第2話 失くしたハルノート(1)

本にしか興味を持てなかったこんな僕だが、最近気になる女子ができた。


その子はいつも僕が座っている場所と反対側にある柵の隅に座っていて、いつも文庫本を広げて読んでいた。


とても大人しそうで内気で真面目そうな女子生徒だ。


名前は麻生菜美あそうなみ

となりのA組の子だ。


僕はB組なのでクラスが違うが、特に名前を調べたわけではない。


僕の学校の芸術の授業は選択制になっていて、美術はA組と共同で受けることになっていた。

だから麻生さんとは美術の時間だけのクラスメイトだったのだ。


人の顔と名前を憶えるのが大の苦手な僕が、彼女の名前を憶えていたのはストレートの髪型が僕の好みだったからだろうか。


読書が好きそうなところにも親近感を抱いていた。


思い切って声を掛けてみようか・・・・・

そんなできもしないことをついつい考える。


そんなことができるのは小説の中の主人公だけだ。

現実の僕はそんなことできやしない。


横にいる男女四人のグループが笑いながら楽しそうに喋っている。


あんなふうに気軽に女の子と話せたらいいのにな・・・・・。

そんなことをボーっと考えながら、僕は麻生さんのことを知らず知らずにじっと見つめてしまっていた。


すると僕の視線に気づいたのだろうか、彼女が僕のほうに顔を向けた。


 ――まずい。


僕はすぐに視線を下に逸らした。

じっと顔を見て変なやつと思われただろうか。


僕は顔を上げられないまま固まった。


その時、昼休み終了の予鈴が校内に響いた。


ちょっとホッとしたあと、次の時間が体育の当番あることを思い出した。当番は早めに体育館に行って授業の準備をしなければならない。


慌ててペントハウスの階段を駆け下りる。

その逃げ出すような態度は余計に怪しく見えたのではないかと心配しながら教室に向かう。


階段の踊り場を曲がる時だった。僕は手に変な違和感を持った。


 ――あれ? 


持っていたはずのハルノートが手の中に無いことに気づいた。


しまった! 

どうやら屋上のペントハウスの上の置き忘れたらしい。


取りに戻ろうと思ったが、これから屋上まで行くとなると体育の準備にとても間に合わなくなる。

真面目な僕に授業を遅刻する度胸は持ち合わせていなかった。


仕方ない。体育の授業が終わったら取りに行こう。

僕は誰にも拾われないように祈りながら後ろ髪を引かれるように体育館へと向かった。



体育の授業が終わると、着替えを秒で済ませ屋上へと走り出す。

ペントハウスの階段を駆け上がり、給水塔の脇に目をやる。

そこで僕は愕然とする。置いてあったはずの場所にノートが無いのだ。


どうしよう。確かにここに置いたはずなのに。もしかして誰かが持っていってしまった?

僕の頭からサアッと血の気が流れ落ちる。あのノートには僕のつたない書きかけの小説がいっぱい書かれている。字は下手くそだし内容ストーリーもひいき目に見ても幼稚なものだ。とても他人ひとに見せられるようなものではないのだ。


でもハルノートには幸い名前を書いていなかった。

たとえ誰かに拾われたとしても黙っていれば僕のものだということは分からないだろう。

このまま放っておけばいいんだ。


いや、あのノートには今まで書いた小説の原案がいっぱい詰まっている、言わば僕の宝物だ。

このまま失くすわけにはいかない。


誰かが拾ってくれたとなれば用務室に届いているかも。

そう思い、放課後にこっそり用務室を訪ねることにした。

しかし用務室に向かう僕の足取りは重かった。


理由はノートではない。

用務室の受付窓口で中に向かって呼びかける。自分でも情けなくなるような小さな声しか出なかった。

すると奥のほうから事務のおばさんがめんどくさそうな顔をしながら出てきた。

そう、僕はこの事務のおばさんが大の苦手だった。

何を食べればこんなに大きくなるのだろうと思うくらいのデカイ図体をしていた。


この用務室のおばさんは生徒の間でアースラと呼ばれていた。

アースラとは童話に出てくる海の魔女の名前だ。僕はアースラのただ立っているだけで漂ってくる圧迫感にいつも圧倒されていた。


「はい、何かしら」

アースラはその声までも威圧的がある。


「あの・・・・・すいません。落し物をしたのですけど・・・・・」

「ああ、落し物ね。何を落としたの?」

「あの・・・・・」


アースラの威圧的な姿にすっかり萎縮してしまった僕は言葉に詰まる。

「はい?」

「・・・・ト」

懸命に声を絞り出そうとするが言葉にならない。


「はいいい?」

アースラの目がギョロっと鋭くなり僕を睨む。

「あのね、君、男の子でしょ! もっとはっきりしなさい!」

男の子だから―というのは男女差別的発言になるのではないだろうか。


「ノート・・・・です」

「ノート? 何のノート?」

「何の? あの・・・・・言わないといけないんですか?」

「言えないことが書いてあるノートなの?」

アースラの顔が意地悪い魔女に見えてきた。


「あ・・・・・あの・・・・・」

自分で書いた小説だなんてとても言えない。

「イライラするわね。はっきり言いなさい!」


「あの・・・・・そのノートの表紙にはアルファベットでHARUハルって書いてあるんですけど、それではダメですか?」

「ハルう?」


アースラはちょっと怪訝そうな顔をしながら奥の棚へ向かった。

そのガラス扉をガラガラと乱暴な音を立てながら開けた。


「これ・・・・・かしら?」

そう言いながら見覚えのある使い古されたノートを持ってきた。

間違いなくそれは僕のハルノートだった。


僕はそれを見たとたん、どっと胸を撫で下ろした。

ああ、よかった! 


「はい! これです」

大きく安堵しながら差し出されたノートに手を伸ばすと、アースラはそれをサッと後ろへ引いた。

え? 何?


「一応、本人確認をするので、このノートの中に何が書いてあるか言ってくれる?」

アースラが黒服を身にまとった極悪の魔女に変わった。







  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る