第3章 告白

ep.01 待ち合わせ

 2月14日13時32分。この日は2月にしてはほんの少し暖かかった。

 だが街往く人が浮ついて見えるのは決して気温のせいだけではないはずだ、と駅前の噴水で人混みを眺める俺は思う。

 もう一度言う。今日は2月14日。つまりバレンタインデーだ。男子にとっては女子からチョコレートを貰えるかどうか一日中そわそわする日である。もし今日が土曜日ではなく平日だったら、学校中の男子の落ち着かない様子が散見されたに違いない。

 正直、そんな彼らを俺は白い眼で見ていた。何で貰えると期待するのか。貰えないのが当たり前じゃないか、とそう思っていたからだ。貰えないものを期待することほど滑稽なこともない。まったくもって無意味な感情の動きだと思っていた。

 けれども今の俺なら彼らの気持ちが良く分かる。


(滅茶苦茶落ち着かないな、これ! なんだこの感情はっ。今すぐ走りだしたくなるような、胸のざわめきは!!)


 胸の内を掻きむしりたくなるようなむず痒さに俺はただ身もだえていた。このむず痒さはなんと言えばいいのだろうか。例えは悪いが、胸の中に小さな虫が居て、ひたすらに這いずり回っているような感覚だ。いや本当に気持ちが悪い例えだなこれ。

 先日、鹿苑を庇った俺は理由はどうあれ2月14日のバレンタインデーにデートに誘われた。

 デートにだぞ、デート。それも好きな人と! バレンタインデー当日のデートならば、如何に荒んだ感性の俺であってもチョコを期待するのは当然じゃないか!


(バレンタインのチョコなんていつぶりだ? 幼稚園くらいに幼馴染というには希薄な関係の彼女から貰ったとき以来か?)


 若干苦い記憶を思い出しながら、俺は鹿苑が来るのを待った。

 けれども落ち着いて待っていられない。何せ好きな人との初デートにしてバレンタインのチョコだぞ? どう落ち着けって言うんだよ。

 目はただひたすらに人混みの中の鹿苑を探し、睨みつけるようになっているだろう。もう不審者でしかない。警察に職質されてても不思議じゃなかった。それくらいに浮ついていた。そして自覚して直せないあたり、ほんとのほんとうに重症である。

 スマホの内蔵カメラを起動して、俺は髪がおかしくなってないかを確かめる。何度も確かめたが、何度確かめてもやはり落ち着かない。服もまぁ、それなりに良いものを着てきたつもりだ。高校生の懐事情からすればちょっと高めのやつ。もっとも、それが彼女に良いと思ってもらえるものかはわからないが。

 ついでにスマホの時計で時間を確認する。無機質なデジタル時計は『13:52』を表示している。待ち合わせの時間まで残り約10分といったところ。そろそろ鹿苑も来る頃だろう。

 スマホをしまい、背筋を伸ばす。いつ見られても良いように見栄を張る。逸る気持ちを出来る限り抑えて彼女を待つ。

 人混みに目をやってもまだ彼女の姿は見えない。腕時計を見るといつの間にか13時59分になっていた。ほぼほぼ待ち合わせの時間だ。いよいよだと思い、改めて気を引き締めなおす。

 身を圧し潰すような自制心で気持ちを抑えても、心が湧き立つのは止められない。そわそわしながら、彼女を探す。

 腕時計をちらりと見る。14時2分。約束の時間は過ぎている。

 腕時計をまた確認する。14時5分。少し準備に手間取っているのかもしれない。

 腕時計を再度目の前に持ってくる。14時15分。流石に遅いな。

 腕時計を浮足立ちながらしっかり見る。14時27分。遅すぎる。


「…………」

 

 約束の時間から約30分が過ぎた。それでも鹿苑はまだ来ない。

 考えられる理由は寝坊、交通機関の遅延、ドタキャン、そして途中で何かしらのトラブルに巻き込まれた可能性。寝坊や交通機関の遅延は良い、ドタキャンは結構きついがまぁ良い。泣いちゃうくらいきついけど、良い。というか寝込む、月曜日休むくらい落ち込む。あぁ泣けてきた……

