ep.06 突きつける

 俺が病室に入り、鹿苑もまたそれに続く。鹿苑は扉を静かに閉めると一礼した。


「お久しぶりです、恋鐘さん」


 対する恋鐘は気まずそうな顔で、


「えーっと、あはは、うん、久しぶりだね」


 恋鐘がぎこちない理由はCルームのアカウント削除、というよりは唐突なキャラクター変更の方だろう。活発、型破り、常識知らず。鹿苑が知っているのは、そういうキャラクターの恋鐘だ。ところが今日の恋鐘は落ち着いた、あるいはやつれた様子でベッドの上に座っている。恋鐘からすれば気まずいったらないだろう。ずっと嘘をつき続けていたことがばれてしまったのだから。

 表情を固める恋鐘に対して、しかし鹿苑は平然としていた。

 

「こちら、お見舞いです」


 なんて言って、持ってきた果物を小さな机の上に置く程度の余裕を見せる。

 

「別に気を遣ってくれなくても良かったのに」

「これでも私たちはお見舞いに来たんですからね。そういうわけにもいきません」

「……そっか」


 恋鐘は少し寂しげな表情で肩を落とした。そりゃあ、そうだろう。病気が知られることを恋鐘は嫌だったから俺達に何も言わずに消えたんだ。今、俺達が病室にいることは恋鐘が避けたかったことだ。

 恋鐘は気を取り直して問う。


「今日、学校は良かったの? 月曜日だけど」

「入試休みだからな」

「あぁ、そっか。すっかり忘れてた」


 高校入試は2日間かけて高校で行われる。在校生は勿論授業なんて出来ないので、こうして入試当日の2日間は休みとなるわけだ。

 しばらく学校から離れていた恋鐘が、いやもっと深刻なことと向き合う必要がある恋鐘が忘れていてもしょうがない。

 学校のことなんて、どうでも良い。どうでも良かったはず、なのに。

 

「…………」

「…………」

「…………」


 三者とも何も言わなかった。より正しく言うならば、俺と恋鐘が。鹿苑よりも俺と恋鐘が言葉を交わさなければ、今日訪れた意味がない。

 ええいっ、うだうだしてても仕方ない。今日来た目的を思い出せっ。


「キ――」

「――ねぇ」


 口を開いたのは同時だった。恋鐘の鋭く、短い言葉に俺は気圧される。敵意すら籠った目つきで俺を睨みつけた。

 

「なんで来たの?」


 突き刺すような言葉が来た。


「私は何も言わずに2人の前から消えたっていうことは言いたくなかったって、わかってるよね」

「あぁ」

「来ると私が傷つくくらいのことは和治君だったら分かったよね」

「あぁ」

「だったら、だったらっ」


 恋鐘が布団の裾を握り込む。激しい感情を堪えるように強く、強く。

 それから涙を目じりににじませると、重たいものを吐き出すように言葉を注いだ。


「なんで来たの……っ」


 「なんで来たの」。その言葉の重みが俺の肩にのしかかる。

 恋鐘にとって病気のことは触れられたくない秘め事だったのだ。俺はそれを無理矢理に暴いて此処にいる。それを分かっているからこその罪悪感が肩にのしかかる俺の重みの正体だ。

 だが、俺はそれを跳ねのける。


「じゃあ、何で俺の前に現れたんだ。現れなければずっと隠せただろうに」

「別に現れたくて現れたわけじゃないよ。たまたま転入先の高校が一緒だっただけ」

「違う。高校の話じゃない」

「じゃあ、何の話?」

「恋愛相談。もし気づかれたくなかったら、俺の相談は受けなかっただろ」

「それは、それはっ、和治君があの子だって最初は気づいてなかっただけ。和治君だって私のこと気づいてなかったでしょ」

「それも嘘だ。キューは気づいてた」


 先日、鹿苑に指摘されて気づいた恋鐘の不可解な点。俺も彼女に言われてから色々考えたことがある。


「何で全く異なる性格のキャラクターを演じていた? 高校デビューならぬ転校生デビューをしたかったのか。いや、転校生デビューをしたかったにしろ、転校初日に恋愛相談を募集のは流石に異常だ」


 鹿苑が転校してからずっと思ってきたこと。それが再度、疑問点として浮上する。

 恋鐘愛は何故恋愛相談を募集した? 転校生デビューだけならば、恋愛相談なんて目立つことをする必要はない。もし恋愛相談に乗ることが趣味だったとしても転校初日、それも転校して最初の自己紹介で募集するのも妥当性に欠ける。突飛な行動は不審を買うだけだ。長期的に見れば損でしかないことなど少し考えれば分かる。それでも相談を持ち掛けるのは、よっぽど恋で追い詰められている人だけだ。

