ep.06 仕切り直し

 駅前でやたらと重そうな荷物を持ったお婆さんを手助けすることになった。というより、無理矢理に手助けすることにしたのだが。

 お婆さんの方は深く遠慮していたものの、放っておくわけにはいかなかった。だって潰れそうな様子だったのだ。見過ごすのはあんまりにも忍びない。途中で交通事故にでもあってしまわないかと心配だった。だから無理にお節介を押しとおした形で家まで送っていった次第である。

 平屋建ての一軒家の玄関に荷物を運び込むとお婆さんは、


「ありがとうねぇ。ちょっと待っててね」


 とだけ告げて、奥の方へと向かっていった。そして何やら2つの小さな包を持って戻ってくる。包にはここらでは名店と言われている店の店名が書かれていた。


「これ2人で分けて」

「あ、ありがとうございますっ」「ありがとうございます」

「ごめんなさいねぇ、デート中に」

「「――――っ!」」

 

 お婆さんが発した思いがけない言葉に俺と鹿苑は息を呑んだ。頬の熱は誤魔化しきれない。


「あらあら、2人して顔を真っ赤にしちゃって……初々しくて可愛らしい恋人さんたちだこと」

「お、俺達は別にそういう関係じゃ……っ」

「そうです! まだ私たちはそういう関係じゃありません!」


 反射的に俺達は否定する。けれどもお婆さんからすれば、それすらも仲良しエピソードになってしまったようで、「あらあらうふふ」と微笑んでいる。

 「それじゃあね~」と柔和な微笑みを浮かべて俺達は見送られた。と音を立てて玄関が締められると、再び俺達の2人きりの世界が帰ってくる。

 

「…………」

「…………」

「帰るか」

「帰りましょうか」


 お婆さんのせいで変な空気になってしまった。俺達は互いに目を背けながら、暗い住宅街を歩く。日がすっかり落ち切っているのだから暗いのは当然だ。おまけに此処は白い街灯が点々と照らすだけだから、世界は酷く暗く映った。十字路から不審者が出てきて、犯罪でも起きそうなくらいである。

 帰りは送った方が良いんだろうか、いや鹿苑くらいならお迎えとかありそうだな。となると俺はあんまり一緒に長く居ない方がよさそうだなぁ。

 そんな詮無いことを考える。わかってる。これは現実逃避だ。いつまでも現実から目を背けているわけにはいかないだろう。

 彼女の覚悟と勇気をにしてしまったことを無視するわけにはいかないだろう。

 くそっ、不味ったなぁ。最初で最後の機会だったのに、衝動的に動いてしまった。あまりにも短慮だった。俺の事情は俺だけの事情じゃなかったのに、蔑ろにしてしまった。あまりにも不誠実だ。あまりにも無神経だ。こればっかりは何の弁解のしようがない。完全に俺に非がある。恋鐘に謝らなきゃな。真面目に取り組んでくれていたのに努力を水の泡にしてしまった。

 まぁでも、人助けして振られるんならそれはそれでしょうがないかな、うん。振られる理由としてはまぁ俺個人としては納得できる。鹿苑は納得しないだろうけれど。 こんな中途半端な恋の終わりは。

 傷跡を残しそうだ。傷ではなく、傷跡を。いつまで経っても消えてくれない傷跡を。

 恋が終わった傷はあまり気にならない。だって中途半端な恋の終わりは明確に振られたとも、言えないからだ。だけど中途半端な恋の終わりは曖昧だからこそ、踏ん切りがつかなくて、不完全燃焼で、いつまでたっても忘れられない。有り得たもしも、妄想染みた自分の落ち度、そして裏切りへの怒りとも恨みとも悲しみとも言えないぐちゃぐちゃの感情。そういったものがいつまで経っても振りほどけない。経験があるから俺には分かる。この傷跡は小さくても、鬱陶しく思えてしまうものだ。

 だから精一杯の言葉で俺は俺達の中途半端な恋の終わりにたどたどしく明確な線引きをする。


「あのさ、鹿苑、俺は――」


 だが、俺の情けないとどめを遮るように彼女が言葉を紡いだ。


「変わりませんね。見ず知らずの人を助けてしまうところ」

「え――?」

「変わらないと言ったんです。見ず知らずの人にあまりにも簡単に手を差し伸べてしまうところが」


 俺は立ち止まって振り返る。鹿苑は白い街灯の下で微笑んでいる。

 どうして、どうして微笑んでいる? なんでそんな何もかもに満足をしているというような顔をしてるんだ? こちとら鹿苑の覚悟と勇気を無駄にしたゴミ屑だぞ。

 俺の疑問をそのままに、鹿苑は胸元にぶら下がっている傷ついた赤い宝石のペンダントを持ち上げた。


「これのことを覚えていますか?」

「覚えてるかどうかって…………悪い、全然記憶がない」


 傷のついた赤い宝石なんて俺の平凡な人生とは縁がないものだ。というよりも関わりがあったらいけないものだ。そんな高価なものとただの高校生の縁が出来たなら、それこそ犯罪現場に出くわした場合だろう。

 何を言っているのだろうか、鹿苑は。分からない。今までで一番分からない。彼女は何を考えているのだろう。

 鹿苑は唇を尖らせながら微笑むという不可解かつ複雑な表情を器用に見せると、


「そう、でしょうね。忘れられていることはちょっぴり、たいへん、とっても悲しいですが、ですけどそういうところに貴方の純粋な善性が現れてます」


 と訳の分からないことを言った。そして悲しみを湛えた瞳でこう付け足す。


「酷い人。これが私を貴方に引き合わせてくれたのに」


 自己完結で傷つかれてしまった。こちらとしては訳が分からないので、なんとも言いようがない。謝れば良いのか、それとも深く踏み込んで良いのか。判断が難しい。


「ごめんなさい、訳が分かりませんよね。1から説明させていただきます」


 鹿苑は傷ついた赤い宝石のペンダントに視線を落とした。


「これは私の母の形見なんです。私の母は小学生の頃に亡くなっていて、このペンダントはその時に私が受け取りました」

「……なら傷がついてしまったのは残念だな。大切なものだろうに」


 彼女は頭を振る。


「ですが、傷だけで済んだのは幸運だったんです。母の形見は私の手から永遠に失われるところだったのですから」

「それはつまり、失くしそうになったってことか?」

「はい。ですが、私の手元にペンダントがあるようにペンダントは失われずに済み、そしてより大きな幸運を持ってきてくれました」


 鹿苑は赤い宝石の傷を愛おしむような手つきでなぞった。その優しい手つきには何か大切なものを慈しむ心が籠っていると分かる。

 では、その大切なものとは一体何なんだろうか。

 

「すまない、鹿苑。何が言いたいんだ? いまいち意味が――」

「貴方です。貴方がこれを私の手に戻してくれたんですよ」

「――どういうことだ?」


 俺が首を傾げると、鹿苑はまた悔しいような、悲しいような、それでいて嬉しいような複雑な微笑みを浮かべる。

 そして語り出す。彼女にとっては特別で、しかし俺にとっては何でもないとある出来事を。


「あれは私たちが中学2年生のころの、ちょうど同じくらいの時期のことでした――」



 

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