ep.05 お嬢様

 胸の苦い思いを噛みつぶし、俺は認識を現実に引き戻す。


「ごめんなさいね、茉莉花さん。大した歓迎が出来なくて。息子の気が回らないもので」

「茉莉花さん、茉莉花さん! お嬢様の生活ってどんな感じなんですかっ。深窓の令嬢ってどんな生活送ってるんですっ?」


 母さんと妹が鹿苑に対して矢継ぎ早に畳みかける。2人が突然現れて、鹿苑が面食らっているだろうというのに、だ。

 あー、ったく。舞い上がってるんじゃないよ。迷惑だろうが。

 内心で舌を打ち、2人と鹿苑の間に割って入ろうとした、その時だった。

 鹿苑が折り目正しく一礼した。


「お初にお目にかかります、鹿苑茉莉花と申します。この度は何のことわりもなくお邪魔することとなりまして、誠に申し訳ありません。こちら、つまらないものではありますが、どうぞお受け取りください」


 そう言ってカバンから取り出し、差し出したのは小さな紙袋。バレンタインデーの日に見た高めの値段設定の店の紙袋だった。

 恭しい所作と言葉遣いに俺も、2人も目をとさせる。つんのめった感覚、というべきだろうか。水を打ったような静けさを思わせる鹿苑の態度が――恥ずかしながら俺を含めた――飯田家の人間の加熱した思考に急ブレーキをかけてくれた。


「お母さん、やっぱりお兄ちゃんが茉莉花さんと付き合ってるのって妄想じゃないかな?」

「そうね、あんなしっかりとした娘さんとうちのバカ息子が付き合ってるわけないもんね」

「聞こえてるからな、2人とも」


 馬鹿を言い出した母さんと妹に釘を刺しつつ、俺はそそくさとスリッパを用意して鹿苑に上がるように促した。


「上がってくれ。あ、紙袋は受け取る」

「すみません――お邪魔します」


 きれいな所作でブーツを脱ぐと、鹿苑は滑らかにスリッパに足を通す。

 その隙に俺は母さん……は手がふさがってるから無理か。妹に紙袋を渡す。


「ま、ま、ままっ!」

「落ち着け。俺が彼女にバレンタインチョコ貰ったときより動揺してるんじゃない」

「あばばばばば」


 大丈夫か、こいつ。

 壊れたラジカセになった妹は放っておいて、俺は母さんと向き合う。


「というわけで、これから勉強会に入るからあんまり邪魔しないで欲しい」

「……………分かった。ごめんなさいね、突然ふって湧いた事態に焦ってたみたい」

「これからの時間を邪魔しないでいてくれればそれで良いよ」


 良かった。どうやら母さんは正気に戻った様子。流石は2人の子供を育て上げた母親である。妹とは肝の据わり具合が違う。肝の据わり具合が。

 

「ほら、あんた、こっち来なさい」

「あばばばば」


 そのまま母さんは壊れた妹を引っ張って奥に引っ込んでいった。よし、これで邪魔者は消えたな!


「なんだか愉快なご家族ですね」


 鹿苑は困った様子で眉を下げて笑いながら、そんなことを言う。精一杯に誤魔化さなくても、本音を言ってくれていいんだぞ。いや、ほんとに。


「鹿苑、こっちだ。俺の部屋はそこの階段を上がった2階にある」

「あ、はい。お邪魔します」


 状況が落ち着いたところで、俺は鹿苑を自室に案内する。

 鹿苑は階段を上る間はずっと目線をきょろきょろさせていた。先程までの完璧パーフェクトお嬢様スタイルは何処へやらだ。どうやら肩の力抜けた様子で、緊張感がなくなってくれたのは俺としてもやりやすくて助かる。

 俺が相対してきたのは『鹿苑家のお嬢様』ではなく『同級生』の鹿苑茉莉花だ。あんな非日常的な姿を突然見せられても困る。

 とはいえ、とはいえ、だ。どちらにせよ鹿苑と付き合っていく必要があるのならば、必ず立ち向かわなければならない問題でもある。『鹿苑家のお嬢様』とどう向き合っていくべきかという問題は。

 重たいな、非常に。つまりこの問題はイエとかいう時代錯誤かつ庶民には馴染みがない重責の問題だ。ただの高校生でしかない俺がそうやすやすと解決できる問題じゃない。

 それでも鹿苑が俺の事を好きでい続けて入れくれる限り、俺は彼女の隣に立つための努力を惜しまない覚悟なぞはとうの昔に決まっている。内容の重さはともかくとして、解決できるか否かという点においては既に解決済みの問題ではあった。少なくとも主観では。


(ま、だけど、それを考えるのは今じゃないか)


 まずは目先の等身大の問題、期末試験を乗り越えなければ。此処で成果を残すことが最初の一歩だ。

 さて色々考えてるうちに、自室の前に来てしまった。来てしまったのだ。その事実に気づいて、俺はドアノブを握って静止する。


「入らないんですか?」


  若干弾んだ声の鹿苑がそう疑問した。わっくわくだな、ほんとな。うん、今まで鹿苑のノリに誤魔化されてきたけど、やっぱり最後の最後までは騙せないなぁ、ほんとなぁ。

  初めて異性を部屋に招く。この事実を深呼吸と共に飲み下す。大丈夫だ。変なものは置いてない。あったものは全部相沢に預けてる。だから見られても問題ないものしか部屋にはないってそうじゃないだろそうじゃっ肝心なのはっ鹿苑が俺の部屋にいるという事実が一番の問題だって分かっているのか飯田和治! 思春期男子にとっちゃ家デートの方がほぼほぼ過去の遺物となり果てているイエよりよっぽど深刻だ!!

 沸騰しそうな頭に俺自身の言葉が反芻される。


(覚悟は決まってる。そうじゃなかったのか?)


 ええい、ままよ!!

 俺は勢いよく自室のドアを開け放つ。大きな音に鹿苑が小さな肩を跳ねさせた。

 これより始まるは飯田和治の人生史上、最も過酷な試練。俺はバレンタインデーーとも、遊園地デートの日とも、異なる決意を胸に抱き、最も見慣れた密室空間に足を踏み入れた。

 

 今此処に、第1回家デートが開幕する!!

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