第22話 初めてのエスケープ(1)

翌日の金曜日。

久しぶりに真っ青な快晴の空に太陽が眩しく輝いていた。


僕の気分とは正反対の天気だった。

明日は終業式だから二年生の正規の授業は今日の午前中が最後になる。


葵さん、どうしてるのかな・・・・・。

気がつくと彼女のことを考えていた。


もう忘れないといけない。

でも、そう思えば思うほど余計に彼女のことが思い浮かぶ。


今日の二時限目の授業は数学だった。

しかし、担当の先生がなかなか来る気配が無い。


授業開始のチャイムから五分ほどたったころ、なぜか学年主任の先生が教室に入ってきた。

数学の先生が急用により授業に来れなくなったため自習となるとの説明がされた。


教室内は決勝ゴールが決まったかのように歓声が上がった。

自習といっても、それは休み時間のようなものだったからだ。

生徒はみんなグループで雑談やゲームを始めた。


僕は広げていた数学の教科書をしばらく眺めていた。

何か心の中が騒いだ。教科書を閉じて立ち上がる。

そして何かに導かれるように僕はそのまま教室の出口へと向かった。


僕は何も考えずに廊下を歩いていた。

どこへ行くんだ?


自習とはいえ勝手に教室を出てはいけない。

僕の真面目心が教室へ戻れと叫ぶ。

でも身体は言うことを聞かなかった。


気がつくと僕は屋上に来ていた。

いつにも増した真っ青な空が広がっていた。

眩しい日差しが教室を抜け出した罪悪感を消し去る。


僕は葵さんが屋上ここにいるような気がした。

でも全く根拠は無かった。


息を切らしながらペントハウスの階段を昇る。

給水塔の扉の前で立ち止まる。


そうだ。もうここは鍵が掛けられて入れなかったんだ。

人気ひとけのない給水塔のまわりをゆっくりと見回した。


やっぱり誰もいなかった。

そりゃそうだ。いるわけない。

大体、彼女は学校を休んでいるんだった。


勝手に想いに酔いしれていた自分の滑稽さに思いっきり苦笑した。


鍵のかかった扉に足を掛けて飛び越えて中に入る。

ちょっと罪悪感があったが、それが微妙に心地よかった。


やっぱりここからの景色は格別だ。

街道沿いの桜並木が薄いピンク色に染り始めていた。


ああ、なんか青春してるって感じだ・・・なんて自己陶酔している自分に呆れる。


景色はすっかり春になっていたが、風はまだ冷たく感じた。

気がつくと、葵さんの笑顔が頭に浮かんでいた。まだ忘れられないらしい。女々しいやつだな、僕は。


「あれえ? マジメくんだ」


――え?


給水塔の下から聞こえてくる声が僕の心に突き刺さる。


ずっと彼女のことを考えていたから幻聴が聞こえたのだろうか。

思わず階段の下に目を向ける。


そこには後ろ手を組みながら僕のほうを見上げる葵さんが立っていた。



「葵さん・・・どうして?」


僕はにわかに信じられなかった。


「何、幽霊見るような顔してんの? マジメくんが授業サボっていいのかな?」

「ち、違うよ。僕のクラス、二時限目が急に自習になったんだ」

「ふーん」


「あの、葵さんは・・・サボり?」

「違うよ。そっちこそ不良扱いしないでよね。うちのクラスもニ時限目が自習になったの。今日天気がすっごくいいからさー、思わず空が見たくなって教室抜け出して来ちゃった」


あとで分かったことだが、この日は二年生の学年担当全員に一斉召集がかかり、緊急会議が実施されていた。

つまり彼女のクラスと僕のクラスが同時に自習となったのは特に偶然ではなかったのだ。


彼女がゆっくりとペントハウスの外階段を昇ってくる。


「あれ、ここ鍵かかっちゃったんだね」


彼女はよっと声を出すと入口の扉に足を掛けた。


「ちょっと、危ないよ!」


扉の上をさっと飛び越え着地した瞬間、彼女のスカートがふわっとまくれ上がる。


「あ、エッチ!」


彼女はスカートの裾をあわてて抑えながら僕を上目で睨んだ。


「いや、僕は何も・・・」


慌てて弁解しながら顔が熱くなる。

真っ赤になっているのが自分でも分かった。


彼女は中に入るとそのまま僕の横にさりげなく並んだ。

ちょっぴり強めの春の風が二人の体の間をすり抜ける。


僕たちはお互い黙ったまま、しばらく外を眺めていた。


フラれたばかりの女の子が横にいるのは変な気持ちだった。


でも、彼女に会いたかった。話をしたかった。

なのに言葉が出ない。


どうしてだろう?

言いたいことがたくさんあったはずなのに。


「あのさ・・・」


ようやく僕は心の奥につかえていた声を絞り出した。


「うん?」


「しばらく学校休んでたよね?」

「あ、知ってたんだ」


彼女は惚けた感じでずっと遠くを見続けている。


「美術の時間もいなかったし。風邪か何か?」

「うーん。ちょっとね・・・」


何か誤魔化すように笑った。

その笑顔ではいつもの彼女のものではなかった。


どうしたんだよ? 

何を考えているのか分からない。


そんな彼女をじっと見つめていると、その僕の視線に彼女が気づいた。


「なあに?」

「え?」


僕ははっと我に還る。


「さっきから私の顔じっと見てる・・・」

「あ、いや。この前はごめんね。変なこと言って」


僕は慌てて目を下に逸らした。

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