歯車とドラゴン

春野訪花

歯車とドラゴン

 カチコチと回転する歯車を前に、私は鼻歌を歌った。その中でハンマーをくるくると回転させ、リズミカルに金色に輝く歯車を叩いていく。キーンと震えるような高音が響いて、歯車が響かせる音に変化が生まれる。ごく僅かな差だ。「職人」でなければ気づけないほどの。もしくは耳が良ければ分かるのかもしれない。私はその両方だ。

 鼻歌のテンポに合わせて、歯車を叩けば、歯車の輝きが増していく。しっかりと魔力が充満している証だ。

「ラスト!」

 最後の一叩き。一際大きく、高音が響き渡る。そして、歯車は生まれ変わったかのように強く輝いた。

「よしっ」

 ぴょんと飛ぶように立ち上がって、腰のベルトにハンマーを戻した。新品のような歯車を見て、私は満足して頷いた。

「今日も完璧っ!」

 私は再びしゃがみ込んで、作業場にしていたハシゴから飛び降りた。トン、と着地をして改めて振り返って出来栄えを確認する。

 巨大な歯車を中心に、大小様々な歯車が噛み合わさって回り続けている。その歯車は巨大な水晶を囲んでいる。魔力のこもった水晶だ。それを特殊な歯車によってエネルギーを抽出し、飛行エネルギーに変換している。この飛行船を飛ばすために。いわばこれは、飛行船の心臓部。私はその心臓部を調節するための職人というわけだ。

 ぐるりと見渡して、元気に輝くそれを見て、むふふと笑う。

 そして、足元に置いておいた荷物が入った袋を担いで、私は一時間ほど前に通った出入り口へと向かった。

 後数時間後にはこの飛行船は飛び立つ。飛行船は魔力水晶にとにかくお金がかかっているので、乗車賃もかなりのお値段だ。私のポケットマネーで払おうなんて、どんなに頼まれたとしても土下座して勘弁してもらいたいくらい。でもこうして整備士として乗車できるのだからかなりラッキーだ。

 調節は一時間に一回。飛行時間は半日。出発前も入れれば、ほぼ丸一日だ。これで食事もついて、給料も出る。最高だ。ましてやあんなに高性能な歯車に触れるのもレア。

「ずっとここにいたい……」

 無理かなー。ダメかなー。喜んで専属になっちゃうんだけどなー。

 飛行船の中は、金持ちが使うこともあってかかなり豪華な作りになっている。見るからに高そうなシャンデリアや、絨毯。手すりだって宝石がはめ込まれているし、飾られた壺や絵も豪華豪華。食堂だって、客室だって、下っ端の乗務員室でさえも細かく細工がされている。あれだけ強力かつ巨大な歯車を組むだけある。

 船内はまだ客は乗り込んできておらず、乗務員が準備のために駆けずり回っている。一足先に仕事を終えた私だけが悠々とのんびりしている状態だ。

 船長には基本的に自由にしていていいと言われている。せっかくだから探索しちゃおうかな。

 吹き抜けになっているメインホールの階段を下る。その階段の手すりに歯車が回転していた。つま先で歯車を突いてキンキンという音を聞く。口元をクニャクニャに緩めながら階段を降りきって、廊下の奥へと進んだ。

 客室が並ぶ廊下を抜け、また階段を下り、ウロウロしているとどんどん人気のないところへと進んでいた。薄暗いそこは、色々なものが置いてあった。食材や魔力水晶なども。貿易のための物品もあった。触らないようにしながらも、一つ一つ見ていく。見たこともないような歯車を見た時には興奮して触りそうになったけど堪えた。偉い。

 物置のそこはかなり広かった。倉庫くらいの広さがある。

 しばらくウロウロして、やっぱりまた歯車見に行こうと歩いていた時。

 ――キィィィィ……。

 金属を引っ掻くような音に、私は耳を塞いだ。不快な音だ。さっきの歯車の澄んだ音とは全然違う。

「……何……?」

 ――キィィィィ……。

 再び聞こえてきた音へと歩を進めた。

 ほぼ一定の感覚でその音は聞こえてきていた。

 高い箱から顔を覗かせる。そこにいた存在に、私は目を見開いた。

 そこにいたのは檻に入れられたドラゴンだった。人前にはめったに姿を表さない、知能の高いモンスターだ。人の言葉を理解すると言われ、かなり難しいが手懐けることも可能な生き物だ。

