ep.02 心配

「それでは皆さん、寄り道せずにお帰りください」 


 生真面目な教師が堅い口調で帰りのホームルームの終わりを告げる。

 退屈な学校から解放された学生たちは一斉に席を立ち、各々の自由な時間を享受し始める。

 そんな折に、と鹿苑が小走りで俺の席にやってきた。そして憂いを湛えた表情で告げる。


「恋鐘さん、今日も来ませんでしたね」

「あぁ」


 あの日から、ずっと学校を休んでいる恋鐘はやはり今日も来なかった。


「私たちを避けていると考えることも出来ますが……土曜日以前も休みがちでしたから避けて休んでいるわけではないのでしょう」


 頭を冷やして考えると、確かにそうだったか。恋鐘が休みがちになったのは遊園地に行った後からで、家デートの日からじゃない。

 ということは恋鐘が学校に来ないのは俺達を避けてるからじゃない……?

 

「これだけ長い間休んでると、流石にただの風邪じゃなさそうだよね」


 相沢が胸の内の不安を隠さずに呟いた。


「鹿苑さんは恋鐘さんと仲良さそうだったけど、何か知らない?」

「私の方でも連絡が出来なくて……」

「そっか。うーん、連絡がつかないほどの事態かぁ」


 鹿苑はCルームのアカウントを恋鐘が消したことを敢えて伏せた。だから俺達からすれば、少しだけ相沢の返事は的外れたものに感じられる。「つかない」ではなく、「出来ない」のだ。恋鐘への連絡手段は恋鐘自身の手によって断たれた。もう連絡は出来ない。

 ただ相沢の視点は1つの発想の転換となった。俺はあまりにもアカウントが消されたことを重視しすぎていた。

 そうだ。恋鐘がキューであることを問われたから、休んでるんじゃない。問われる前から休みがちだったんだ。だから本来なら連絡が「つかない」という認識が正しいはず。

 つまり恋鐘には休みがちになる理由があった……?


「くそっ、こんな簡単なことに何で気づかなかったッ」


 どうやら恋鐘とキューが同一人物である可能性の衝撃に当てられて、俺の頭は完全に正常な思考を失っていたらしい。

 恋鐘がキューでなかろうが、キューであろうが、あいつは友達だ。俺と鹿苑を結び付けてくれた恩人だ。その身に何かが起きたなら、何をも優先して心配するに決まってるじゃないかっ。

 突然大きな声を上げた俺に驚く鹿苑と相沢を置いておいて、俺は廊下に飛び出した。

 連絡手段を断たれた今、恋鐘の様子を知ることが出来る手段はただ一つ。

 それは、


「――先生!」


 教室を出たばかりの生真面目な教師を俺は呼び止める。

 そうだ。別に恋鐘本人から聞き出す必要はない。事情を知っている人に聞けば良いだけだ。恋鐘の休みを認める学校側ならば、恋鐘の事情を把握している。先生から教えてもらえば良い。


「飯田君。廊下は走らないように」

 

 生真面目な教師は至極当たり前のことを注意した。

 俺はその注意を聞き流して、先生を問い詰める。


「恋鐘が、恋鐘が休んでる理由は教えてくださいっ」

「……本人に聞けば良いのではないですか?」


 ぐぅ。ごもっともな意見が出てきた。

 だが――っ。 


「恋鐘が教えてくれないんですっ。ですから――」

「――本人が教えていないなら、なおさら私が言うわけにはいかないでしょう」


 先生の言うことは正しい。否定できない。

 でも、それでも、と俺は先生に反抗する。


「だったら、休んでいる友達をこのまま放っておけっていうんですかッ!」

「何も伝えなかったということは恋鐘さんが事情を伝えたくなかったということ。友達ならば、友達の思いを尊重するのも大切ではないですか?」

「それはっ、それは――っ」


 くそっ。俺には目の前の生真面目な教師に反論するための言葉がない。

 生真面目な教師の言い分は何処までも正しくて、俺の我儘は通用しそうにない。


「和治さん」


 いつの間にか鹿苑が俺の背後に立っていた。


「とりあえず、先生から聞くのは諦めましょう?」

「鹿苑、だけどっ」

「先生が生徒の個人情報を教えられるわけないじゃないですか」

「あっ」


 それもそうか。当たり前の事実に俺は膝を打つ。

 先生も鹿苑の言葉を首肯した。

 俺は俺に呆れる。 


「あ~~、今の俺は駄目だな。完全に頭が茹ってる」

「仕方がありませんよ。事情が事情ですから」

「先生もすみませんでした。無理を言ったようで」

「気にしないでください。飯田君の思いは理解してるつもりです」


 生真面目な教師はそれだけ言って、去って行った。

 俺達は呼び止めることも出来ず、その背中をただ見送ることしか出来ない。


「先生からも聞き出せない、か」


 となるともう俺には恋鐘の居場所を知る術はなくなったということだ。恋鐘の跡を追うことが出来なくなったということだ。

 だが、頭が冷えた俺は生真面目な教師のもっともな言葉を思い出す。


『何も伝えなかったということは恋鐘さんが事情を伝えたくなかったということ。友達ならば、友達の思いを尊重するのも友達ではないですか?』


 恋鐘は俺に何も伝えなかった。伝えたくなかった。その思いを、俺の我儘で踏みにじっても良いものだろうか。

 

「和治さん」


 鹿苑が俺の名前を再び呼ぶ。

 そして、言った。


「エゴのぶつけ合いをしましょう」


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