ep.06 観覧車

 観覧車が昇る、昇る、昇る。巨大な車輪に並んだゴンドラを揺らして。

 沈み始めた西日を受けて、空中の密室は黄色く染まり上がる。差し込む光の眩しさに俺は目を細める。

 俺は向かい側に座る鹿苑に届くか届かないかくらいの声で呟く。


「景色が、きれい、だな」

「そ、う、ですね……えっと、私たちの町は向こう側で、すかね……?」

「「…………」」


 誤魔化しの会話もそう長続きはしない。お互いの呼吸を未だに読み切れない俺達がいる。

 平素ならばなんとかなった。俺達以外にも恋鐘や相沢がいるから、上手くやり過ごすことが出来た。けれども今は、この狭い密室でふたりっきりだ。入り込む誰かはいないし、助けを求められる誰かもいない、正真正銘のふたりきり。

 これまで見過ごしてきた、うやむやにしてきた現実と対決する時が来たんだ。俺達は恋鐘の強引さによって結び付けられたが、しかしそのために恋人になるまでに経なければならない過程をすっ飛ばしている。そのすっ飛ばした過程をやり直さなければ。たかだか一週間程度じゃ、まだ足りないんだ。


「鹿苑」

「はいっ」

「あぁ、いや、その、俺にも至らないところが多々あると思う。多分頼りなかったんだよな、俺は」

「な――っ。それは違います! 私がただ臆病だっただけで――」

「でも、臆病にさせてしまったのは間違いなく俺の不甲斐なさのせいだ。だから、ごめん」

「~~~~っ!」


 鹿苑がこみ上げるものを隠すように俺から目線を外した。その目の端に涙が浮かんでいたのを俺は見逃さない。愛の重さが裏目に出てる。いやこの場合、愛の重さではなくて、俺を尊重する想いだろうか。バレンタインデーの時もお弁当の時も、いつも俺に対して良いことをしようという思いがあって――それ自体は嬉しいんだけど――このままでは彼女が俺に対して気を遣う一方的な関係に成り下がってしまうことになりかねない。恋人関係は対等な人間関係でなければならないんだ。

 がくん、と観覧車が揺れる。上りから下りへ変わったのだ。観覧車がちょうど半分を超えて、ゆっくりと、ゆっくりと。

 刻限は迫っている。その前にきちんと収拾を付けなければならない。このままだと観覧車から降りた後は別れるルート一直線だ。


「鹿苑」


 もう一度彼女の名前を呼ぶ。彼女は何も答えない。俯き、肩を震わせている。理由は怒り半分、悲しみ半分と言ったところだろうか? 自分の臆病さに対する怒りと臆病さが故に俺に俺自身を甲斐性なしだと言わせてしまった悲しみ……だと思う。真意は分からない。そう推測できるというだけ。あるいはそうあって欲しいという願望だ。

 そしておそらく彼女も俺にそういう類――つまり願望を重ねているのだと思う。だけど、そんなものはお互いのすれ違いを生む原因でしかない。

 恋鐘の言葉を思い出す。『言わなきゃ、ちゃんと。そうじゃないと伝わんないよ!』。あぁ、まったくその通りだ。俺達には言葉がある。ちゃんと話さなければ、俺がどんな人間なのか伝わらない。

 俺は両手で鹿苑の両手を包み込んだ。

 鹿苑の肩が驚きで震える。

 鹿苑が顔を上げる。

 鹿苑は少しうるんだ瞳で俺を見つめている。


「俺には至らないところも多々あるし、少なくともそう思ってる。でも、俺は鹿苑に頼ってもらえる恋人でありたいと思ってるし、なりたいと思ってる。そういう俺を信じてもらうことは出来ないか」


