ep.02 初デート(?)
目がちかちかする。それが最初の感想だった。
配色や電飾が原因ではない。文字が原因だ。
今日は何の日だった? そうバレタインデーだ。こんなイベントを商売人たちが見過ごすはずがない。あちらこちらに『バレタインデー』『バレンタインデー』と中毒になりそうなくらい並び立てられている。
俺達が今いる場所は駅ビル。その2階。踏み入れた途端に思わず倒れそうなくらいだった。
待ち合わせの場所から移動して、今日のデート――すっかりその言葉を忘れていたが!――の場所として鹿苑が提案したのが駅ビルだ。一介の地方都市ではあるのだが、駅開発の時期が良かったのか立地がよかったのか、理由は分からないが、駅ビルに入っている店舗はやたらと豪勢というか、相応の値がする商品を扱うと同時に質が高い。旅系番組やら雑誌やらでは『立ち寄りたい駅』としてよく取り上げられているという。
そういうわけだから地元の学生にとっても地元の駅ビルはおしゃれなカフェと同様憧れのスポットになっていた。そしておしゃれなカフェとか一切興味のないタイプの男子高校生としてはほぼほぼ無関係な場所である。
つまり場違い感が酷い。いや、ほんと、「俺ここに居て良いんですか……?」と周囲の人たちに聞きたいくらいだ。客層は財布のひもが緩い観光客や少しリッチなものを買い求める大人たちといった具合で、明らかに学生が居て良い場所じゃない。
(でも、鹿苑は堂々としてんだよな)
少し先を歩く鹿苑を見やる。流石は名家のお嬢様と言うべきか。場の雰囲気に萎縮することなく、むしろ誰よりもこの場に馴染んでいるように見えた。
格の違いを見せつけられた。庶民の俺とは違う世界に生きてるんだな、と痛感する。
そしてちょっとリッチな空間に馴染むということは、金銭感覚も俺とはずれてくるわけで、
「こういうのはどうですか……?」
さらっと10粒ほどで8000円くらいするチョコレートを薦めて来る。
高い。高いのである。こちとらコンビニで板チョコ買うのにも躊躇してから買うような小市民だ。1粒辺り800円とかチョコレートに払うお金なのか……?
「あまりお気に召さなかったようですね……」
黙りこくっていると、俺が気に入らないものだと勘違いした鹿苑が分かりやすく気落ちした。しゅんと擬態語が彼女の肩あたりから見えるくらいわかりやすかった。
包み隠さず言えば落ち込んだ彼女は可愛かった。小動物染みていて、庇護欲をそそる。特に落ち込んだ、落ち込んでくれた理由が俺のことを想ってくれているというのがたまらなく嬉しかったし、カワイイバイアスを強めていた。いやバイアスじゃないな、バイアスじゃ。れっきとした事実である。鹿苑は可愛いくて、綺麗。何それ最強か?
だが、今日はデートだ。一応は初デートだ。お互いが楽しくなきゃダメだ。一方に一方が気を遣うようじゃ、きっと今日この日はよくないものになるだろう。
だから俺は意を決して1つの問いかけをする。
「一つ確認したい」
「なん、でしょう?」
「鹿苑にとって、この値段は普通なのか? 俺にとってはだいぶ異文化過ぎて戸惑いが強くて、好意をどう受け取ったら良いか戸惑ってるんだ。ほら、お礼とお詫びを兼ねてるだろ? だから無理してたら申し訳ないなーなんて」
情けない話だが、散々恋焦がれておきながら俺は鹿苑のことを全くと言って良いほど知らない。名家のお嬢様で、あまり俺のことを良く思ってないくらいしか、核心的なことは知らない。だから鹿苑のことを考えると、いつだって推測ばかりの結論になる。事実とどれほど合っているかも分からないほとんと妄想に近い結論だ。そしてそんなもので彼女を推し量るのは侮辱だろう。
目の前の鹿苑と誠実に向き合うために俺は彼女のことを知る必要がある。
鹿苑は俺の問いかけを理解するのに一寸の時間、目をぱちくりさせていた。だが直に力強く答えてくれる。
「む、無理なんてしてません! その私がしてるのは無理じゃなくて……そうっ、見栄を張ってるんですっ」
「み、見栄っ?」
「そう見栄です! 折角の贈り物なんだから、きちんとしたものを贈りたいじゃないですかっ」
ふんすと意気込む鹿苑。可愛く気合を入れられると相当に困るわけだが、だが!
