ep.03 衝突
「エゴのぶつけ合い?」
唐突な提案に、俺は頭に疑問符を浮かべた。
突然、何を言っているんだ? 鹿苑は。
「今、貴方はこう考えてるんじゃないですか。恋鐘さんの思いを尊重して、深追いするのは止めようって」
「――っ、なんで……」
「分かりますよ。貴方の、恋人なんですから」
心中を見透かされ、狼狽える俺に反して、力強く鹿苑は微笑んだ。
「貴方は優しいですからね。あんな言葉を言われてしまったら、躊躇ってしまうのは目に見えています」
そして、表情を鋭いものにして、
「ですが、駄目です。貴方がその決断を下すのは、他の誰かが許しても私は許さない」
「なんで、だ。なんで、其処まで反対する?」
「『その諦めた気持ちはきっといつまで経っても、傷跡となって残り続けます。そしてそれを払拭するには相応の時間がかかるから』」
それは、俺が過去に鹿苑に言ったという言葉。もう俺の記憶にはない過去。
突きつけられた自分自身が吐き出した過去の思いに俺はたじろぐ。
「きっと、ここで真偽を確かめないと貴方はまた傷を抱え込む。折角治りかけた傷が、再び抉られて出来た今の傷をきっと貴方は無視できない」
「大丈夫だ、別に、俺は――」
「――嘘言わないでよッ」
鹿苑が喉を叩くような金切れた声で叫んだ。
そして俺の胸元を両手でつかみ、縋るように寄りかかる。
「思い出すだけで声が震えるような、繰り返されるだけで涙を堪えるような、そんな思いを抱えてる貴方が大丈夫なわけないでしょッ」
震える肩。反り返る声。俺を見上げる鋭い眼光。
燃えている。怒りに燃えている。鹿苑は激情を持って俺と対峙している。
「逃げないで、ください。自分から、絶対に……ッ」
鹿苑は堰を切った様子で言葉を吐き出す。
「貴方は彼女をほっぽり出して人助けをしちゃうくらい優しくて、見知らぬ少女の探し物に夜遅くまで付き合ってくれるほどにお人好しな人。そんな貴方が自分の心をもっともな理由で誤魔化して、誰が貴方自身を守ってくれると言うんですかっ。貴方が独りで傷ついて、独り寂しく傷を隠すようなことが認められるわけないでしょうが!」
鹿苑は俺が口を挟むのを許さない勢いで言葉を重ねる。
「そんな簡単に諦めないでよ、負けないでよ、逃げないでよっ。私が好きになった『飯田和治』はそんな簡単に何かを見捨てられるような、自分を揺らがせる人じゃないッ!」
強く鹿苑に押し飛ばされた。それはお嬢様の細腕による軽い衝撃。けれども、俺は簡単に後方へと弾き飛ばされた。姿勢を崩し、揺らいだ。
「まさに、今の俺自身ってわけか」
俺はそう自嘲する。
あぁ、まったく鹿苑の言う通りだ。今の俺はらしくない。らしくない、ように見えるだろう。でも、違うんだ、鹿苑。俺が揺らいでるのは、お前のせいなんだ。
「恋鐘は、恋鐘は何も言わずに去った。過去も、
「ですけどっ、貴方がっ――」
「――そして気づいているか、茉莉花。自身の意見に込められた願いに」
今度は鹿苑がたじろぐ番だった。
鹿苑は最も近くで俺を見ている人間だが、しかし俺よりも俺を知っているわけじゃない。鹿苑の視点で俺を見ている以上、其処には鹿苑が見たい俺の像が重なっている。
「俺はいつものように人助けを、他人を思って行動しているだけだ。恋鐘の心情を優先しているだけに過ぎない。俺は揺らいでなんかない。揺らがせているのは、揺らいでいると思っているのは鹿苑の方だ」
鹿苑が痛みに耐えるような顔で露骨に言葉に窮した。何か言おうと喉に力込めているが、しかし何も言い出せない。そんな感じだ。
エゴのぶつけ合い。いや、最早喧嘩のようになってきた言い合いが停滞したことで、ようやく俺は周囲に目を配る。
「なになに? 喧嘩?」
「よくわからないけど、鹿苑さんがあんな声出すなんて相当なことだよね」
「飯田のやつが悪いんじゃねーの? 状況見る限り」
集まった野次馬の群れからはそんな声が聞こえて来る。まぁ、当然か。こんだけ廊下で騒げばな。
野次馬の中で、俺は相沢を見つける。
(とりあえずさっさとこの場を離れた方が良いんじゃない?)
