第4章 デート

ep.01 戸惑い

 週が明けて、2月16日月曜日。今日も今日とて俺は朝礼ギリギリに登校する。

 恋人になってから――今でも信じられないのだが――最初の登校日だ。鹿苑と一緒に登校するべきなのかどうか迷ったが、彼女の家と俺の家は学校を挟んで正反対の位置にあるため、一緒に登校するのは土台無理な話である。一緒に登校とか憧れてたから、かなり残念だったが諦めるほかなかった。悔しい、ほんとに悔しい……!

 無念に思いながら教室の横開きの扉を開く。建付けの悪い扉はがたがたと音を立てて開く。

 扉を開けて教室に並ぶ席へ目を移す。目的は勿論、鹿苑だ。前の俺の席にいるか直ぐに場所はわかる――っと?

 席に座っていた艶やかな黒髪の彼女はいつも読んでいる小難しそうな本から目を離し、こちらを――俺ではなく教室の扉がある方を向いていた。なんだか何かを期待している、そういう風に見える表情だった。

 「なんでわかったんだろ? というよりあの表情は何だ?」と疑問していると、鹿苑はやたらとかくついた動きで、俺の方にやってきた。

 

(お、おう?)


 狼狽える俺の前に彼女は来た。顔が赤くなっているのは暖房のせいじゃないだろう。

 頬を朱に染めた彼女は小さな声で一言、


「おはよう、ございます」


 と言った。

 おおう。思わず顔に左手を当て、天を仰ぐ。


(俺の彼女、可愛すぎる……ッ!)


 なんだよ登校していきなり寄ってきて小声で挨拶とか俺を可愛さで殺す気かよこんちくしょうにやけがとまんねーっての。

 と、いかんいかん。挨拶をされたんだから、挨拶をせねば。ごほんと一つ大きな咳払いをしてからなんとかにやけ顔を誤魔化して、平常心を努めて口を開く。


「あぁ、おはよう」


 挨拶を返された彼女は驚いた様子で目を見開いて、それから恥ずかしそうに眼を逸らした。多分、彼女も俺が彼氏になったことが現実感がなかったのだろう。その気持ちはよく分かる。俺だってそうなんだから。

 そして当然、あのバレンタインデーを経験していないクラスメイト達はこの光景を異様に思うわけで。


「え、え? 鹿苑さんが男子に挨拶?」

「ちょ、ちょっと待て、飯田! どういうことだ!」

「あの難関不落な茉莉花さんが男に挨拶ですって?!」


 クラスの連中がそんな叫び声をあげた。うるさいな、こっちにはいろいろあるんだよ。

 騒がしい周囲を無視して、俺達は会話を続ける。


「もしかして待っててくれた?」

「――! い、いえそんなことは、ない……です」

「俺が来た時に見せた期待に満ちた顔してたけど。もしかして扉が開くたびに毎回やってたり?」

「う、うぅ、うぅ~~」

「恥ずかしいからってしない」


 大して痛くない連続パンチ――多分、彼女は本気だ――を胸で受け止めながら、俺は思う。


(これが幸せって奴か……)


 何だろう。鹿苑は俺は幸せで殺すつもりだろうか。サービスが過剰すぎる。なんで朝からこんな『可愛い』を休む間もなく見せつけてくるのだろうか。照れ顔で連続よわよわぱんちとか最高じゃないか……! 一層騒ぎ出すクラスメイト達の声は知らん。今の俺は彼女との時間だけを大切にしていれば良い。

 幸せな時間を現在から切り取って永遠に閉じこもりたいが、しかし俺の青春にそんなトンチキは存在しない。無慈悲にもキーンコーンカーンコーンと始業を告げる鐘が鳴る。

 

「あっ」

「また後で、だな」

「うぅ、もっとおしゃべりしたかったです……」

「……あぁ、悪い。そうか、一緒に登校できなければじゃあ、明日からはもうちょっと早く来るようにする」

「お願いしますっ」


 満面の笑みで鹿苑は言う。尻尾がついてたら振ってそうだ。猫系だと思ってたら、子犬系でござった。可愛いか? 

 必死に緩む頬を抑えながら、俺は自分の席へと向かった。相沢は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていた。


「一体何があったのさ」

「あ~、まぁ、お前になら良いか。付き合うことになったんだよ、俺達」

「俺達って、和治と誰?」

「鹿苑だよ、鹿苑」

「……どんな魔法を使ったのさ。催眠アプリ?」

「失敬な。んなもん使うか」

「じゃあ、何したの」

「ん~~」


 相沢の問いに、俺は言葉を濁した。

 恋鐘に頼ったというのは簡単だが、しかし恋愛相談を明け透けに話すものではないとは思う。プライベートなものだし、いくら相沢でも話したくない。

 相沢は気分を害した様子はなく、爽やかに笑って、 


「まぁ、いいや。とりあえず、おめでとう。これで晴れて好きな人の恋人になれたってわけだね」

「ありがとよ」


 俺達は拳と拳をと合わせた。ほんと良い奴だ。こんどジュースでも奢ろう。


「皆さん、席に着いてください」

 

 担任の先生に促される生徒の1人として俺は速やかに席に着く。恋鐘を横目で見た。彼女は得意げな顔で俺を見ている。俺が着席をすると、恋鐘はこう耳打ちしてくる。


(せいぜい感謝しなさいよ)


 分かってる。心の底から感謝してるさ。恋鐘には今度、お礼としてお菓子でも奢ろう。

  


 

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