第15話 初めての彼女の部屋(4)
「あのさ、冴木くんは・・・・・今のままでいいと思うよ」
「え? どういう意味?」
「君らしい君がいいってことだよ」
そんなこと言われたのは初めてだったので僕は戸惑った。
「僕らしい僕って、どういうこと?」
「無理して変わらなくてもいいってことだよ」
どうしてそんなことを言うのだろうか?
この前は僕に変わらなきゃダメだって言っていた。
僕自身も変わりたいと思っていた。
「冴木くんってさ、もしかして
その通りだ。確かに僕は積極的なタイプの人たちとの間に壁を感じていた。
これがコンプレックスというものなんだと思う。
「分かるよ。なんか見えない高い壁があるって感覚だよね。私もずっと感じてたからすごく分かる」
彼女の意外な言葉に僕は戸惑った。
彼女はそういったコンプレックスとは無縁だと思っていたから。
「でもね、他人との間に感じる壁って、大体その人自身が作ったものなんだって。つまりその壁は自分自身で壊せるってこと」
その言葉は僕の心にグサっと刺さった。
確かにその通りかもしれない。
でも、今の僕にはその壁を壊す勇気がない。
「あのさ、もしかして私にもその壁って感じてるのかな?」
心を見透かされた感じがした。
「どうしてそんなこと訊くの?」
「だって、さっきから私の目を全然見てくれないんだもん」
また彼女の言葉がグサリと刺さった。
そうなのだ。僕は子供の時から人と話す時、その人の顔や目を見るのが苦手だった。
これは親からも先生からもずっと言われていたことだ。人と話す時は人の目を見ろと。
「ごめん」
僕はすかさず謝まった。
そりゃ目を見るのを避けられたら、いい気分はしない。
相手に失礼なことだってことも分かっていた。
でも、僕はできなかった。
「あの、違うよ。別に責めてるわけじゃないよ。いや、もしかして私って嫌われてるのかなって思って。うるさくてウザいヤツとか・・・・・」
「そ、そんなことないよ。ごめん。嫌な気分にさせちゃったよね」
そうなんだ。そうやって
でも、それは仕方がないことだと割り切っていた。
「あのさ、なぜ君が人の目を見られないか、当てようか?」
彼女は得意げに僕の顔を見た。
ちょっと怖い感じがしたけど興味はあった。
「どうして?」
「恥ずかしいんだよね。人の目を見つめるのが」
驚いた。その通りだった。
そうなんだ。僕は決して人の目を見たくない訳じゃない。
顔を見たくないわけでもない。
僕は人の目を見ると、とたんに恥ずかしくなって目を逸らしてしまうのだ。
「どうして分かるの?」
「フフ。君だから言うけどさ、実は私も同じなんだ」
「え?」
「私も子供の時から恥ずかしくて人の目を見られないんだ」
彼女はそう言いながら恥ずかしそうに膝元に視線を落とした。
「嘘でしょ? 葵さんは全然そんなふうに見えないよ」
「この前、渋谷のカフェに行った時のこと、憶えてる?」
「うん。テーブルじゃなくてカウンター席に座ったよね」
「あれは恋愛テクニックなんかじゃないの。テーブル席で向かい合うと顔を見合わせちゃうよね。私、あれ恥ずかしくてダメなんだ」
「でも、全然そんなふうには見えないよ」
「そうでしょ? こう見えて頑張ってるんだよ。昔はよく『なんで人の目を見ないの?』とかよく怒られたし」
彼女の意外な一面が見えた。
いつの間にか彼女との間にあったと感じていた壁が無くなっていた。
「僕もあるよ。話している人の目を懸命に見ようと頑張るんだけど、相手から見つめられると、すぐ恥ずかしくなって目を逸らしちゃうんだよね」
「私はいつも目を逸らすな~逸らすな~って念じながら相手の顔見てるんだ。気分はほとんど自己催眠術か睨めっこみたいにね」
彼女はそう言いながらケラケラと大きな声で笑った。