 俺は問う。しかし鹿苑は首を横に振った。


「……違うんです。そうではないんです。私は、ただ、私が貴方に嫌われてしまうのではないかと、ただそれだけを恐れてただけなんです」

「じゃあ、何も違わない。嫌われるって思われてる時点で、俺はまだ鹿苑の恋人として不足があるんだ」


 本当に頼ってもらえてるなら、嫌われるかもなんて不安すら抱かせない。関係性に恐れなんて生ませない。まだ俺は彼女の恋人として足りてない。

 そういえば、まだ俺は肝心なことを伝えてなかった、いや言葉にしていなかったか。

 鹿苑の手を包む両手に力が入る。あの時は言えなかったけれど、しかし今ならば言える。鹿苑の目を見据えて、俺は告げる。


「好きだ、鹿苑」


 鹿苑がこれまでの暗い流れを忘れたように瞠目し、頬をと朱に染めた。


「なんで、こんな場面で――っ」

「――こんな場面だからこそ、だよ。俺は鹿苑が好きだ。他の誰よりも好きだ。鹿苑が俺を嫌っても、俺は鹿苑のことを好きでい続けるよ」


 鹿苑は「うぅ」なんて呻き声を出して、露骨に怯む。はっはー効いたかこのやろう。


「ずるいです、卑怯です、最悪ですっ。そんな真剣な目で、そんなっ、そんな素直な言葉で、す、好きなんて言われたら、私からは何も言えなくなるじゃないですかっ!  なんでこう貴方という人はそんなに真正面から私を黙らせに来るんですか!!」

「別に黙らせるつもりはなかったが……俺としては素直に言葉を伝えただけだし」

「素直すぎるところが恐ろしいんですよこの天然っ、真っ直ぐっ、純朴ぅ~~」

 

 それは貶してるの? 褒めてるの? どっちなの?

 鹿苑は言葉が出ずにただ唸っている。そんな彼女を更に刺激する爆弾を1つ(反応が可愛いので)。


「少なくとも場のムードだけは良いしな、このロケーションは」

「暴走してる時の私の発言は忘れてくださいってばぁ!」


 暴走って自覚あったんだな、あれな。

 ぽかぽか叩いてくる鹿苑の拳を両手で受け止めつつ、俺はいっぱいいっぱいになっている彼女に問う。


「で、その鹿苑が嫌われるかもしれないと思った理由ってのは何なんだ?」

「……言いたくありません」

「納得してくれたわけじゃないのかー?」

「…………うぅ~~」


 唸っても見逃さないからな。上目遣いで恨めしそうに見て来る鹿苑だが、まだまだ甘い。恨めしそうな鹿苑すら可愛く見えるほど、俺は彼女にぞっこんなのだ。

 俺と鹿苑の睨み合い(?)が続く。結局、折れた鹿苑がぼそりと言葉を漏らした。


「私、…………………なんです」

「……なんだって?」

「で、ですからぁ、私はぁ、エッチな女の子なんですぅっ」


 自棄になった様子で鹿苑は思い切った言葉を告げる。

 エッチな女の子? 鹿苑が? 

 俺が目を白黒させてるうちに鹿苑が畳みかける。


「恋人繋ぎとか、その『あ~ん』とか、間接キスとか、えとえとあとは腕を組んだりとかっ、そういうことがしたい破廉恥な女の子なんですよっ、私は!」


 ……は、はぁ。熱弁する鹿苑に対して俺はそんな反応しか残せない。

 つまり、その、


「何処がエッチなんだ?」

「エッチですよっ、結婚前の男女が距離感のない関係性を望むなんて!!」


 強い語気から慮るに鹿苑にとって恋人繋ぎとかそういう行為はエッチなことなんだろう。でも俺からすれば、鹿苑が望んだことはありふれた恋人関係で行われる程度のことでしかない。お嬢様と庶民の価値観の違いが如実に出てるな、これ。

 なんだか一気に肩の力が抜けた。その程度のことか。


「何でそこで安心してるんですか」


 鹿苑は不満気な顔をする。


「こっちは心臓がはち切れそうなくらいなんですよっ?」

「嫌われるかもしれないなんて言うから、もっと深刻なものが出て来るとかだと思ったんだよ」

「例えばなんですか?」

「……不治の病に侵されてるとか」

「そんなことはありませんっ、健康体です!」

「なら良かった、ほんとに」


 他には転校とか、父親に交際を反対されてるとかを想定していた。俺達の仲を引き裂いてくるような深刻なものが来るんじゃないか、と。まぁ、だからといって鹿苑が望んでくれるならば恋人関係は何としてでも続けるつもりだけれども。

 だが、今は仮定の話なんかより、鹿苑の『エッチな女の子』認識についてすり合わせを行わなければ。


「まず初めに言っておく。鹿苑、俺の価値観からすれば鹿苑がしたいことは全然エッチじゃない。むしろ健全だ」

「そ、そうなのですかっ? でも家では淫らなことだって思われてましたよ?」

「それは鹿苑家が厳格だからだと思う。世間一般では恋人繋ぎとか、『あ~ん』とか、腕を組むとかそういうのは恋人関係になったら普通にやるものだから、そういうことをしたい鹿苑を俺はエッチだと思わないし、思えない」 


 断言した俺に鹿苑は困惑半分、納得半分、ほんのちょっぴりの期待が籠った複雑な表情で「はぁ」と感嘆の息を漏らす。

 それから無垢な表情で言ってきた。


「じゃあ、エッチなことってなんですか?」

「――ぉ?」


 今度はこっちが言葉に窮する番だった。

 エ ッ チ な こ と ?

