。


降りる乗客がいなくなったあと、ホームで待っていた人が電車に乗り始める。

しかしなぜか彼女は動かなかった。


「どうしたの?」


彼女は下に俯いたまま黙っていた。


「やっぱり・・・戻ろうか?」


彼女がぽつりと呟いた。


「え?」


彼女らしくない弱々しいその声に僕は一瞬、息が止まった。


発車のチャイム音がホーム内に響く。


彼女はがっかりしたように俯いていた。


彼女は何かに迷っているように見えた。

でもそれが何かは分からない。


シュッとした圧縮空気の音と共にドアが閉まり始める。

その瞬間だった。

僕はその音に対し、百メートル走のスタートホイッスルのように反応した。


僕の右手は彼女の左手をしっかりと掴み、次の瞬間ドアの内側へと飛び込んだ。

ガッチャっとドアの閉じた音が自分の後ろで響くのが聞こえた。


あ? 乗っちゃった!


電車はガタンという大きな音と同時にゆっくりと動き始める。

モーターの回転音が徐々に高くなってスピードが上がっていくのが分かった。


彼女はびっくりした顔をしていたが、

それ以上のびっくりしていたのは僕自身だ。


僕の右手は彼女の左手をまだしっかりと包み込んでいた。


男声のアナウンスが車内に流れる。


『発車間際の駆け込み乗車は、まことに危険ですのでご遠慮願います』


「ダメじゃん。怒られてるよ」


彼女はそう言いながら僕を横目で見た。


僕らは黙ったまましばらく顔を見合わせた。


僕は思わずプッとふき出したあと、堪え切れず笑い出してしまった。

でも彼女は笑わずに、そんな僕の顔をじっと見つめていた。


「えっ? 何?」

「冴木くん、初めて私の前で笑ってくれたね」


「え? そうだっけ?」

「そうだよ」


そんなこと僕は全然意識したことはなかった。

そんなに僕って笑わないんだ。


「そうだった? ごめんね」

「だから謝んなくていいって」


彼女もようやく笑い出した。


「どこ行く?」


僕は笑いながら問いかけた。


「んー、海!」


彼女は上を向きながら叫んだ。


「え?」

「海、見たいなあ」


「海?」

「そう、海!」


「海か・・・・いいね!」


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