 厳かな雰囲気を放つドラゴンを神聖視して手懐けようとする人が多くて、売買される時にはかなりの値段になるらしい。法律上禁止されている訳ではない。だけどドラゴンは人の敵意に敏感で、警戒心の強い生き物。そんな生き物を無理やり商品にすることに人間としての正しさがあるのかどうかとざわついている。私も嫌がるドラゴンを商品にすると聞いて不快になったことがある。

 だけど今は、その時以上の不快感と嫌悪感に顔をしかめた。

 ドラゴンの首の周りを歯車が回転していた。それは緩やかに回転していて、時折「キィィン」と音を鳴らしている。

 鳴き声だ。

 ドラゴンの声を封じるための歯車は、ドラゴンの奥深くまで繋がっているのだ。だからドラゴンが鳴こうとした時に音を鳴らしている。もしくは、ドラゴンの感情に反応して――。

 私は即座にその場から飛び出して、檻へと駆け寄った。

 私の何倍もの大きさのその子は、たぶんまだ子どもだ。本物をこんなに近くで見たのは初めてだけど、遠目でなら大人のドラゴンを見たことがある。尻尾にかろうじて腕を回せるかくらいの大きさだけど、あの時見たドラゴンより小さい。

 ドラゴンは歯車と同じ金色の瞳で私を見下ろした。その瞳が潤んで見えた。

 私は檻の隙間から腕を伸ばす。

「しゃがんで……!」

 このままじゃ歯車に届かない。

 ドラゴンはじっと私を見つめてくるだけで、動こうとしない。キィィンと鳴ったそれが、悲鳴に聞こえた。

「大丈夫! 少し緩めてあげるだけだから!」

 ドラゴンは動かない。ただ歯車からの音が止んだ。

 言葉は理解しているみたいだ。

「私が言ってること分かるの? スゴイ!」

 ドラゴンがゆるりと尻尾を振った。

 やっぱりどうにかしてあげたい。

 檻の隙間へと体を押し込む。ドラゴンはこんなに大きいのに、どうして隙間はこんなに狭いの! ここまで狭くする必要ないでしょ!

「うぐぐ……」

 唸って格闘してみたけど、ハマって動けなくなりそうで諦めた。ドラゴンの様子は変わらない。

「どうしよう……」

 歯車を叩けない限り、調節するのは無理だ。外すのは、深く結びついてしまっている以上難しい。けど緩めるくらいならできそうなのに。

 初対面の私にしゃがめとかなんだとか言われても、素直に言うことを聞きたくないようなことをされたのかもしれない。

 そうだ、と私は持っていた袋を開ける。そして中からクッキーを取り出した。ドラゴンからしたら自分の爪よりも小さいけど。

「お腹空いてない?」

 私は檻の中に手を入れて、クッキーを手のひらに乗せて見せる。ドラゴンは小首を傾げて、こちらをじっと見ていた。

「奮発して高いやつ買ったのよ」

 ここに勤務することが決まって、乗船する時にテンションが上がりに上がって買ったものだ。こんなことをするような連中が乗っていると分かっていたら、その場で船長やら採用だと言ってきた連中を殴っていたと思う。今からでも殴りたい。

 やがてドラゴンがこちらへと頭を下げてきた。おっ!とそのまま驚かせないようにじっとする。

 その時、

「――自由にしていいとは言いましたが、むやみにエサを与えないで欲しいですね」

 と冷静な声が聞こえてきた。

 聞き覚えのある声だった。

「……船長」

 私は振り返る。物陰から姿を表したのは、三十代の若い男だ。メガネを掛けて、人の良さそうな笑みを浮かべている。初めて見た時は、どこか知的で大人びた人だなと思ったけど、今は最低な男にしか思えない。船長の彼が、この事を知らないはずがない。

