ep.09 あの日のこと、これまでのこと
「で、まぁ、なんやかんやでデートすることになったの」
病室から出た俺は恋鐘に連れられた休憩室で、昨日起こった2人のやり取りを聞いていた。
どうやら恋鐘は――胸の内を吐露するという意味の――告白の機会としてデートの時間を設けたらしく、まぁつまりは恋鐘が俺達にやったことと同じことを提案したという感じらしい。恋鐘の推測によると。
蛙の子は蛙と言う。教えられた側は教えた側と同じ発想になるのだろう。いや鹿苑は恋鐘の子供じゃないが。
「まったく酷い話だよね。強引すぎるよ」
「鏡でも持ってきてやろうか?」
初手壁ドンに比べたら可愛いもんだろ。
軽く睨みつけてやると恋鐘は顔を反らして押し黙る。強引だって分かってたんだなお前な。
「指摘されて都合が悪いなら最初からするなっての。やるからには自信を持てることやれって」
「だって、それは、その、あれだし」
「あれってなんだよ」
「ゔ~~~~」
恋鐘はそう唸り声をあげると、頭を抱えて机の上に突っ伏した。なんだなんだ一体どうした。
しばらくそんな感じで悩ましげに唸っていると、小動物染みた様子でぴょこと顔だけ上げる。
それから拗ねた声色でこう言った。
「だって、そうじゃなきゃ2人を恋人に出来なかったし」
「…………それはそうって言いたいけど、今振り返れば結局壁ドンしなかったよな」
「それは和治君が悪い。意気地なし」
「いや、鹿苑相手に壁ドンは不味いって考えが普通だろ。鹿苑が俺のことを好きで居てくれることなんて知らなかったし」
「今の鹿苑ちゃんには?」
「やって欲しいって言われたらやるが、突然はやらない」
即答してやると、恋鐘は「いいなー」とぼやく。
俺は問う。
「いいものなのか?」
「あったり前じゃんっ! 少女漫画に憧れる全ての女の子の憧れだよ!!」
鹿苑が拳を握って、いきり立つ。そういえば少女漫画好きだったな。確か恋愛相談を持ち掛けた時も少女漫画読んでたか。どんな内容だったかはもう忘れたが。
「王子様系イケメンが強引に迫って来るの最高じゃない? 男の子的には美女が突然迫って来る感じかな?」
「怖さの方が勝るぜ、それ」
何の脈絡もなく美女がやってきたら裏になにかあると考える。分かりやすく言えば怪しい壺を売りつけられたり、怪しい宗教勧誘だったりだ。ただただ不気味で仕方がない。
恋鐘は唇を尖らせると、「浪漫がなーい」なんてぼやく。冗談じゃない。浪漫なんてフィクションだけで十分だ。
とんでも転校生なんてフィクションだけで十分だったんだ。
「なぁ、恋鐘」
「ん」
「そろそろ話さないか、本題」
「……うん」
恋鐘が体を起こし、瞳を伏せた。
「それが今日の目的、だもんね」
「あぁ」
「きちんと話さないと2人が気兼ねなくいちゃいちゃ出来ないもんね」
「う……うん?」
いちゃいちゃ?
「待て、なんだか話がずれてないか。いちゃいちゃって」
耳を疑う言葉をなんとか聞き入れて、俺は恋鐘に問う。けれども恋鐘は首を横に振った。
「いちゃいちゃが大事なんだよ。それこそが私の目的だったの」
ねぇ、と恋鐘は言葉を区切った。それから諦めと呆れが入り混じったような微笑みを浮かべて、言った。
「私ね、和治君に幸せになって欲しかったんだよ」
俺に、幸せに?
恋鐘は小さく息を吐く。
「鹿苑ちゃんから聞いた。私と初めて会った時のことを話したんだって?」
「あぁ、そりゃあな」
「酷い彼氏だよ。今カノの出会いは忘れて、元カノの出会いは覚えてるなんて」
ぬぐっ。痛いところを突いてくる。全くもって否定できない。
俺が居心地を悪くしていると、恋鐘は少し悪戯笑って、
「でも、私は嬉しかった。きちんと覚えていてくれて」
「……まぁ忘れられるわけないからな」
良い意味でも、悪い意味でも。叶わなかった初恋の記憶はそう簡単に忘れられはしなかった。
苦々しさを感じる俺とは対照的に恋鐘は晴れやかな表情で続ける。
「私はさ、あの時声を掛けてくれて、一緒に遊んでくれた和治君が王子様に見えたんだよ」
「王子様……? 俺がか?」
何の冗談だよ、それは。柄じゃなさすぎるだろ。
呆れる俺に恋鐘はやや頬を上気させる。
「物語の王子様っていうのはお姫様を知らない世界に連れ出してくれる存在なの。だからいつもひとりぼっちだった私を2人の世界に連れて行ってくれた和治君は私にとって王子様だったんだよ」
胸が温かくなるような声色で恋鐘はそんなことをのたまった。
王子様というとアメリカのアニメとかに出てくるキャラクター像が思い浮かぶ。お姫様をキスで救ったり、窮地を救ったりするあれだ。
「どっちかって言うと特撮ヒーローじゃないか、俺は」
「鹿苑ちゃんとの出会いの話? 確かにね。困っている時に助けてくれるヒーローこそが和治君に近いイメージ像なのかもしれない。でもさ、主観と客観は違うでしょ?」
確かにそうだ。他人の評価を自分がどうにか出来るものではない。他人がどう思ってるかなんて自分には分からないし、自分が他人をどう思ってるかも他人には分からない。
恋鐘は話を戻す。
「和治君と出会ってから、すっごく楽しかったよ。知らない遊びや知らない場所、色んなことを教えて貰って、笑えるようになっていった」
恋鐘が笑顔を見せるようになったのは俺も印象深い。というより好きになった理由だから忘れられるはずもない。
「1つ疑問があるんだが、どうして近くの学校にいなかったお前がなんであの公園に居たんだ? 近くの公園だったら1人にならなかったろうに」
恋鐘が俺が通っていた小学校にいなかったことは確認済み。つまり恋鐘はここらで生まれ育った人間というわけじゃないのだ。だったらわざわざ遠い公園に遊びに来る道理はないだろう。
恋鐘は俺の疑問にこう答える。
「それはさ。私の居場所が学校になかったからなんだよ」
「……不登校ってことか?」
「正確には通えなかったかな」
「…………つまり病気が理由ってことだよな」
恋鐘は古ぼけた憂いと共に頷いた。
「和治君と出会う数ヶ月前に私の病気は発覚したんだよ。潮の満ち引きみたいに病状の軽重が定期的に入れ替わる病気。珍しい病気で治療は難しいみたい」
「……ふわっとしてるな」
「ほんとだよね。ありがちな小説の設定だよこれじゃ」
力なく恋鐘は笑う。その諦めたような微笑みに、俺は気休めは言えなかった。
「……何にも言わないんだね」
「慰めなんて意味がないだろ。ずっとそう言うことを言われ続けた恋鐘にとっては」
どんな言葉をかけたところで恋鐘の実情が変わるわけでなし、言ったところで言われ慣れた恋鐘にとっては虚しさばかりが増すだけだろう。
恋鐘はそんな俺の考えを認めた上で、「シビアだよね、そう言うところ」と呟いた。
「もっと優しい言葉をかけてくれると思ってたのに」
「上っ面な言葉でキューが納得出来るなら、いくらでもかけるが」
「いいよ。そっちの方が気分が悪いから」
恋鐘が雑に手を振り、断った。恋鐘の中で、病気のことはある程度折り合いがついていると、そう言うことだろう。余人の踏み込みはいらないし、軽々しく立ち入ってはいけない領域の話だとそう言う風に言っているのだ。
「私があの公園にいたのもそういう理由。和治君に会ったのは私が初めて発症してしばらく学校を休んだ後のことで、だから事情が事情なだけに学校に居るのが気まずくて、学校の友達とも疎遠になっちゃって、誰も私を知らない場所に居たかったの。和治君に私のことを何も教えなかったのは、病気のことを知られたらまた気まずい思いをするんじゃないかて思って言えなかったから」
恋鐘は逃避先としてあの公園を選んだというわけか。今までいた場所の居心地が悪くなって、新しい場所へと逃げてきた恋鐘は自分自身を孤独から救ってくれる俺に出会った。確かに、まるで窮地に立つお姫様が王子様に救われるようじゃないか。そんな都合の良い展開が起きたら、俺を王子様に見立てるのも少しばかりに理解出来る話だった。
「和治君には本当に助けられた。和治君がいたから、あの時の私は立ち直れた。王子様が現れたお姫様なら無敵だもん。あとはハッピーエンドに向かうしかない。でも――」
でも、
「――私はそんな王子様を裏切った」
吐き捨てるように恋鐘は言う。
俺が恋鐘にされた裏切り。それは1つしかない。
俺が恋鐘に告白しようとした、その時だけだ。
「私さ。嬉しかったんだよ。『大事な話があるから明日は絶対此処に来て』なんて言われて。『告白だ!』って思って明日は絶対に公園に行こうって、そう思ったんだ。だけど行けなかった」
「病状が悪化したから、だよな」
恋鐘が物悲しげに首肯する。
「その日の夜にね、倒れちゃって。すぐに入院して、そのまま大きな病院が近くにあるところに移ったの。それで転校するまでずっとそっちの方にいたわけ」
恋鐘に聞かされたあの日のその後を明かされて、俺は「なるほどなぁ」と返す。そうとしか言えない。恋鐘の身に起きたことを思えば俺の傷なんて大したことがなくて、些細なことだ。真実を知ってしまえば飲み込める程度のそれでしかない。
手酷い振られ方? 置いてけぼりの惨めな気分? だからなんだと切り捨てられるくらい小さなことだ。
だが恋鐘はそう嗤っていられなかったらしい。
「ごめんね、あの時は。勝手にいなくなったりして」
「いや、それは……だって仕方がなかっただろ。病気なんだからキューがコントロール出来るものじゃないし、責任はない」
「でも、結果的に和治君を傷つけちゃった。ならやっぱり私が謝るべきことなんだよ」
「だが」とそう俺は食い下がるが、恋鐘はそんな俺を片手で制した。
「どんな事情があっても、生まれた傷は確かでしょ。事実、和治君は私に振られたことを引きずってた。それくらい人生に影を落としたってこと。その損失はやっぱりきちんと支払わないと道理が通らない。仕方がなくたって、傷付けた側が傷付けられた側の許しを認めてしまうのは甘えだよ」
毅然と言い放つ恋鐘に俺は何も言い返せない。言い返す隙がなかった。恋鐘は既に自分の中で納得してしまっていて、反論する余地なんてなかった。それくらいに真剣だったのだ。
俺は吐き出し損ねたでこぼこな感情を飲み込めないまま、恋鐘に問う。
「じゃあ、俺の前に再び現れたのは謝るためか?」
「うん。正確に言えば、償うため。言ったでしょ。私、和治君に幸せになって欲しかったんだよ」
此処で話が最初に戻った。
恋鐘は俺に幸せになって欲しいと言った。恋鐘の言う幸せを推測することは難しいことじゃない。恋鐘が俺の前に現れてしたことはただ一つ。恋愛相談だ。つまり恋鐘は俺に恋人を作って欲しかったということになるだろう。
「ほら青春って言えば恋愛でしょ? いっちょ恋愛相談にでもして学校生活にいろどり加えてあげよっかみたいな感じで始めたんだよね。昔、恋愛の償いはやっぱり恋愛で償わなきゃだよ」
「昔、素性を隠すために名前からキューピッドって名乗ったくらいだしね」と恋鐘は笑う。
「キャラクターも変えて、服装の趣味も変えて、髪も変えて、我ながらよくやったって、そう思うよ。慣れないことはするもんじゃないね。恋愛相談に乗ってる間はいつも以上に疲れちゃったよ」
「なんでキューであることを隠してたんだ? 隠さなきゃ、もっと楽に話が進んだだろうに」
「いやだって、あんな別れ方をしてたら和治君は私のこと嫌ってるって思ってたし。恋愛相談をしに来てくれない可能性があったし」
恋鐘が唇を尖らせて答えた。そうか。罪悪感を感じてる恋鐘からすれば、俺が恋鐘を許していない可能性を考えるのは当然なわけで、恋鐘にとって自身がキューだとばれてしまうことは計画の破綻に繋がる『もしも』があったわけだ。
素性を隠し、時間をかけて、かなりの労力を割いてまで恋鐘は恋愛相談にあたったわけだ。
「なんで、そこまでしてくれたんだ?」
「ん、いやだから、それは11年前のことの償いだって――」
「――違う。それは違うだろ、キュー」
おかしい。恋鐘の行動はおかしい。
だって、だってだ。そこまで手を尽くしてくれるなら、どうしてもっと早く謝らなかった? 償いなんて大層なことを考えるくらい罪悪感があるなら、まず真っ先に謝るだろう。だが、恋鐘は謝って素性がばれることを恐れ、恋愛相談で償うことを優先した。
病気のことを隠したかった? 別に病気のことを話さなくても謝ることは出来たはずだ。転校を言い出せなかったとか言って誤魔化してしまえば良い。だが、恋鐘はそうしなかった。俺を幸せにするための恋愛相談を優先した。
だったら、何か理由があるんじゃないか。恋愛相談――俺の幸せに固執する理由が。
『私は、恋鐘さんは貴方に見つけて欲しかったんだと思います』
ふと鹿苑の言葉を思い出す。恋鐘は俺に見つけて欲しかったという考えを思い出す。
恋鐘は素性を隠し、俺が恋愛相談をするように仕向けた。遠ざけるでも、近づけるでもなく、遠ざけておいて近づけさせたんだ。その中途半端なやり方に恋鐘の真意が隠れているように思えてならない。
「な、何? 顔が怖いよ、和治君」
「……恋鐘、やめようって言ったじゃないか」
「何を?」
「隠し事。そうじゃないと今日の意味がないだろ」
「隠し事、なんて……――」
恋鐘が尻すぼみになって黙り込む。反発なんて許さない表情で、俺が恋鐘を見たからだ。
今日は過去の清算をするために2人でデートをしてるんだ。また過去と同じことを繰り返されたら意味がない。また新しく傷を生み出すのなんてもう御免だ。俺が傷つつくのではなく、恋鐘が傷つくのがだ。
もう俺には分かってる。もう気づけてしまった。俺では気づけなかった『キューにとっての自分』を考え直せば、あまりにも分かりやすい導線が敷かれてしまっていた。
俺は思い出す。恋鐘が初めてセッティングしてくれたデートの日のことを、バレンタインデーの日のことを、俺と鹿苑の間で胸に抱いていた想いが言わずとも分かってしまった日のことを。
今も同じだ。俺も、恋鐘も、何が隠されているかなんてわかっていて、それでも確かめられずにいるだけなんだ。
だがそんな甘えはもう許さない。誤魔化しはもう認めない。
俺と恋鐘が正しく友達に戻るためには、作ったキャラも、隠し事もあってはならないんだ。
「……言わなきゃ駄目なのかな」
恋鐘が掠れた声で呟いた。
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