 だが、俺のことはどうでも良い。最悪なのは事故とか事件とか、そういうろくでもないことの被害に遭っていること。それは看過できるはずがない。

 すぐさまスマホの地図アプリを起動する。鹿苑の家――鹿苑家は地元の名士の家系で有名人だ。あの馬鹿でかいお屋敷のことくらいは誰だって知っている。

 地図上の鹿苑家にピンを刺し、現在地からのルートを検索する。主要なルートは3ルートある。問題はその内のどれを鹿苑が通るかということ。やはり無難にサジェストに一番に挙げられたルートか。大通りを中心に行くそのルートは安全だし、選ぶ可能性が高いはずだ。

 こういう時、連絡先を聞いておけばよかったと思う。一応恋鐘からは『何かあったら連絡しなさい』と言われているが、相談先の恋鐘だって連絡先は知らないだろう。どうしたって真相を確かめるには自分の目で確かめるしかない。

 スマホから目を離し、自分が向かうべき方向を見据える。入れ違いになる可能性もあるけど、まぁそれならそれで良い。俺が嫌われるだけで済む。嫌われるか、そっかぁ、ま、あれだな。元々嫌われてるんだし、ゼロがマイナスになっても大したダメージじゃないから気にしなくても良いか、良いよな……

 とりあえず走るべきか。生憎と今日は走りにくい靴を履いているが、なんとかなるだろう。靴は関係なく、それなりに速く走れる方だ、俺は。

 とつま先で何度か体を浮かせ、体重を前に持っていく気持ちで右脚を踏み出し、駆けだそうとしたその時だった。


「あ、あの――っ」


 よく通る澄んだ声が、俺の後ろから聞こえてきた。

 聞き覚えのある声にすぐさま振り返る。


「お、遅れてごめんなさいっ。ちょっと……その、準備に手間取ってしまって……!」


 じんわりと額に汗を浮かべて、肩で息をする鹿苑茉莉花が其処にいた。

 深緑色のロングスカートに白色のセーター、暗い焦げ茶色(?)な裾が股下程程度のコートを着ていた。この理解が正しいかは分からない。女の子のファッションを男が完全に理解できるわけないのだ! ただこの上なく似合ってるということだけはわかる。全体的に派手さを抑えた大人しめな色で統一されており、彼女の『深窓の令嬢』のイメージと合っていた。

 ただ胸元にぶら下がっている傷がついた赤い宝石――本物じゃないよな?――が嵌め込まれたペンダントだけは唯一派手なアクセサリーだった。アクセント、というやつだろうか? 正直それだけは彼女の全体像から浮いていて、似合っているとは言い難かった。

 しかし、私服だ。クラスメイトの、好きな人の私服だ……! 普段は制服姿しか見ないクラスメイトの私服でさえ滅多に見られるものではないのに、好きな人の私服なんてもう空からダイヤモンドが降ってくるほどの幸運がない限り見られないものだ。良かったっ、もう十分すぎるほどに満足出来たっ。もう帰って良い!!

 勝手に感極まってる俺だったが、しかし目の前に立つ鹿苑は浮かない顔で、


「その、怒ってますよね……?」

「え……?」

「30分も遅刻しちゃいましたし、さっきもお帰りになろうとしてましたし……」

「いやいやいやいやっ、待って、ちが、さっきのはそうじゃなくて……!」


 そうか、事情も何も知らなければ確かにそういう解釈になるのか!

 俺は焦りながら早口でこう訴えかける。


「鹿苑があまりに遅かったから、心配で探しに行こうとしてたんだけなんだよ!」


 帰るなんてとんでもない! 鹿苑は分かってない。俺が今日この日をどれほど大事に思っているかを!