 そりゃあ、あれとか、あれとか、あれとか、あれとかだが、しかしここで恋人に――純粋培養お嬢様な鹿苑に言うのは憚られる。

 脂汗を額に浮かべて考えて、なんとか俺は穏当なそれを絞り出した。


「キ、キスとかだな」

「た、確かにエッチです……」


 鹿苑は頬に手を当て、口元に出る恥ずかしさと頬の緩みを押し隠す。お嬢様の鹿苑のエッチの感覚は庶民な俺より一段階敏感であると考えた方がよさそうだ。

 

(ということはキスまではゆっくり距離を詰めていくのがよさそうだな)

「何れすることになるでしょうから今の内に覚悟決めますよ私!」


 …………訂正。鹿苑はやっぱりエッチかもしれない。単なる純粋培養お嬢様ではないらしい。俺以上に積極的だった。肉食系だな。

 俺と鹿苑の話合いが終わったところで、タイミングよく観覧車が止まった。係員がゴンドラの扉を開けて、俺達に退出を促す。

 俺は鹿苑に右手を差し出した。


「お手をどうぞ、お嬢様?」


 鹿苑は左手を俺の右手に重ねる。


「なんだかご機嫌ですか?」

「否定は出来ない」


 観覧車が1周する時間で俺と鹿苑はまた少しだけ距離を詰められた。それに喜ばずして何に喜べば良いのか。

 俺が鹿苑を引っ張る形でゴンドラから跳び下りる。着地でバランスを崩した鹿苑の体を抱き留めると、距離が近くて反射的に体を離した。

 けれども手だけはしっかり繋いでいて、再び指と指とを絡め合わせて恋人繋ぎを作る。離れないように固く、結んで。恋人繋ぎというのは、恋人同士の離れないという意志の表れなのだと俺は初めて気づく。

 観覧車の乗り場を歩調を合わせて俺達は出た。それから2人で辺りを見回す。


「恋鐘の奴は何処に行ったんだ?」

「乗る前と同じところで待ってそうではありますけれど」


 しかし鹿苑はいなかった。合流する場所はきちんと決めておくべきだったか。観覧車に乗っていた俺達にとってはさして長い時間に感じられなかったが、乗ってない恋鐘からすれば長い時間だったろうし、恋鐘は何処かのカフェテリアか売店で暇をつぶしているのかもしれない。

 鹿苑がスマホを取り出した。


「連絡をとってみますね――っと、連絡来てました。『疲れたから先に帰る』……とのことです」

「体調でも崩したのか? 無理させちまったかな」

「もしかしたら言ってないだけで、他の恋愛相談を受けてらっしゃるかもしれませんね。私たちの問題は一応先週に解決しているわけですし、新しい相談相手がいるのかも……」


 今日、同行してもらったのは俺達の我儘によるものだ。恋鐘の仕事は厳密に言えば、バレンタインデーで俺達が恋人同士になった時に終了している。今日の同行は彼女にとってイレギュラーな仕事だったに違いない。


「何かお詫びの品を買っていくか。恋愛相談に乗ってくれたお礼も兼ねて」

「そうしましょう。私も機会を逃していたんです。幸い、ものを買うのに困る場所じゃありませんし」


 笹良ドリームランドは大した特徴もない普通の遊園地だ。けれども普通の遊園地は普通の遊園地なりに、普通の販売店があるものだ。価格は観光地価格でちょっと高いが、しかし高校生のお礼としてはこの程度がちょうど良いことを貰い手として知っている。

 しかし、


「恋鐘は俺達が2人で買い物できるように気を遣ったのかもしれないな。バレンタインデーの時もそうだったんだろ?」

「もしそうだとしたら、恋鐘さんはたいへんな気遣い屋さんですね」


 恋鐘の恋愛相談に対する姿勢は本物だから、そんなこともあるかもしれない。

 でもだとすると、恋鐘の恋愛相談に対するモチベーションは一体何処から湧いてくるのか。そんな疑問が泡のように浮かび、消えたのだった。

 

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