生きる人
春野訪花
生きる人
砂浜の上を素足で歩く。ゴミとか貝殻の破片とか、踏まれた砂がぐにゃりと沈んだりとか、そんな感覚がする。
足元を波の先端が触れて離れていく。残ったのは冷たさと濡らされた足だ。
夜の空は曇天の雲に覆われている。私よりも先に泣いちゃいそうだ。でも泣いてくれたらいいとも思う。それでびしゃびしゃに濡れたら、きっと気持ちがいい。
何一つ解放されていないのに、解放された気分だった。
両手の先に摘まみ下げられたサンダルが、歩みに合わせてぷらぷら揺れる。肩から下げられて腰の位置にある小さなポシェットが、リズムを刻むように跳ねて浮かんではぶつかってくる。適当に束ねられて重たい髪の毛が背中に当たっている。
ちょきっと切っちゃってもよかったかもしれない。髪の毛。美容院で整える必要もない。後のことを考えるなんて、必要ないんだから。見た目を整える必要なんて、もうないんだ。
だけどハサミがないから諦めた。
波が寄せては引いていく音がする。潮の香りがする。全身を吹き抜けていった向かい風に、雨の匂いを感じた。
貝殻の破片で傷ついた足の裏。砂を踏む度にひりひりと痛む。
大きく息を吸って吐いた。そして意味もなくその場でくるりと回る。回りながら見上げる空は、心なしかさっきよりも雲が厚くなったように見えた。
砂浜の端っこ。数段の階段を上って、コンクリートの上へ。歩道のそこは、海に面したところが出っ張っている。鉄の柵と、いくつかのベンチ。昼間なら賑やかだろうそこには、今誰もいない。街灯光がスポットライトのように、ちょっとした憩いの場を照らしている。
柵越しの海はさっきよりも遠く感じられる。すぐ真下、波が当たっている。壁に当たって押し上げられた海水が、まるでこちらに手を伸ばすかのように差し伸べられて、勢いが足らずに落ちていく。
両手に持っていたサンダルを足元に置く。ついつい綺麗に揃えられたそれに、苦笑を溢した。
柵へと足をかけて、に向かっていく。その瞬間思い出したのは――柵から身を乗り出す幼い私に「危ないわよ」と注意してくる母の顔だった。
生きる人 春野訪花 @harunohouka
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