 俺は彼女の誤解を解くべく、顔を赤くして言っている彼女に向かって、自身の主張を叩きつける。


「良いか、鹿苑。貴女はこの日を、いやこの時間を俺がどれほど楽しみにしていたのかを分かっていない!!」

「た、楽しみですか……?!」


 おぉっといけない、つい本音が。深呼吸をして、気持ちを落ち着ける。


「とりあえず落ち着いて欲しい」

「えっと……それは、トマホーク?」

「もしかしてブーメランって言いたい?」


 言い間違いを指摘された鹿苑は顔を赤くして、「それです……」と蚊の鳴くような声で呟いた。よくトマホークなんて言葉が出てきたな。

 鹿苑はひとしきりもじもじした後、誤魔化すように笑って、


「でも良かったです、その……私も楽しみでした、から……」


 ……………………どういうことだ?

 脳が現実を理解できていない。理解が思考に結びつかない。今、彼女は何て言ったのだ?

 とする俺。そんな俺に気づいた鹿苑は我に返って両手を俺の方に突き出すと激しく振った。これ以上赤くならないと思われた顔を更に赤くして、肺を圧し潰すようにして絞り出された声でこう呟く。


「わ、忘れてください……」


 なんだかよくわからないが、彼女も彼女がいっぱいいっぱい、なのか? こんなにも落ち着きがないというか、慌てふためている鹿苑は初めて見た。


「……………………」

「……………………」


 俺達は互いに明後日の方向を向く。顔を合わさないように目線を逸らす。

 気まずい沈黙が俺達の間を流れる。いけない。このままだと解散する流れだ。それはいけない。折角の機会だ。損なうわけにはいかない。とりあえずこの空気を打ち破らないと。


「あー、えーっと、とりあえず俺が言いたいのは遅れたことは怒ってないってこと。ほら、女子は色々準備が大変なんだろ? なら、まぁ、遅れるのはしょうがない。それくらいのことはあんまり女子と付き合いがない俺だって分かってる」

「あ、あんまり女子と付き合いがない……そうですか、そうですか……っていえ、そうではなく、そこではなく……! 遅刻は遅刻ですから、お待たせしてしまった

ことは何か埋め合わせをしませんと」

 

 そう言い切った鹿苑は罰が悪そうだった。なるほど、遅刻に対するお詫びをしないと気が済まないと言うわけか。育ちの良さが出ている。これが相沢だったらそうはいかない。あいつは1時間遅れても平気な顔しやがるからな。

 鹿苑はたいそう居心地悪そうにしている。不安げに俺の顔を伺う上目遣いが心臓を破壊しているが、それはそれとして彼女の不安を払わなければならない。

 俺は笑い飛ばして、


「だったら、今日のお礼をちょっとばかり豪華にしてくれればそれで良いよ。先のお礼と遅刻のお詫び、一緒に済ますには良い機会だ」

「で、ですが――」

「そんな堅苦しく考えなくてもさ、良いと思うんだよ、俺は。だってこれは所詮クラスメイト同士のお話だぜ?」


 若干茶化して答えると、「所詮クラスメイト、ですか……」という呟きが鹿苑の口から聞こえてくる。何か気に障ったのか、その呟きには僅かな苛立ちが込められているように感じた。

 だが、そんな苛立ちはすぐ消えて、鹿苑はやや影がある微笑みを浮かべる。


「分かりました。では、少し奮発しようと思います」

「おう、そうしてくれるとこちらとしても助かる。で、だ。今日はお礼に一体何をくれるんだ?」


 今日のデートの本題を俺は問うた。正直遅刻とか、俺からすればどうでも良かった。何を貰えるのかの方が重要だ。この2月14日、全男子が落ち着きを失うバレンタインデーの日に。

 鹿苑は「え、っと」と口ごもった後、はにかみながらこう答える。


「その……バレンタインデーのチョコレート、です」

 

 その答えを聞いたときの俺の感動を表すことは、悲しいかな正確には出来ない。だから端的にこう纏めようと思う。


 滅茶苦茶嬉しい……!

 

 

 

 

 

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