ep.03 チケット

 結局、俺達が落ち着ける場所は日当たりの悪い教室棟の校舎裏だった。


「なんか、すみません……」

「まぁ、仕方ないだろ、こればっかりは」


 鹿苑は有名人だ。地元の名士、鹿苑家の生まれということもあるが、どちらかといえば鹿苑茉莉花が男を連れているという事実の方に目を引いたのだと俺は思う。

 付き合う前、彼女は俺を毛嫌いしているような振る舞いをしていた。それは照れと人付き合いの苦手さが生んだものだとCルームで聞いている。俺以外には人付き合いの苦手さが表に出てしまい素っ気なく振舞ってしまう、ということも。その普段のそっけないクールビューティな振舞いが『謎めいた深窓の令嬢』というイメージを彼女に植え付けていた。神秘性は人を惹きつける。多くの学生にとって彼女はある種の境界線の向こう側に立つ存在で、テレビの中の手の届かない存在なのだ。

 そんな彼女が? 誰とも知らない馬の骨と一緒にいる? そりゃ、気になるというものだ。俺も彼ら彼女らの考えを否定は出来なかった。

 

「なんで私ってこんなに注目されちゃうんでしょう……」

「綺麗だからだろ」

「き、きれいっ?」

「すらりとした体つきと艶のある黒髪ストレート。切れ長の瞳は冷たさを感じさせる一方で妖しさも併せ持っていて引き込まれる。肌の健康的な白さは言うまでもないな。おまけに華奢な体つきは――わぷっ」

「も、もう良いですからぁ!」

 

 顔を真っ赤にして叫びながら、鹿苑は両手で俺の口を塞いできた。

 

「そういうの臆面なく言うの止めてくださいっ。恥ずかしさで死にそうですっ」

「あと、喋ってみると可愛さ満点のところとかな」

「止めてくださいって言いましたよねぇっ!」


 とたいして痛くないパンチで胸を殴って来る鹿苑。止めて欲しいなら、そういうことを止めて欲しい。こっちは可愛さで死にそうなんだが? ってか死ぬが? お?

 

「また変なこと言ったら、お弁当差し上げませんから。二度と作りませんからっ」

「勘弁してくださいお許しください」


 切り札を切った鹿苑に俺はなす術もなく平伏する。それは卑怯だ。じゃんけんしてるのに、相手を殴り倒すようなものだ。


「まったく貴方はそういう素直なところが美点ですが素直すぎるきらいがあるようですねまったくまったくもう素直すぎるのも考えものですもう少し手加減して欲しいと言うかいえもっと言って欲しい気持ちはあるんですがそういうのは心の準備が出来た時が良いので普段からさらっと言って欲しくなくてもっと伝家の宝刀にしてここぞという時に使って欲しいんですつまり大事に大事に温めておいて口説いて欲しいんです大事なのはムードムードです」


 鹿苑は早口でそうまくし立てた。時折、早口になって自分の世界で語るよな鹿苑って。だんだん彼女の実像がつかめるようになってきたぞぅ。

 とりあえず言いたいことは言い切ったのか、鹿苑は息を整える。


「とにかく、とにかくですっ。お弁当を食べましょう。そのためにここまで来たんですからっ」


 そして渡されたのは鹿苑が持つ2つの包の内、大きい方の包だった。

 俺はそれを宝物のように受け取る。


「ほんとに良いのか?」

「受け取ってください。貴方のために作ってきたんですから」


 鹿苑がはにかんでそう言った。その表情に、その言葉に胸が高鳴った。

 それはずるいだろ。そんな心底嬉しそうな顔で俺のためになんて言われたら、どうすりゃ良いのかわからなくなる。


「どうされました?」

「い、いや何でもない。いただきます!」


 誤魔化すために勢いよく手を合わせる。そんな俺に鹿苑は「どうぞいただいてください」と満足気に言った。

 包から四角い弁当箱を取り出して、蓋を開ける。

 中身はご飯とおかずがちょうど弁当箱内を均等に分けて入っていた。ご飯の方は白米の上に梅干しが乗ったシンプルなもので、おかずの方は卵焼きと竜田揚げ、ホウレンソウのおひたしに、五目きんぴら、漬物とバリエーション豊かだ。


「これ朝に起きて作ってくれたのか?」

「はい」

「昨日の残りとか冷凍食品とかではなく?」

「はい」


 つまりは徹頭徹尾、鹿苑が作ったものだけの手作り弁当。驚くべきはおかずの種類の豊富さだろう。朝からこれだけの量を作ったというのか? 


「それだけ驚いてくださると朝早く起きて作った甲斐があります」

「何時に起きて作ったんだ? 5時とか?」

「4時……いえ、3時半ですね。気合が入って目が覚めてしまいました」

「3時半って……無理してないか?」

「無理はしてないです。お弁当を作るために、きちんと早寝しましたから。気兼ねなくお食べください」


 微笑む鹿苑の目元に隈はない。少なくとも睡眠不足ということはなさそうだ。だけど3時半起きという衝撃が消えたわけではない。

 バレタインデーの時に言っていた「見栄を張る」ということなんだと思う。だから鹿苑は見栄っ張りな性分なんだろう。

 

「ほんとはご飯の方ももうちょっと豪華にするつもりだったんですけどね」

「例えば?」

「混ぜご飯とか、そぼろとか、ですかね。お手伝いさんに止められましたのでやめたのですけど」


 お手伝いさん、グッジョブ!