自然とにやけようとする口の端を抑えながら、俺は口を開いた。
「その気持ちは嬉しい。本当に。でも、これは流石に値段が高すぎる。そうだな……俺の方が気後れする」
「気後れ……そんなことは――」
「鹿苑からすればそうだと思う。だけど、これはどうしようもない価値観の相違で、受け取る側の俺の問題だ。だから、鹿苑は気にしなくて良い」
素直に鹿苑からの好意を受け取れない自分が辛い。申し訳なさに身がつまされる思いだ。
鹿苑もまたあまり納得できていない様子で、やはりしゅんとしている。
空気が凍り付いていてた。なんとか解凍しようとぎこちなく俺は問う。
「それ、じゃあ……次、行こうか?」
「…………はい」
暗い顔で鹿苑は返事をする。その裏にふつふつとした黒い感情が湧いているような気がするのは俺の思い込みだろうか……?
それからも相も変わらず俺と鹿苑の間の空気は凍り付いたままだった。俺が何かを言うと鹿苑は生返事、鹿苑が提案すると俺の歯切れが悪くなる。そういった感じで、会話のすれ違いが続いていた。
「…………」
「…………」
お互いにお互いが居心地が悪そうにしているのは分かっているだろう。だからどんどん口数が少なくなっていき、ついには口を開くことさえ億劫になってしまっている。
不味い、非常に不味い流れだ。ここから、なんとか挽回しなければ嫌な思い出として今日が終わる。そうしたら折角ものにしたチャンスも不意になり、恋鐘にも合わせる顔がない。
一度リセットする必要がある。俺と彼女の間にある空気を。
「――あぁっと、鹿苑。その、悪いが、ちょっとトイレ行って来ても良いか?」
「え、あ、はいっ、ど、どうぞ……」
さっ、とその場から立ち去って、俺はトイレに駆け込む振りをする。少し離れた柱まで速足で歩いていき、背中を預けた。
「まずったな……」
空気が悪い。悪すぎる。胃がキリキリと痛むくらいに悪い。これまで全然話してなかったのだから、当然空気は悪いだろうなと覚悟していたが、その覚悟が揺らぐくらいにだ。今の空気の悪さの本質は気まずさというよりは焦りからきている。上手くやらなければ、関係が途切れてしまうという焦りから。これまで一切交流がなかった以上、今日失敗したら金輪際チャンスは訪れないだろう。この最大のチャンスは必ずものにしなければならない!……と意気込んでるのが駄目なんだろうなほんとなぁ。
「すぅ――――」
深く、深く深呼吸。落ち着け、落ち着け。焦る必要はない。ただただ確実に一歩一歩距離を詰めていけば良い。
とりあえず、とりあえず、だ。スマホを起こして、Cルームを起動する。呼び出すのは勿論、恋鐘だ。
とりあえず『救援求む』とだけ送っておいた。あとは返信を待つだけだ。
……。
…………。
……………………。
遅いな。既読すらつかない。何か急用でも入ったのか? あれだけ自信満々に恋愛相談を受け付けていた恋鐘が途中で役割を放棄するなんて考えにくい。外せない用事以外、俺からの連絡に答えられない理由はないだろう。
仕方がない。覚悟を決めよう。頼みの綱は頼れない。自分だけで立ち向かわなければならないんだ。
スマホをポケットにしまう。行こう。あんまりのんびりしてると鹿苑が怪しむし。
柱の陰から出て、俺は鹿苑が待っている売り場まで急ぐ。
ごった返す、人、人、人。さっきまで俺達が居た売り場に目をやると、其処に鹿苑はいない。ずっと売り場の前にいたら邪魔だからな。何処かに移動したのだろう。
「あ、いたいた」
見慣れたというより、眺め慣れた鹿苑の姿を見つける。ちょうど売り場の隅っこにいて、誰かと電話をしているようだった。
「…………っ!」
なんだか必死な様子だ。何かあったのか?
人の合間を縫い、俺は進む。進んでいくと声が聞こえてくる。
「いえ、ですからっ――」
鹿苑の声はよく通る。澄んだ透明感のある声が喧騒を貫いて俺の耳に届く。近づくごとに、声は鮮明になってくる。
ほとんど目の前と言った距離まで来ると、そんな声で確かに彼女は、珍しく声を荒げてこう言ったのを俺は聞いたのだ。
「助けてくださいっ、恋鐘さぁぁぁぁん!」
コイカネサン。
恋鐘サン……
恋鐘さん?!
「え……?」
「あ…………」
視線の先の鹿苑の動きが凍り付く。彼女の目に映る俺の姿もぽかんと馬鹿みたいに口を開けて固まっている。
「もしもーし、おーい! どうしたのー-? 何かあったのー-?」
電話口から耳に新しい声が聞こえる。それは俺の恋愛相談の相手、恋鐘愛の声の声に相違なかった。
時を忘れて、視線と視線を重ね合う俺と鹿苑。いつもだったら顔を真っ赤にするところだったろうが、俺は見つめ合っているという危機的状況を正しく認識できないほどに愕然としていた。
「ねぇ、何もないなら切るよー。なんなのーもー!」
痺れを切らし、やや怒気が籠った恋鐘の声が再度電話口から聞こえてくる。
俺と鹿苑がその声に応えられるのはもう少し先になりそうだった。
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