第18話 近江女と深井

男性から話し掛けられたイズミ。

そこには、丸眼鏡を掛けた優男と言える長身の男性が佇んでおり、非常に困っている様子。



「どうしたんだ?」


「ここからすずしろ町へは、どのくらい掛かるのでしょうか?」


「そうだな……一般人であれば二日ってところかな。忍なら一日で行けるが」


「二日!? ……困ったな……」



もっと早い時間……それこそ数時間程度しか見込んでいなかったのか、日数が必要であるというイズミの返答に男性は頭を抱え始める。


今の男性を、客観的に見るならただの人間だ。しかし……



「フーーー……!!」



ぽん吉がいななく。それは相手があの者である証。



「……」



その様子を見たイズミ。もう一度男性を見据えて、少し考えた後に返答する。



「今からすずしろ町に向かうのか? 一般人ではたちまち妖怪に襲われてしまうぞ」


「ですよね……道中の茶屋まで行ければ、あそこは宿泊も出来ますし忍も常駐していますので何とかなるんですが……野暮用さえなければもっと早くに出れたのですがね」


「急いでいるのか?」


「はい。妻の体調が急激に悪化しまして……」


「……」



イズミは表情を変えないまま、男性を観察しつつ口を開く。



「じゃあボクが取りに行こう。ボクの足なら明け方には戻って来れる」


「え!? ……そ、それはさすがに……」


「構わないぞ。奥さんが病気なんだろう? 善は急げだ。医者の名前は? 何処に住んでいるんだ? 叩き起こして準備させよう」



すずしろ町の医師からすればいい迷惑だ。

ただイズミの口調は非常に冷めた感じだ。



「?」



感情の起伏がない彼女に対して、男性は疑問を抱いた様子のまま詳細を説明する。


その後まもなく。



「ありがとうございます! このご恩は忘れません!」



イズミは強く感謝を述べる男性に対して無表情、無反応のまま屈伸をする。そしてまもなく……



「……よし、行こうかぽん吉」


「……」



無言で彼女の肩に乗るぽん吉。それと同時にイズミは猛烈な勢いで駆け出す。

常識外の早さだ。すでにその姿は何処を見渡しても確認出来ない。


そのタイミングを見計らったのか、男性がボソリと呟く。



「そうか……戦場を町から遠ざけたか。少しは成長してくれたようだ。ふふ、ケイユン……大人しくしていろよ……」




※※※




〜道中〜



「……」



イズミは無言で走り続ける。

何か思惑があるように見えるが、表情からは分かりにくい。


その後、程なく……



「!?」



イズミはその場に静止し、ピクリとも動かない。



「……」


「フーーー……!」


「どういう事だ……?」



イズミは何か疑問を抱いているようだ。



「フーーー!! フーーーーーー!!!」



ひたすらいななくぽん吉。



(おかしいぞ? さっきの男と何か違う……)



イズミは異変を感じたままだ。

彼女が辺りを注意深く観察すると、それほど遠くない距離から何かが聞こえてくる。



ーう、う……ひっく……あああ……ー



「何だ? 泣いて……いる?」



興奮気味のぽん吉を宥めつつ、イズミはすすり泣く声の方へ歩みを進める。

するとそこには……



「ああ、どうして? どうして私がこんな目に……嫌だ嫌だ嫌だぁ……」


「!?」


「……さえ見なければ……私は、私は……ううう……」



何と、近江女おうみめの能面をした黒装束の者……つまり、能面の者たちの一人と思わしき者が延々と後悔の念を口にしている。

イズミは能面の者自体への驚愕もあったようだが、どちらかと言うとこの様相に対する不気味さの方が強い感じだ。


思わず彼女は口を出す。



「お、おい! 何故泣いている!!」


「!!」



イズミの言葉を耳にした近江女の能面……素顔こそ見えないが、能面の者にあるまじきと言えるような驚いた様子を見せる。



「あ、あ、あ、あ、あ、あ……」


(何だコイツ……不気味過ぎるぞ……)



声にならない近江女。イズミは少し恐怖心を感じているようだ。日も暮れてしまった事が、さらに不気味さを増していると言えよう。

やがて近江女は言葉を止める。小首を傾げながら彼女を観察し、ゆらりと立ち上がった。


そして……



「い、い、イズ、い、イズ、イズイズイズ……イズミィィィィィィーーーーーーーー!!!!!!」


「!!!!」



突如襲い掛かる近江女。イズミは完全に意表を突かれてしまう。


近江女の鋭い貫手。しかし、



ガシっ!