そう言ってそうに口を動かした相沢に俺は頷きだけ返す。これから話をしようにも注目されてちゃ、冷静に話なんて出来やしない。
俺は鹿苑の手を遠慮なく掴み、強引に引っ張る。
「ど、何処へっ?」
「人がいないところ。少なくともこの場じゃやりにくい」
俺の言葉でようやく鹿苑も我に帰ったようで、野次馬を確認すると頬を赤くして目を伏せた。良かった。いつもの鹿苑だ。
しかし連れ出したは良いものの、何処へ行ったものやら。
(人のいないところ、人のいないところ、っと)
思考を巡らすと、あの場所が思いつく。そういえば、恋鐘と秘密の話し合いをしたのも、鹿苑と騒がしい教室から逃げ出して2人で弁当を食べたのも、あの場所だったか。あそこならば滅多に人は来ないだろうし、内緒話にはもってこいだろう。
その場所とは、すなわち職員棟の校舎裏。そんな場所へ放課後に行くなんて、よっぽどの事情がない限りない。
校舎裏に着くまで、俺たちは終始無言だった。そして校舎裏に着き、手を離すと彼女はぼそりと呟いた。
「……ごめんなさい。感情に、駆られてしまって」
「謝ることじゃない。ちょっとばっかしは驚いたけども、それでもでそれだけだ」
いや、本当は驚くべきではなかった。彼女は言ってくれたじゃないか。俺の傷に寄り添いたいって。そんな思いを抱えている彼女は恋鐘よりも俺の気持ちを優先するに決まってる。鹿苑は俺に俺自身を大切にして欲しいという願いでもってあんなに声を荒げたのだ。
「ありがとう」
「感謝されることではないですよ」
言わなかったその言葉の続きは「当たり前のことですから」か。そういう当たり前のことに対する感謝を忘れるわけにはいかないというのも、俺は分かっている。
「ちょっとさっきのは酷かったですね。やりすぎちゃいました」
鹿苑が恥ずかしげにはにかんだ。エゴとエゴのぶつけ合い。自分の中の思いを素直に吐き出す以上、感情的になるのも無理はない。無理はないけど、確かにもっと冷静な話し合いにするべきだったのも確かだ。
それから鹿苑はほんの少し眉を吊り上げて怒った表情で、
「でも、気持ちは変わりませんよ。私は貴方のためにも恋鐘さんに会うべきだと思います」
「だったら俺だって変わらない。恋鐘は何も言わずに俺達の前から姿を消した。俺達には言いたくない事情があったからだ。それを無視するのは友情にもとる行為じゃないか」
場所が変わったところで、頭を少し冷やしたところで、俺達の議題は変わらない。恋鐘に会うべきか、会わないべきか。その結論は出ていない。
鹿苑には俺の意見への反論はないはずだ。さっき何も言えなかった鹿苑は俺の意見を覆す言葉はない。しかし鹿苑ははっきりと首を横に振った。
「ついさっきまでの私は頭に血が上って冷静な判断を下せませんでしたが、今ならはっきりと言えます。私たちは恋鐘さんに会うべきだ、と」
「どういう理由で?」
「だって友達なら困っている時には助けたいでしょう?」
悪戯っぽく笑う鹿苑の言葉は絶妙に俺の心をくすぐって来る。勘所を掴まれてて、背中がぞわっと来るなこれな。
鹿苑は頬を膨らませると言う。
「私、恋鐘さんにも怒ってるんですからね。何も言わずに勝手にいなくなったりして……友達なら一緒に辛い気持ちを分かち合いたいじゃないですか」
「友達だからこそ、何も伝えたくないって気持ちもあるんだけどな」
「そんなの知りません! 知ったこっちゃないです!!」
「燃えてるとこ悪いけど、強引が過ぎるからな?」
「えいえいおー」なんて気合入れてるあたり若干熱暴走入ってるな、お嬢様。鹿苑も鹿苑で、俺と同じく本調子じゃない。
いや、どちらかと言えば恋鐘に当てられているのかもしれない。あの強引に俺達を結び付けてくれた恋のキューピットであるあいつに。俺達が被ったあの強引さを熨斗を付けて返すつもりでいる……のかもしれない。
意気の籠った瞳で鹿苑は俺を見た。
「それに彼女は貴方の前に現れた。ずっと身を隠していたのに、わざわざ。其処には何かしらの理由があるんじゃないかと思います」
「理由、理由か……」
鹿苑に指摘されて、俺はようやく恋鐘の行動の違和感に気づく。
恋鐘にとって俺はどういう存在なのかは分からない。考えたこともなかった。が、少なくとも振り返りたくない過去になるんじゃないかとは思う。挨拶もなしに友達の前から消えるなんてこと、恋鐘の――キューの性格では良い思い出にならないだろうからだ。
そんな思い出の相手である俺と何故10年近く経った今になって再会し、また同じように何も言わずにいなくなるなんてことをしたのか。其処には何かあいつなりの理由があったんじゃないのか。
「だが、だとしても言わずに去ったと言うことは隠したいってことだろ。なら、深くは追及しない方が良い」
どちらにせよ、恋鐘は何も言わなかった。それだけが目の前の事実だ。なら、恋鐘のことはそっとしておくべきだという俺の意見は変わらない。
だが、鹿苑はこう短く切り出した。
「私は逆だと思います」
「逆?」
「私は、恋鐘さんは貴方に見つけて欲しかったんだと思います」
見つけて、欲しかった?