 船長は他に二人の男を連れていた。その二人はその手に歯車が組み込まれた銃を握っている。その銃口は明らかに私に向いていた。

 ドラゴンの歯車から、「キィィィ……」と音がする。初めに聞いた音。ドラゴンは体を縮こませて、なるべく船長達から離れようとしていた。

「あんた、こんなことしていいと思ってるの……?」

「あなたこそ、そんなことをしていいと思ってるんですか?」

 微笑む船長はゆったりと何も持っていない両手を組んだ。その両脇で、二人の男が銃を構え直した。

「別に仕事がなくなるくらい。あの歯車の整備ができないくらい……べっつに、いいしっ」

 脳裏をちらつく、最高な歯車を追い払いながら答えた。

 船長はくくっと喉を鳴らした。未練たらたらな様子に笑ったのかと、私はムッとした。

「仕事? こんな状態で――」男は左右の銃を見た。「仕事ですか?」

「……私を殺す気?」

 銃に組み込まれた歯車が発する音は、確かにいつでも撃てる状態だ。

「面倒事は嫌いなので」

 男は微笑みを崩さない。

 私は口元を引きつらせた。

 人一人を殺す方が面倒だと思うんだけど……!? ていうか、フライト前に整備士を殺したら、新しい整備士を探さないといけない。すぐに見つかるわけがないから、今回の出発は延期になる。その方が面倒じゃ……!?

 でも男の顔は本気だったし、歯車の音も本当だ。

 どうしよう。

 冷や汗が背中を伝い落ちた。

 その時。

 キィィィィィィイイィイィイィイイイィィィィ――!!

 空間を切り裂くような高音が響き渡った。

「うあっ!?」

 船長や男達が、耳を抑えてその場にうずくまる。私も耳を塞いでその場に崩れ落ちた。脳みそを揺さぶるような音だ。

 音が響き渡る中、私の頭に何か触れた。ギュッと閉じていた目を開けて見上げると、ドラゴンが私に顔を寄せていた。尻尾の先がペチペチと私の足に触れている。

「助けて、くれたの……?」

 ドラゴンはひたすら音を鳴らしている。輝く歯車のような瞳が、静かに私を見つめていた。

「……っ!」

 私はハンマーを取り出して、ドラゴンの首元を戒める金色に振り下ろした。

 その瞬間、鈴のような澄み渡った音が、甲高い音を打ち消した。

 静かになったけど、船長や男達、それに私も立ち上がることはできなかった。

 ドラゴンの首の歯車は、コチコチと規則的な音を鳴らしている。調節がうまくいったみたいだ。

 職業柄耳がいい私は起き上がれなかったけど、船長や男達は先に回復したらしい。ヨロヨロと三人揃って立ち上がった。銃が再び構えられた。

 キィィ!

 鋭い音が響いて、男達が怯む。その隙きに、ドラゴンは檻へと体当たりし始めた。私はハッとして近くの箱へと駆け寄った。そこから歯車と魔力水晶を取り出して、未だに体当たりを続けるドラゴンの元へと戻った。

「離れてて!」

 歯車を水晶に取り付け、檻のそばに置いた。カチコチと歯車が鳴る。

 船長が慌てて声を上げている。それを牽制するように、ドラゴンが鳴いた。

 数秒後、魔力が熱エネルギーに変換され、檻の柵を溶かしていった。私は余裕で通れるくらいの幅ができたけど、ドラゴンはどうだろう。

「通れそう?」

 ドラゴンは隙間から体を出した。熱を持っていた檻によって、鱗が少し傷んでいる。でも頑丈な鱗だ。皮膚までは届いていないだろう。

「行って!」

 私はドラゴンへ促した。

 まだ飛んでいないし、まだどこか開いているはず。

 するとドラゴンは私の服を咥えて持ち上げた。

「うわっ!?」

 そしてそのまま翼をはためかせて、飛んだ。足が宙に浮く。あっという間に、落ちたら死ぬくらいの高さに持ち上げられた。

「きゃあぁ!?」

 ――キィーン。

 軽やかな声で鳴いたドラゴンは、そのまま私を連れて進み始めた。下で船長達が騒いでいる様子だったけど、羽音で聞こえなかったし、何より吊り上げられた恐怖でそれどころじゃない。

 狭い船内を、ドラゴンは飛ぶ。狭いと言っても、高級な飛行船。人間には必要ないくらい広いおかげで、どこにも引っかかることなくドラゴンは飛んだ。時折乗務員とすれ違って騒ぎを起こしながら、ドラゴンはやがて、開け放たれた広いドアから外へと抜け出た。

 地上に繋ぎ止められている飛行船から、上空へと飛び立つ。

 飛行船も、近くの街も、全てが豆粒くらい小さい。

「ひぇえ……」

 ドラゴンの顔にしがみついた。

 キィ!

 聞こえてくる声は楽しげだ。外に出られて嬉しいのかもしれない。それか私が怖がっているのを見て楽しんでいるのかもしれない?

「お、下ろしてぇ……!」

 ドラゴンはゆったりと空を飛んだ。楽しげに鳴きながら。その音は心地いいものだった。

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