 俺みたいに好きな人に嫌われているかもしれない人だけだ。


「恋鐘は俺と鹿苑の関係性を知っていて、あんな無茶苦茶な募集方法をとったんだ。切羽詰まった俺しか恋愛相談に乗らないように」


 恋鐘は突飛なパフォーマンスで恋愛相談を持ちかける人を限定した。余分な相談者を排除すると同時にピンポイントで俺に対象を絞ってきたんだ。

 俺が恋愛相談に来なかったとしたら、恋鐘は俺に頼るように迫ってきただろう。何せ俺は分かりやすいくらいに恋鐘を目で追っていた。俺が恋していることなんて丸わかりだった筈だ。後はそこから話を持ち掛ければ良い。そうすれば、俺はいとも容易く恋鐘に助けを求めただろう。何せ実際にはあんな募集をした恋鐘に対してでも恋愛相談を持ちかけたのだから。

 恋鐘は呆れた様子で首を横に振った。


「和治君の言ってることは何もかも滅茶苦茶だよ。そんな適当な計画で、そんな都合よく行くはずがない。そんなご都合主義は現実じゃあり得ないよ」

「そうか? むしろ杜撰だからこそリアリティがあると思うが。現実に、それこそただの高校生が完璧な策略を練られる方があり得ない」

「私は方法じゃなくて結末のことを言ってるの」

「キューが幸運だっただけだ。もしくは俺がかつてと大して変わらずにいて、そのかつての俺をキューが予想以上に知っていただけだろ」


 これは結果論になるが、実際に恋鐘の計画は上手く行っている。俺を狙い撃ちにした作戦だと考えれば、しっくり来るくらいに。

 恋鐘は納得いかない様子でと断じる。


「考えすぎだよ。自意識過剰」

「俺とキューの間に横たわる過去を考えると、自意識過剰って言えるか?」

「……自意識過剰だよ」

「都合が悪くなると自信無くなるのは変わってないなお前な」

「う、うるさい。昔の和治君はもうちょっとだけ優しかったよっ」

「悪いな。俺だって変わったんだよ」


 わざと悪役っぽく笑ってやると、恋鐘は頬を膨らませて怒る。恋鐘の表情から険がなくなった。

 反論に困った恋鐘はとうとう開き直る。


「えぇ、そうですよっ。ぜーんぶ私の策略っ、ぜーんぶ和治君の言った通りっ」

「お前もお前で変わったよな色々な。昔はもう少しお淑やかだった」

「11年も経ってるんだから、私だって変わりますぅー。第一、今回の場合、悪いのは和治君でしょ。なんで私が責められなきゃなんないのさっ」

「お前が撒いた種だろうが。ったく、勝手に消えやがって。過去のことなんか関係なく心配したじゃないか」


 俺が雑に言葉を吐くと、恋壁が呆けた顔で、

 

「心配、してくれたの?」

「当たり前だろ。むしろなんで心配しなかったと思ってやがる」


 過去に何があろうと、友達は友達だ。言いたいことはあるが、それはそれ。おまけに転校してからのこともある。恋鐘に対して仄暗い感情もままあるが、仄暗い感情だけでないのもまた事実だ。

 

「……そっか」


 そう短く呟いて、恋鐘はなんだか満更でもなさそうな顔をしている。どういう感情だ、それは。

 恋鐘は告げる。


「てっきり私は嫌われてるとばかり思ってたよ」

「……嫌っているほどじゃない。今も、昔も。思うところはあるが」


 恋鐘が薄い唇を噛むのを見た。


「なぁ、キュー」

「……何?」

「もう終わりにしないか」

「……何を?」

「過去を。お互い、腹に何かを抱えたままなのはもううんざりだろ」


 10年近くもだ。10年近くも俺も、恋鐘も過去を引きずり続けてきた。この因縁に終止符を付けるために、今日俺は此処に来た。

 だが俺の言葉に恋鐘は、


「……嫌だ」

「キュー!」

「うるさいっ」


 つんざくような声で、恋鐘が俺を拒絶した。


「和治君はどういう気持ちで私が今日までを過ごしたか分かってないっ。どういう想いで和治君の前に現れたなんか分からないっ!」

「な――っ。だから、それを聞きたいって言ってるんだろうがっ。それを教えてくれなきゃ、どうにもならない!」

「それを話したくないって言ってるんでしょ!」

 

 取り付く島もないというのはこのことだ。

 再び言葉を出そうと浅く息を吸った時、パンッと強く手を叩く音があった。

 熱くなっていた俺たちはその音で冷静さを取り戻す。

 その音を出したのは、他の誰でもない。この場にいる3人目の人物。

 すなわち、沈黙を破った鹿苑茉莉花ただ一人。

 彼女は文脈を無理矢理ぶった斬った後、さらにこんなことを言うのだった。


「恋愛相談をしましょう」



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