「だって、そうでしょう? 隠したいなら、恋愛相談を受けるなんてこと普通はしないじゃないですか。あれだけ目立って、あれだけ積極的に関わっていたなら、恋鐘さんは心の底では貴方に見つけて欲しかったとしか思えないですよ」
鹿苑が優しい表情で俺の顔を覗き込みながら言う。
そういうことなんだろうか。もし恋鐘が俺に気づいて欲しかったのだとしたら、其処には何かしらの意図があったわけで、あいつにはあいつが抱えてる思いがあったわけで、『自分にとってのキュー』の存在ばかり考えていた俺では気づけなかった『キューにとっての自分』が一体どういう存在なのか、俺は一度目を向けるべきなのだとようやく気づいた。
だから、ここできちんとあいつの思いを知らなければ俺だけでなく、あいつにとっても禍根を残すことになると、そう思うんだ。
だったら、だったら、
「会おう。会おう、恋鐘に」
俺は静かに決意する。
俺は10年近く前の失恋を抱え続けた。もし恋鐘も同様にあの出来事を10年近く引きずり続けたのだとしたら、あいつも俺と同じように過去に思いを寄せていたことになる。忘れられなくて、いつまで経っても消えてくれなくて、じくじくと痛み続ける傷をあいつが抱えていることになる。
もしあいつがそんな思いを抱えていて、そんな思いに背中を押されるようにして俺の前に再び現れたのだとしたら、俺はそんなアイツを見過ごすことなんて出来ない。
俺の宣言に鹿苑は心の底からの笑顔で、弾む声で返事をした。
「――はい!」
とはいえ、とはいえだ。消息を絶った恋鐘とどうやって会えば良いんだろうか。何せ恋鐘に対する連絡手段は断たれ、恋鐘が休んでる事情すら俺達は知らないんだ。先生に聞くという手段も封じられてしまったし、一体どうやって恋鐘の居場所を見つけたら良いか。
途方に暮れる俺の耳に恋鐘の声が届いた。目を向けると、恋鐘はスマートフォンで何処かに電話をしていた。
「あ、もしもし、いつもお世話になってます。はい、茉莉花です。先日、お話した件、進めて頂いてもよろしいでしょうか。はい、はい、すみません。ご面倒をおかけしました。よろしくお願いします」
何処に電話をしていたんだろうか。俺は素直に鹿苑に問う。
「何処に電話してたんだ?」
「興信所ですよ? 恋鐘さん探しを依頼しました」
コウシンジョ……? あぁ! 興信所か!! 非日常的な言葉に脳みその言語変換が遅れた。
「……いわゆる探偵ってやつ?」
「はい、そうですが……え、何で不思議そうな顔してるんです?」
さも当然と言ってる鹿苑の方が不思議だよ……。なんで高校生で平然と興信所に依頼してるんだ。流石はお嬢様。まだまだ俺の知らない領域があるらしい。
そんなお嬢様の底力を見せつけられながら恋鐘を探し出す手段は用意出来た。後は恋鐘が見つかるのを祈るばかりだ。
正直、この選択が誰が見ても正しいものかは俺にもまだ分からない。こればかりは恋鐘の心が分からない以上、正しいと言い切ってしまうのは傲慢だろう。だけど、俺は正しいと思った。だから、その傲岸不遜な思い込みを胸に俺は恋鐘と、いやキューと本当の意味で再会する。
俺の過去、そしてあいつにとっての過去を清算するために、俺はあいつと向き合いたい。そう強く思うのだった。
そして。
恋鐘の居場所が分かったのは2日後。3月7日の夜のことだった。
あいつがいる場所は笹良市民病院。そこは近場の最も大きな病院である。
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