幸いと言えるのか、顔面を狙ったことで攻撃が彼女の視界に収まっていたようで、寸前のところで近江女の手首をキャッチする。



「く……!」


「あああああイズイズいずいずイズミィィィィーーー!!」



能面越しで表情は分からない。しかし、言葉のみでその狂気が伝わってくる。

さらに……



(かなりの膂力だ……まだ力忍術を使っていないが、ボクと同等だなんて……)



その考えのとおり、イズミが近江女の手首を掴んだ状態から、少しもお互いの手が動いていない。

動いているのは唯一近江女の顔で、徐々にイズミの顔に接近する。



「お前が居れば居ればイレバ……ワタ、わた、わたわた私は元に元にモトに……」


「元に? ……どういう事だ!! きちんと話せ!」


「何で何であのとき、あのとき私、私、わたしわたしは!!!」


「おい! 聞いているのか!! 何を言っているのか分からないぞ!」



近江女に問い掛けるイズミだが、求めている反応が返って来ない。すでに心が壊れているように見える。

能面の者である以上、敵として応対すべきだとは分かっているようだが、近江女の状態からして攻撃をするのを躊躇っている様子の彼女。


だが、相手の攻撃は止まらない。

近江女は掴まれている方の腕を、腕力と体重を利用して力任せに振りほどく。

その瞬間、イズミは距離を取ろうとするも、相手は彼女が後ろに下がる速度と同じ早さで前に詰める!



(早い……!!)


「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ーーー!!」



近江女は絶叫と共に、無数の手刀を袈裟斬りで放つ。

イズミは左右に、また身体をのけぞらせ何とか回避をするが……



ドン……



「!?」



下がりつつ攻撃に対応した為に気づかなかったのか、彼女の背には大岩。これ以上下がることは出来ない。

もちろん近江女に容赦はない。さらに攻撃を続けるべく右手を振り上げる!



「やむを得まい! ……はぁぁ!!」



イズミは気を練り上げる。

能面の者たちの一人とは言え、戦う理由を知りたかった彼女。だが、状況を考えれば致し方なしと言えよう。



「!!」



近江女は意表を突かれる。

それもその筈、これまで防戦一方だったイズミが突如至近距離に詰めて来たのだから。



「せぇぇやぁぁぁーー!!」



ドボォォォ!!



「ーーーーーー!?」



イズミの右手が、近江女の脇腹に突き刺さる。

身体がくの字に曲がり、僅かではあるものの両足も浮く。



「うおぉぉ……ええぇ……え……」



当然ダメージは深刻。一撃で戦いをひっくり返す。



「決めさせてもらう! はぁぁぁ……」



左手に結ばれた印。体表に這う気がさらに増幅する。



「忍法……」



ー強空拳・鉄……



「大人しくしていろと言っただろう?」



イズミが攻撃を仕掛ける刹那、近江女とは違う声が……そして、



ガシャガシャ……!!



「え?」



攻撃は不発に終わる。

何故なら彼女の腕に、何処から現れたのか多量の鎖が巻き付いているからだ。



「ケイユン。私が到着するまでは、戦うなと言った筈だ」



暗がりから現れたのは、丸眼鏡を掛けた優男。イズミがなずな町の入口で話した相手だ。

ケイユンと呼ばれた近江女は、男性の言葉に従いその場で動きを止める。



「貴様が能面の者ではなかったのか? それともただの手先か?」



イズミに慌てた様子はない。

つまり今回、相手を理解した上であえて罠に飛び込んだ訳である。



「自ら火中に身を置くとは……感謝する。私としても、町を破壊するのは良しとしないのでね」


「お前も質問に答えないのだな。……まあいい。はあ!!」



バキィィィィーーン!!



謎の男を問い詰めると同時に、身体に気を纏わせ力ずくで鎖を引きちぎるイズミ。

切れた鎖は、地面に落ちて時間を置かず消えていく。どうやら何かしらの忍術のようだ。



「……この近江女が能面の一人というのは分かった。ではお前は何だ?」


「……」



男は沈黙。元々の表情が穏やかなのか、謎の男は常に笑みを浮かべたような面差しであるため、今ひとつ掴みどころがない。


数十秒経ち、ようやく能動的な笑みを見せ口を開く。



「貴様は既に、我々が複数居ることを知っているのだろう? つまりは……」



そう言いつつ、彼は懐からそっと深井ふかいの能面を取り出し、その飄々ひょうひょうとした面にかぶせる。



「こういう事だ」


「……なるほど。二人……か……」

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