ep.03 決行日

 2月28日。

 決戦とも言うべき日が来た。

 家デートの日が来たのだ。

 今日のためにめかし込んだ俺は駅前の噴水で彼女を待つ。バレンタインの日に暫定的に設けた集合場所だったが、いつの間にか俺達2人の待ち合わせ場所のような認識になっていた。2人して自然と此処を指定したくらいである。


(あの日は俺達にとって転機の日だから確かに印象強いもんな)


 なにしろ恋人になった日だ。思い出として強く印象付けられてるのは当然といえば当然だった。

 あの日と違うのは、彼女が来るかどうかを俺が不安に思っていないこと。彼女は必ずここに来るという確信があるということ。


「おまたせ、しました!」


 弾んだ声が聞こえた。ようやく聞き慣れ始めた声だ。声の方を振り向けば、其処に鹿苑がいる。

 今日はどうやらキャラメル色のダッフルコートを羽織ってきたようだ。その下には見覚えのあるタートルネックの白セーターを着ており、暗い茶色いチェック柄の膝が隠れるほどのタイトなスカートをはいている。膝下から黒タイツが見え、足元は黒い丈の短いブーツを履いていた。全体的に無難な感じで、遊園地の時よりこっちの方が彼女らしい。教科書やらが入っているだろうカバンの方も学校に普段持ってきているようなものではなく、明るい茶色の大きめのカバンだった。


「うん、そういうのの方が似合ってるよ」

「ふぅえ?! い、いきなりなんですか! 不意打ち止めてくださいっ」

「それ、毎回可愛い私服見せて来る鹿苑が言う?」


 毎回不意打ちどころか不意衝撃に襲われてるんだが? だが? 罪状で言えば鹿苑の方が重い。

 鹿苑はひとしきり照れた後、深呼吸をする。それから俺を見ると、怪訝な目つきをした。


「今日はなんだかいつもよりオシャレに気を遣ってるというか過敏なような……? なんというかいつもの素朴さがない感じですが」

「あぁ、まぁ、色々あってな……」


 露骨にげんなりした俺に、鹿苑は不思議そうな顔で首を傾げる。

 本当に色々あったのだ、色々。思い出すだけでもげんなりする色々が。


「あんまり掘り下げないでくれると助かる」

「なら深くはお尋ねしませんけれど……大変でしたね?」


 鹿苑の同情だけが数少ない癒しだった。あの酷い、家庭内騒動とも呼ぶべきごたごたは散々騒いだ果ての果てに得るモノは何もなかった。大山鳴動して鼠一匹が可愛く見えるほどの徒労感だ。

 とはいえ、だ。そんなことはさておき、今日の目的を果たそう。


「……とりあえず、行くか?」


 さりげなく、さりげなーく、鹿苑に呼びかける。なんでもないことのように告げて、意識していないように装う。その誤魔化しは鹿苑に対してというよりは、俺自身に対してという方が正しかった。

 だって彼女を自分の家に、自分の部屋に、初めて入れるんだ。緊張しないはずがない。

 手に汗握る俺に対して、けれども鹿苑は


「はい、行きましょう!」


 なんて無邪気に言うから、鹿苑にも困ったものだ。というか、もしかして男の家に行くことの意味を分かってない? いや、手を繋ぐことすらエッチ認定な鹿苑家の基準がカバーしていないはずがない! ないよな? 遊園地の時より遥かにウキウキしてないか?!


「な、なぁ、鹿苑。もう一度確認するけど、俺の家に来るってことの意味分かってる?」

「分かってます!! 大丈夫ですっ。何か変なものがあっても受け入れる覚悟は出来てます!!」


 分かってないな、これなーーーーッ。鹿苑としては俺の私生活を覗けるイベントになってんなーーーーッッ!!!!