「ほんとうはもっと美味しいもの食べていただきたかったんですけどね」

「いやいやいや、もう十分美味しいから。この卵焼きとか味付けが絶妙だし」

 

 3切れ入っていた卵焼きを1切を食べてから言う。卵焼きは砂糖が入った、いわゆる甘い卵焼きだった。甘い卵焼きは砂糖の量を間違えるとおかずと呼べなくなるくらいに甘くなってしまうので砂糖の塩梅が難しいところではある。鹿苑が作ってきてくれた卵焼きはその塩梅が完璧だった。ほんのり甘さを感じる味付けはしょっぱいものが欲しくなる程度の甘さで、おかずを食べる手が進む。

 

「文句の付け所なんていっさいないけど」

「ですが、やはり差し上げるなら完璧が良いんです。好きな人には良いものを食べていただきたいですから」


 真剣な瞳で鹿苑はそう言う。そんな彼女を見て俺は考えを改めた。


(見栄っ張りじゃなくて愛が重いんだな、うん)


 どうしてだろう。背筋がぞくぞくしてきた。恐怖とも興奮とも違う感情。なんだろうな、これ。独占される喜びみたいな変態ちっくな言葉が当てはまる気がして自己嫌悪する。

 ええい、こういうときは肉だ、肉。竜田揚げを口に放り込み、豪快に噛み砕く。じんわりと醤油の辛さが口いっぱいに広がる。噛み応えのある肉感が飢えた腹に喜びを与える。

 次はホウレンソウ食べるかと思って箸を動かすと、視界の端に不自然な黄色い物体があるのを見た。

 なんだこりゃ、と思いながら見ると、それは鹿苑が箸に挟んだ卵焼きだった。鹿苑は恥ずかしさを押し殺し、上目遣いの蚊の鳴くような声で、


「あ、あ~んです」


 と言った。

 あ~ん、か。あ~ん、か。あ~ん、か。

 …………――

 

「うぇひぃぁ?!」


 事実を認識し、反射的に素っ頓狂な声をあげてしまう。

 落ち着け、落ち着け俺の心臓。彼女の可愛いにはもう何度もドギマギしていたじゃないか。これもその1つ、そうその1つに過ぎない。もう慣れたはずだ。いやそう思ってないとやってられない!

 鹿苑が震えている。緊張と期待で震えている。ええいっ、覚悟を決めろ飯田和治! 彼女にそんな顔をさせるな!!

 口を開き、差し出された卵焼きに俺は近づいていく。


「あ、あ~――」

「――バカップルねぇ、まったく」

「「わっひゃぁ!」」


 突然割り込んだ声に2人して驚いて、奇声を上げる。鹿苑は箸を取り落とし、卵焼きは地面へと真っ逆さまに落ちていく。

 

「うおっ、危ねっ」


 なんとか体を動かして宙を舞う卵焼きと鹿苑の箸を保護した。背中に走る線をなぞるような痛みは急に変な風に体を動かしたせいで筋を痛めたか何かだろう。

 ったく、大事な時に変な割り込みはしないでもらいたいものだ。俺はその割り込んできた声の主――恋鐘愛を睨みつけた。


「流石に今のは酷くないか?」

「ごめんって。そんなに驚くとは思わなかったのよ」

「驚くに決まってるじゃないですかぁっ」


 鹿苑の涙目の抗議を恋鐘は笑って受け流す。てんで効いてないようだった。

 俺達2人の覚悟を不意にした恋鐘に俺は苛つきを隠せない声で言う。


「なんの用だよ」

「そんな怖い顔しないでちょうだい。アンタたちに良い話を持ってきたんだから」

「今の『あ~ん』よりもか?」

「『あ~ん』よりもよ」

「『あ~ん』って言わないでください、『あ~ん』て!」


 鹿苑が耐え切れずに恥ずかしさで爆発した。ちょっと揶揄いすぎちゃったか。頬を膨らませる彼女を愛おしく思いながら、恋鐘を促す。


「それで? 良い話ってのは?」

「じゃーん、これな~んだ」

 

 恋鐘が自慢げに見せつけてきたのは2枚のチケットだ。其処には近くにある遊園地の名前がでかでかと書かれている。

 恋鐘はいつものように堂々とした態度で俺達に告げた。


「今週末、遊園地デートに行きなさい!」

「「遊園地、デート?」」


 また唐突かつ強引な……。そもそもそのチケットは何処から手に入れたんだろうか。手放しで貰って良いものなのか?

 そんな俺の疑問なんて露知らず――知ってても無視するだろうが――恋鐘は俺の手に2枚の遊園地のチケットを握り込ませた。

 

「良い? 遊園地デートっていうのは他のデートスポットと違って、待ち時間が多いの。その待ち時間をどのように過ごすか、過ごせるかで恋人関係がどうなるかが決まるわ。だからアンタたちは心してお互いのエゴをぶつけ合わせて、相互理解を深めなさい。良いわね!!」


 恋鐘は力強く俺達に言い放つ。彼女に恋愛相談をした俺達にとっては、まぁ慣れたとはいえないが、初めてではない強引さだ。

 だが、経験があるからといって彼女の言葉に素直に従えるわけではない。


「えっと、その、まだ私たちって恋人になってから間もないじゃないですか。ですから2人きりで遊園地デートは流石にハードルが高いと思うんですよね」

「正直、まだ2人きりの時間になれてない。俺なんかは嫌われてたと思ってたわけだし関係性の変化に追いついてないというか。」


 だから、と俺達2人の思いは一緒だった。


「「遊園地デートについて来て欲しい」」


 俺達の申し出に恋鐘は面食らう。デートに行ってこいと気を利かせたのに、それを拒否されたのだから当然だ。それでも恋鐘は優しく微笑んでこう言ってくれた。


「しょうがないわね、このヘタレカップル」


 


 

 

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