ep.08 告白

「こうしてこの傷のついた赤い宝石は母の形見だけでなく、貴方との思い出の品になったのです」


 鹿苑はそう昔話を締めくくった。

 中学2年生の頃に俺が彼女の手助けをした、とそういう話だったが、しかし俺としては、


(――っべぇ、全然覚えてねぇ)


 中学2年の俺はというとちょっと中二病入ってて、ただの人助けをするのにもかっこつけてたから今思うと黒歴史なんだよな。実際、鹿苑の手助けした時もそうだったみたいだし。そういうわけで今の俺としてもあまり思い出したくはない話だし、そもそもやっぱり覚えていないのだった。

 日時やら内容やら結構詳しく話してもらって悪いが、彼女の記憶の鮮明さに対して俺の記憶は曖昧だ。おそらく目が極端に悪い人が眼鏡をかけている時と眼鏡をはずしている時と同じくらい違う。まったく俺は覚えてない。記憶の端にもかからない。

 語られても思い出せない情けない俺を見て、鹿苑は微笑んだ。


「良いですよ。無理に思い出そうとしなくて」

「いや、だけどさ、鹿苑が大事にしてる記憶なら俺だって大事にしたい」

「そういう気持ちを持っていただいてるだけでも十分ですよ」


 「それでも……」と俺は食い下がる。そんな俺を見て、鹿苑は微笑みの種類を変えた。まるで「仕方がない人」と言いたげな呆れを含んだ笑みだった。


「だったら私が貴方にとっての特別になってからの思い出は全部覚えていてください。私が貴方にとってのありふれた誰かではなく、貴方にとっての特別な誰か――貴方が好きな誰かになってからの思い出は」


 鹿苑は両手でしっかり持って、俺に紙袋を差し出す。バレンタインのチョコレートが入った紙袋を。


「私は貴方のことが好きです。付き合ってください」


 彼女の声色に震えも、紙袋を差し出す腕にも震えはなかった。

 対する俺は想定していた事態にも関わらず、上手く受け止めることが出来ずに心の震えが止まらなかった。


「いいのか? 俺みたいな思い出も忘れてしまうような男で」

「いんです。思い出を大事にしたいと言っていただけました。その姿勢だけで今の私には十分な幸せです」


「いいのか? 鹿苑をほっぽりだして顔も知らない誰かを助けに行くような男で」

「いいんです。私はそういう貴方の揺るがない姿勢を好きになったのですから。むしろ其処を損ねられたら、貴方のことを嫌いになっちゃいます」


「いいのか? 俺は鹿苑の思うような頼りがいのある男じゃないかもしれないぞ」

「いいんです。その時は私が貴方の足りないところを補いますから。ですから貴方は私の足りないところを補ってください」


 なら、


「俺は俺自身のエゴを鹿苑に晒す。それで貴女を失望させるかもしれない」

「私は私自身のエゴを貴方に晒します。そういう醜い部分をきちんと受け止めていく覚悟は出来てます」


「そういえば、自称恋愛マスターもそんなことを言っていたっけ。恋人関係を長く続けるのはエゴとエゴをぶつけ合わせることだって」

「私たちに限って恋愛マスターは自称じゃなくなるんじゃないですか? だって現にきちんと結び付けてくれたのですから」


 それは……違いない。

 鹿苑の悪戯っぽい微笑みに俺は苦笑して同意する。いや、本当に、あの滅茶苦茶なやり方を採用した恋鐘にはいろいろ言いたいことがあるが、しかしきちんと約束を果たして見せた。もう彼女には足を向けて寝られないな。

 俺は彼女の目の前に立つ。光と影の境界を挟んで立つ。俺と彼女の間にはチョコレートが入った紙袋がある。

 これは1つの証だ。俺が紙袋を受け取れば、俺は鹿苑の告白に肯定の返事をしたことになる。

 だけど、この期に及んで俺はまだ恐れている。彼女から失望されることや嫌われることを。これまでだって嫌われていると思っていたがそれは曖昧だったから耐えられただけで、確定してしまった場合は俺はきっと耐えられない。

 影の中で俺は立ちすくむ。ただ腕を伸ばすだけの行為が、ただそれだけのありふれた行為が俺には出来ない。ちくしょう。早速、無様を晒してる。一番恐れていることを一番早く手繰り寄せようとしている。

 成功率100%の告白の答えも出せない、そんな臆病者の震える右手が突然、温かいものに包まれた。

 それは鹿苑の右手だった。彼女は掴んだ俺の右手を思いっきり街灯の下へと引っ張ったのだ。

 完全に虚を突かれた俺の体は非力な彼女の力であっても体勢を崩す。そして体勢を崩した俺の胸に左手で力強く紙袋を押し付けた。

 そして照れた顔で、しかし俺に挑みかかるように鹿苑はこう言ったのだ。


「へ、返品は受け付けませんからっ」


 鹿苑が左手を放す。重力に従って落ちそうになる紙袋を俺は受け止める。

 握ったせいで紙袋の形が悪くなるのも気にせずに、俺は彼女に告げた。


「返す気もないよ」


 

 こうして俺達は恋人になった。

 バレンタインデーの寒空の下。未だに距離感を掴みかねている俺達は、それでも肩を並べて暗くなった住宅街を歩いていく。

 これから先、俺達がどうなるのかは分からない。もしかしたらすぐに別れてしまうかもしれないし、末永く寄り添い会うかもしれない。未来は超能力者でも高度なコンピュータでもない俺には予測がつかないものだ。

 だから確かな現在いまだけを噛みしめて、俺は恋人となった鹿苑を同じ時を過ごすのだった。

 

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