 絶叫したい。切実に。

 もしかしたら良家のお嬢様の教育には彼氏の家に行くということがそもそもとして想定されていないのかもしれない。確かにお嬢様が彼氏の家に行くイメージはないもんな。……鹿苑家からすれば、とんでもないバグなんじゃないだろうか、俺の彼女は。

 ……はぁ、なんだか緊張してるのが馬鹿らしくなってきた。鹿苑の無邪気さを見てると、なんだか卑しい欲望を抱く未来が想像できない。妹扱い、なんて言うと怒られそうだが、ほとんどそんな認識だ。無垢すぎて手を出すのが憚れる領域である。そもそもエッチなことの羅列に世間一般でのエッチなことがない辺り、鹿苑には性的知識はほぼほぼないのかもしれなかった。


「駅からどのくらい遠いんですか?」

「歩いて大体20分くらいだ。遠くもなく、近くもなくって感じ」


 俺の家は駅からちょっと離れた場所にある住宅街の中にある。駅前の大通りから外れて小さな通りに入る必要があるが。

 道なりに進みながら、俺は鹿苑に問う。 


「鹿苑はこっらの方に来たことあるのか?」

「全然ないです。縁がなくて……」

「そりゃそうか。ここら辺には何もないし」


 地元の人間が言う言葉でもないかもしれないが、ほんとにここら辺は住宅街しかなくて友達がここらに住んでいない限り来るような場所じゃない。逆に言えば、友達がいれば結構楽しい場所になる。家が密集しているおかげで、学校の友達とかとは集まりやすいんだな、これが。

 

「あそこに公園があるだろ。あそこで小学校の同級生と集まって、よく遊んだんだよ」


 見えてきた公園は住宅街の中で唯一近場の遊び場だ。ゲームで遊ぶのに飽きたり、外で遊びたい時はよく集まっていたものである。

 そして公園が見えて来ると、俺の家までもうすぐ其処だ。目の前の十字路を左に曲がって、3軒目の家が俺の家だ。


「此処が――!」

「そんな目をキラキラさせるほどのものでもないぞ?」


 言ってはなんだが、ありふれた一軒家だ。鹿苑の家と比べるとつまらないものだと思う……って違うか、鹿苑は俺の私生活が見れることを期待してるんだからあんまり家の規模とかは関係ないか。友達の家に行くドキドキ感は味わっているわけである。

 さて、かく言う俺はというと緊張がぶり返していた。いよいよ、いよいよだ。鹿苑が俺の家の敷居を跨ぐ。その時が来たのだ。

 玄関のドアノブに手を掛ける。金属の冷たさに怯むことなく、俺はいつもの扉を重苦しく感じながら開いた。

 

「ど、どうぞ」


 ぎこちなく俺は鹿苑を招き入れる。

 鹿苑もいざ家に入る場面になると緊張で体を強張らせていた。しかし流石というべきか、良家の風格を漂わせる所作で足を一歩、玄関に踏み入れた。


「お邪魔します」


 凛とした声だった。無邪気にはしゃぐ様は何処へやら。背筋を伸ばした佇まいは間違いなく俺が遠くから見つめてきた――つまり深窓の令嬢がぴったり当てはまる鹿苑茉莉花の振舞いだった。

 そんな彼女に少々見とれていた俺であったが、俺を現実に引き戻す我が家の反応はこうだった。


「ちょっと、あんたっ、来るなら来るタイミングで連絡くらいいれなさいよっ、まだなんの準備も出来てないわよ!」

「わぁ、ほんとに茉莉花さんだぁ。お兄ちゃんの妄言じゃなかったんだぁ」


 ボウルを持った俺の母さんと外に着ていく服を着た中学生の妹。2人がわざわざ玄関までやって来て、開口一番の言葉がそれらだった。母さんは怒りを、妹は驚きと感心を顔に浮かべて、俺達の前に立っている。

 

(やってくれたな)


 というのが、今の俺の素直な思いだ。こうなることは分かっていたが、しかしそう思わずには言われなかった。

 俺の、この日のための試みは失敗している。この状況を俺は実現したくなかった。

 全ての始まりはおうちデートの決行が決まった2月26日の夜まで遡る。

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