「ちなみに知ってる? “睨めっこ”って、本来は“笑ったら負け”ではなくて“目を逸らしたほうが負け”っていうルールだったらしいよ」
「そうなの? 何か、不良のガンの付け合いみたいだね」
「元々は内気な人が多い日本人が他人に慣れるための訓練だったらしいよ」
「へえ・・・君っていろんなこと知ってるんだね」
彼女は感心しながらクスッと笑った。
そんな彼女を見ながら僕は不思議な気分に包まれていた。
女の子と、いや、
「ねえ、私たちも訓練してみる?」
「訓練って、何をするの?」
「睨めっこだよ。人の目を見るのが苦手な者同士で」
突拍子もないことを突然言い出すのは彼女の性格なのだろうか。
「あの・・・葵さんとやるの?」
「誰か他にやりたい人がいるの?」
そう言いながら彼女はフライング気味に僕を睨み始めた。
「先に目を逸らしたほうが負けだよ。いくよ! せえの、はい!」
彼女はそう掛け声を掛けると僕に向かって睨み始めた。
睨めっこなんて何年ぶりだろうか。
記憶の限りでは女の子とするのは初めてだ。
彼女の目をじっと見つめる。
彼女も僕の目をじっと見つめていた。
無茶苦茶恥ずかしかった。
でも恥ずかしがっちゃダメなんだ。
これは訓練なんだ。そう思いながら僕はけっこう粘った。
僕は息を大きく吸って彼女を目を睨む。
すると、彼女は急に上目使いに色っぽい目をし始めた。
――え?
その艶姿に僕の恥ずかしさは途端に倍増し、思わず目を逸らした。
「やったあ! はい、君の負け!」
「今のは反則じゃないの?」
「女の子の正当な武器だよ」
彼女はドヤ顔でガッツポーズをした。
「冴木くん、菜美ちゃんのこと大切にしなよ」
意表を突いたその言葉は僕の心に突き刺さる。
心が苦しくなった。
「うん・・・・・」
僕はいい加減に生返事をした。
心の中がまたキュっと苦しくなった。
窓の外を見ると、空はかなり暗く染まり、道は街路灯の明かりでオレンジ色に染まっていた。
僕はそろそろ帰らないといけないと思い、その旨を彼女に伝えた。
彼女は、もう少しいいじゃないかと引き止めてくれたが、さすがにこれは社交辞令だろう。
玄関で靴を履いている時にちょうどお母さんが買い物から帰ってきた。
お母さんからも夕飯を一緒にと誘われたが、これも社交辞令だろう。僕は丁重にお断りした。
彼女の家からの帰り道、冷え込んだ空気の中で僕は不思議な気持ちで歩いていた。
彼女と過ごした僅かな時間は今までに経験したことのないものだった。
とても不思議だった。この気持はいったい何だろう。
最後に彼女に言われた言葉が僕の心の奥につかえていた。
『菜美ちゃんのこと、大切にしなよ』
この言葉がなぜか心を苦しめた。
どうしてか、その理由を自分自身に問いかけてみる。
もしかして僕は麻生さんのことが好きなのではないのかもしれない。
そもそも僕が麻生さんに声を掛けたのはペン子さんが麻生さんではないか、と考えたからだった。
それで友達になろうと思った。
最初は勇気が足りなくて失敗しちゃったけど、彼女が助け舟を出してくれたから告白ができたんだ。
――あれ?
この時、ひとつ疑問が浮かび上がった。
そういえば、どうして葵さんは僕の応援をしてくれてるのだろうか?
クラスが別である彼女とは元々は面識がない。
だから僕が応援される理由が見当たらない。
そしてさらに疑問がもうひとつあった。
どうしてあの日、あのタイミングで僕に声を掛けることができたのか?
まるで僕が麻生さんに声を掛けるのを知っていたようだった。
でもそんなことあるはずがない。
そのことは誰にも話してはいないし、話す相手もいない。
どちらもすぐに答えを見つけるのは難しそうだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます