ep.07 再会、やり直し

 昨日と同じく暗雲が立ち込める空気が冷たい日だった。

 3月9日火曜日。入試2日目にあたる今日も、俺は笹良総合病院を訪れていた。

 

「一体どういうわけなんだ?」


 7階の廊下、恋鐘の病室のすぐ側で、俺は首をひねっていた。昨日から事態を把握しかねている。きっかけは鹿苑がこう言ったことだった。


『恋愛相談をしましょう』


 これっばかりは俺の恋人ながら何を言い出したのかと思った。恋愛相談? 何がどういうわけでそんな言葉出るのだろうか。意味不明だった。

 それから、俺は鹿苑の手によって無理矢理に押し出される。こう背中を押される形で、と。


『とりあえず今日は帰ってください!!』

『ちょっ、どういうことだよっ?』

『いいですから、端的に言えば邪魔です、邪魔!』

『邪魔ぁっ?』


 (事態がどんどん訳がわからなくなってきたぞ)というのが素直な感想。ここまで鹿苑に露骨に邪険にされるのも珍しい。だから余計に訳が分からず、その時の俺は混乱しっぱなしだった。

 唯一明確なのは鹿苑が俺を病室の外に追い出してから、微笑んで言ったこの言葉、


『私に任せてください』


 とても短い言葉だ。けれど、どんなに言葉を尽くされるよりも信頼できる言葉と微笑みだった。

 とにかくよく分からないが、鹿苑は事態を見通しているらしい。なら、分かっている彼女に任せるのが一番だろうと、そう思って俺は鹿苑の言う通りに昨日は帰ったのだった。

 しかし、恋愛相談ね。全てが俺の蚊帳の外、女子2人で話が進んでいるようだったが、たった1つ、シンプルなことだけは分かっていた。


「あいつ、俺のこと好きだったのか」


 恋愛相談。今更、鹿苑には不要だ。そして、俺にも。もう俺達は恋鐘なしでもやっていける。そういう自信が胸の中にある。

 だから今度は立場が逆。鹿苑が恋鐘に、ではなく恋鐘が鹿苑にする恋愛相談だ。

 鹿苑は恋鐘が俺にまだ想いを寄せていることを見抜いたのだろう。

 つまり、それが恋鐘の中で痛み続けている10年近く前の傷の本質なのだろう。

 俺は鹿苑が寄越したCルームのメッセージを見直す。昨晩、彼女が送ってきたもので、今日に向けての3つのメッセージが書いてある。

 まず1つ目はこうだ。

 

『明日の午前10時に、恋鐘さんの病室へ』


 午前10時に来いと言われたが、実際は30分くらい前には来てしまっていた。気が逸ってしまったのだ。

 だが、今確認したスマホの時計はちょうど午前10時を示している。 

 時間が来たのだ。

 俺は扉の取っ手を掴む。

 この扉を開けば、その向こうに恋鐘がいる。お互いに同じ出来事で、違う意味の傷を抱えた者同士が初めて2人っきりで相対する。

 鹿苑が送ってきた2つ目のメッセージを思い出す。


『恋鐘さんとデートをしてください』


 まったく仕返しのつもりか? そう言いたくなるくらいの焼き直しだ。

 恋愛相談の結果、得られた解答、それがデート。これは俺と鹿苑が恋鐘に与えられた最初の試練だった。そして鹿苑は最後の最後で俺に告白し、俺達は恋人になれたんだ。

 鹿苑は今度は恋鐘にその試練を課した。デートを経て俺達が恋人になったように、デートを経て過去の清算をするように、と。


『私、信じてますから』


 脳裏に浮かぶ3番目の言葉。鹿苑に、昨日も送った心の底からの「ありがとう」を心の中で告げる。彼女には面倒をかけてばっかりだ。恋人同士なら、お互いに対等でなければならないのに、彼女は一歩も二歩も俺の先を行っている。伸ばした手が届く範囲にいるだろうか。まだ俺は彼女に追いつけるだろうか。

 否、追いつく。何が何でも。 

 だから、そのためにまずは過去を乗り越えなければならないんだ。

 恋人から受け取った激励を俺は噛みしめて、恋鐘の病室の扉を開く。

 

「――あ」

  

 不意を打たれた、淡い声が聞こえた。

 それはこの部屋の不本意な主である少女のものだった。

 髪先が肩に着きそうなくらい伸びた黒髪にほっそりとした肩。ベッドに腰かけ、佇む様は物静かな令嬢を思わせる。

 あいつはたどたどしく俺の名前を呼ぶ。


「……和治、君」


 頬をやや赤らめ、目線を下に落とす。

 そうだよな、お前はそういう奴だった。『恋鐘愛』じゃなくて、キューは引っ込み思案な女の子だった。

 好きな人を意識すると、恥ずかしくて上手く話せなくなるような女の子だった。

 過去が明確な形を持って俺達に重なる。正しい意味で、俺と恋鐘は10年近く前と地続きな2人に戻る。

 過去の清算。俺と恋鐘が抱え続けた傷と真正面から対峙できる時が来たのだ。

 再会、やり直し。素顔の恋鐘と共に、あの別れの続きが始まる。

 さて、一体どんなデートになることやら。少なくとも楽しいものじゃないことだけは確かだった。

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